早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

2020年11月

清水展・飯嶋秀治編『自前の思想-時代と社会に応答するフィールドワーク』京都大学学術出版会、2020年10月10日、444頁、4400円+税、ISBN978-4-8140-0300-6

 中村哲、波平恵美子、本多勝一、石牟礼道子、鶴見良行、中根千枝、梅棹忠夫、川喜田二郎、宮本常一、岡正雄。裏表紙に10人の先人の名が並ぶ。帯には、「社会に向きあう在り方を10人のフィールド=ワーカーから学べ」とある。

 本書の目的は、「はじめに-現場と社会のつなぎ方」の冒頭に、つぎのように記されている。「フィールドワークの先人たちの仕事ぶり、その技法や作法を学ぶことをとおして、これからフィールドワーク(現地や現場での長期の調査)とそれに足場をもつ発信をしようとする人への示唆や励ましを得ることです。取り上げる先人たちは、自身のフィールドワークでの体験や知見にもとづき、それをじっくりと熟成させながら自前の思想を紡ぎ出してゆきました。彼ら彼女らのオリジナルな発想と貢献がフィールドワーク、そして現地の人たちとの交流とその後も続く応答からいかに生み出されてきたのか、その創造性の由来と発露について解き明かしたいと願い、執筆者たちは先人たちの人生と仕事に対峙して有言無言の応答を続けました」。

 本書は、はじめに、全10章、「自前の思想の「向こう側」へ-おわりに」からなる。10人の先人は「生年の新しい順」にそれぞれの章でとりあげられ、10人のうち半分の5人は一般に人類学者と考えられている人たちで、残り5人は日本民俗学、東南アジア海域世界研究、ジャーナリスト、詩人・小説家、医師・土木技師と紹介されている。「執筆者は議論の対象とする先達の謦咳に接し直接の指導を受けた者」が5人(1人は2章執筆)、「お会いしてお話したことがある者」が2人、「お会いしたことのなかった者」が2人である。

 「はじめに」で、各先人の略歴と業績が紹介されているが、各章の内容は統一されていない。「はじめに」は、つぎのパラグラフで締め括られている。「私たちの眼前には、グローバル化とネオリベラル経済が世界を包摂し、それと相関して出稼ぎ労働者や移民・難民が激増し、宗教・民族対立が激化し、地球環境問題が深刻化する状況が広がっています。この現状に危機意識をもち、それらに深く関連した同時代の幾つもの喫緊課題を前にして呆然と佇むことや、見てみぬ振りをせず、そこから逃げずに立ち向かうこと。そのために、かつてそれぞれの時代の喫緊課題に積極的に関わり、発言し、行動していったフィールドワークの先達の足跡をたどり、学び、今を生きる私たちの責務と可能性を探ること。そうした目的で編んだ本書の冒頭に掲げた温故知新という言葉には、時代状況への介入を含めた過激な応答実践への呼びかけの思いが込められています。昔の偉人の列伝ではなく、今でも私たちを刺激し示唆を与えてくれる挑発者として、先達の人生と仕事のスタイルを振り返ることの意味はとても大きいと信じています」。

 そして「おわりに」では、「ここで取り上げた一〇名の順序とその「自前の思想」の本質を「時代と社会に応答する」三つの側面からまとめて」いる。まず、「1 遭遇-自前の思想は遭遇したものへの応答から「はじまる」」では、つぎのようにまとめている。「人により、それがより劇的な場合と、より漸次的な場合との違いはありこそすれ、そののちインパクトをあたえる仕事が、自らの仕事の延長線上に出てくるという以上に、ある人物やある主題、ある状況に「遭遇」してしまい、そこから好むと好まざるとに関わらず、その状況に巻き込まれ、そのひとと仕事が大きく動いていくことになる。つまり自前の思想を生みだす応答は、こうした遭遇から「はじめる」というよりも「はじまる」のである」。

 つぎの「2 動員-自前の思想の応答はあらゆるものを「資源化する」」では、「予期せぬ「遭遇」から始まってしまう自前の思想の応答は、それゆえにこそ、応答する者がもてる全てを動員してそれに応答せざるを得なくなる」ことを、つぎのように説明している。「遭遇した事態に対して出来合いの方法論や便利なアプローチ法があるわけではない。まずは徒手空拳のまま向き合い、それから手持ちの札と技をなんとかやりくり活用して応答する」。「それはきれいごとではなく、応答が遭遇から「はじまってしま」ったら、あらゆる契機を「資源」として動員して臨まざるを得なくなるのである」。

 「3 共鳴-自前の思想は「徒弟化しない」」では、「喫緊の課題との「遭遇」に始まり、あらゆる契機を資源として「動員」する必要が生じた自前の思想は、「徒弟化しない」という点がきわめて特徴的である」と述べ、つぎのようにまとめている。「遭遇する事態や人々が異なり、動員できる資源が異なっている私たちが、先人の方法だけを模倣することに意味があるはずもない」。「それぞれの現場(フィールド)で、他の現場で応答するひとびとのあり方に励まされ、自らの糧ともしていったのである。なので、自前の思想の応答者は徒弟化しない。ただ異なる状況にある応答者同士で共鳴するのである」。

 そして、最後につぎのようにまとめている。「わたしたちの生活は、そして調査も研究も常に現場と現実との応答のなかに埋め込まれている。自分でも予想だにしなかった出来事や人物との遭遇が、自らを思いもかけない地点へと連れだすことがある。これが本書「自前の思想」の背後に見い出したことであった。自らの現場に遭遇してしまった者たちは、自分の持ち場で応答を果たすより他ないこと。だがわたしたちは異なった状況におかれて応答する者たちとして、互いの現場への応答の仕方に学び、交差のなかで励まし合うことができること。これがわたしたちが本書全体を通じて、読者に投げかけたかった想いである」。

 「徒弟化」しないことを特徴とするなら、直弟子は先人を反面教師としてみることも重要になる。先人の記述の誤りを正すことが後学の徒のつとめであるなら、誤ったまま引用したり、それをそのまま自分の文章に書くこともないだろう。応答する人びととの関係が重要なら、本書で取りあげられた10人と応答した人びとが気になり、人名索引が役に立つ。充実した人名索引から、10人を介した人の広がりが見えてくるはずだが・・・。

藤原辰史『縁食論-孤食と共食のあいだ』ミシマ社、2020年11月22日、189頁、1700円+税、ISBN978-4-909394-43-9

 「縁食とは何か」は、本書第1章のタイトルである。副題がその答えで、「孤食と共食のあいだ」とある。第1章を読んでいくと、「「縁食」という食のあり方」の見出しの後、つぎのように記されている。「さて、これまで述べてきたような食のあり方を、ここではさしあたり「縁食」と呼びたい。「ふちしょく」とも読めるが「えんしょく」としておこう」。つまり、「縁食」とは、著者藤原辰史の造語である。

 つづけて、つぎのように説明している。「「公食」という言葉を複数の研究会で提案したことがあったのだが、「公」という言葉にまとわりつく「お上」のイメージが拭いがたく、評判が芳しくなかった。実際のところ「公」の概念はけっしてそんな単純ではなく、漢字の成立をたどっていくと開かれた広場の形象文字であることからも、個人的にはかなり気に入っていたのが、広く深く定着してしまったイメージを覆すのはやはり難しく、断念した。そこで、ふと浮かんだのが「縁食」という言葉であった」。「縁食とは、孤食ではない。複数の人間がその場所にいるからである。ただし、共食でもない。食べる場所にいる複数の人間が共同体意識を醸し出す効能が、それほど期待されていないからである」。具体的なイメージがつかめない人は、「事例1」「事例2」「事例3」「事例4」を読むとわかるだろう。

 本書は、2014年から20年までに執筆したエッセイのアンソロジーで、全5章からなる。第2章以下のタイトルは「縁食のかたち」「縁食のながめ」「縁食のにぎわい」「縁食の人文学」で、「ミシマ社通信」(Vol. 96、2020年11月号)では、つぎのように紹介している。「ひとりぼっちで食べる「孤食」とも、強いつながりを強制されて食べる「共食」ともちがう。世代も、性別も、宗教も、貧富も、国籍も問われず、誰にもオープンで、出ていくのも自由で、ただ「おいしいごはんを食べる」という一点のみでつながり、ほどけていく、他者とのゆるやかな並存の場。本書ではそんな新しい食のかたちを「縁食」と呼びます。世界の飢餓問題や市場経済の制度疲労、国内では大量の食品ロスや経済格差による子どもの貧困など、私たちはいま、様々な問題を抱えています。「食」という基本的な営みを誰もが享受できるためにはどうすればいいのか? 子ども食堂や公衆食堂、縁側文化や戦時中の食の話など、場所や時間を超えた様々な点から「縁食」のかたちと可能性を探っていきます。常に市井の声にも耳を傾けてご自身の研究をつづける藤原先生のあたたかいまなざしも観じられる一冊です」。

 本書を通読して、著者も近代日本人で、白米絶対主義を基本としていることがわかった。日本の米は世界一おいしいと自負している日本人は、日本の米文化がきわめて貧しいことに気づいていない。日本もかつては、いろいろな種類の米や雑穀を食べていたが、近代になって白米が「豊かさ」を象徴するようになり、本書でも取りあげられたように白米以外のものは人前では食べることができない「わるい食物」になり、「蓋隠し」しなければならなくなった。白米は権力の象徴ともなり、陸軍では3度3度白米を食すことができ、そのために脚気で大量の兵士が命を落とした。

 日本では、いろいろな銘柄米はあっても、基本的にジャポニカ米の1種類しか売っていないし、炊飯器で炊いた白米を主食にしている。最近は、健康を意識した米や雑穀が売られていたり、お持ち帰り弁当などにオプションで加えられたりしているが、基本は変わっていない。韓国、中国でも東南アジア各国でも、粒のかたちや色の違う米が売られており、うるちやもち、かおりも違い、当然料理方法も違う。主食になるものもあれば、副食やたんに彩りなどのための添え物になるものまである。実に豊かな米食文化がある。ちなみに、これまでわたしが食べたもっともおいしかった米は、ジャポニカ米よりひとまわり大きなジャバニカ米で、陸稲栽培の赤米のうるち米だ。

 だが、日本人がこの豊かな米食に戻ることはないだろう。日本食文化が世界に広まり、海外でも日本米を手に入れやすくなった。日本米が手に入らなくても、ほとんどのアジア人が食す長粒のインディカ米は手に入るだろう。そして、日本の100円ショップでは、電子レンジで炊けるプラスチックの炊飯器がもちろん100円で売られており、簡単に炊きたての白米が世界中のどこでも食べられる。この白米絶対主義が変わらないのだろうか。

 本書のようなエッセイでは、既存の研究成果に基づいた馴染みのある話題が取りあげられる。いっぽうで、著者は近々「農業経済学者たちの学問と実践についてまとめた」専門書を出版しようとしている。この両輪がうまくまわることによって、愉しくて有意義な議論が展開できる。楽しみにしている。

中生勝美『近代日本の人類学史-帝国と植民地の記憶』風響社、2016年3月20日、620頁、5000円+税、ISBN978-4-89489-227-9

 『自前の思想-時代と社会に応答するフィールドワーク』(清水展・飯嶋秀治編、京都大学学術出版会、2020年10月10日)が出版された。この新刊を読む前に、本書を読まなければならないと思った。新刊で取りあげられた10人のフィールドワーカーのうち、何人かは帝国日本にかかわっていたからである。

 本書は、「全体が最初に完成してから、更に11度書き換え」、「足かけ25年かけた集大成」で、「戦前の日本の人類学者が、植民地でいかなる活動をしていたのかを網羅した著作」である。

 帯には、つぎのように記されている。「日本人類学は「大東亜共栄圏」の子供か?「人類学は西洋帝国主義の子供である」とすればまさにそうだが、歴史はキャッチコピーではない。本書は、130年余にわたる日本人類学の足跡を、文献とオーラル・ヒストリー、そして現地調査の積み上げによって丹念に追った、貴重なドキュメントである」。

 本書では、「日本の植民地と、その外縁に樹立した傀儡政権を含む広範な領域に展開した人類学の研究活動を分析対象とする」。「西洋帝国主義による植民地経営が最盛期を迎えた時期と重なるので、人類学と植民地主義の密接な関係は避けられぬ運命であった」。したがって、「民族誌的知識は、どのようにして国防・軍事に使用されたのだろうか。この問いが、本研究の出発点のひとつになっている」。

 著者、中生勝美は「日本の人類学が残した植民地と占領地の民族誌を歴史の文脈においてその生成過程を分析することで、宗主国と植民地の「歴史的もつれあい(略)」[略]を解明し、帝国支配に絡め取られていった人類学の歴史を描きたい」と述べている。

 本書は、まえがき、序章「研究の課題と方法」、前篇と後篇、全7章、終章、あとがき、などからなる。前篇「植民地の拡張と人類学」は植民地を扱う4章からなり、後篇「戦時中の民族学」は帝国の問題を扱う3章からなる。

 前篇は、「台湾、朝鮮、南洋群島とともに、傀儡政権であった満洲国について、それぞれの調査活動と専門家による研究をまとめた」もので、つぎのように説明している。「植民地統治の初期段階で、旧慣調査が組織されている。南洋群島の場合は、研究機関が設置されることもなく、旧慣調査の延長線上に人類学的調査を位置づけることができたが、台湾・朝鮮・満洲に関しては、高等教育機関が設置され、そこで独自の研究が展開されたので、それぞれを対比できるような構成で、植民地統治に必要であった旧慣調査と、大学や研究者による人類学的調査を概観した」。

 後篇は、「国立民族研究所の創設と活動、西北研究所の創設前からの内陸アジア研究のながれと、西北研究所と京都学派の活動、そしてイスラーム研究とムスリム工作として、内陸アジアと東南アジア研究をまとめた」。

 終章「近代日本の学知と人類学」では、(1)「日本人類学のルーツ」(2)「帝国の人類学」(3)「学知とモラル」の3つにわけて、本書を総括している。まず、「大学で専門的に人類学を学ぶ機会が限られていた戦前」の人類学者は、大きく分けて3つのルーツがある。「第1の社会主義運動については、治安維持法で逮捕され、出獄後に人類学を志した人たちがいる」。「第2は登山から人類学に移ってきたグループである」。「第3に、日本で人類学者を多く輩出した宗教学の分野」の人たちである。

 つぎに「帝国の人類学」は、「植民地の統治や傀儡政権の政策に直接関与したことは少な」く、「あくまで植民地や傀儡政権の拡大によって、人類学の調査対象地域が拡大したにすぎない」とし、つぎのように結論している。「ナショナリズムを喚起し民族形成を促進する「民族」の「学」として「民族学」が帝国日本の戦略として期待され、民族起源論から大日本帝国の統治原理を正当化しようとした。しかし、大東亜共栄圏、八紘一宇などの概念は、最終的に統治原理にまで昇華されず、敗戦を迎えたのである」。

 「最後に、日本の人類学史を植民地と占領地の調査から分析した結果として、歴史と倫理の問題について考え」、これまでの日本の人類学史の研究をつぎのように批判している。「事実認定の歴史考証が明確ではなく、臆測による状況証拠で事実を認定し、政治や戦争との関係で批判を目的としたものがある。批判を前提に研究史を整理することは無意味であり、事実の指摘が道徳的断罪にならないように、本書では注意を払ってきた」。

 そして、最後に、つぎのように「過去と現在との対話」の必要性を述べて、終章を閉じている。「1991年の冷戦終結以降、むしろわき起こったように見える民族とナショナリズムの問題は、民族紛争に対して方法論が乏しい人類学に深刻な反省を与えた。世界の民族運動を理解するためにも、民族が重要な課題であった戦前の状況で展開された民族誌を、もう一度歴史的文脈で読み直す作業は、民族のかかえる問題に人類学がもう一度、新たな立場で取り組む手掛かりとなりうるのではないだろうか」。

 著者が、このテーマに取り組みはじめた「1990年代は、戦時中に活躍されていた人類学者が多く健在で、戦前の民族誌を読んでから現地を訪れ、なおかつ生存者に事実関係を確認するという形で研究できた最後の時代だった」。この幸運をものにするためには、25年の歳月が必要だった。著者は「10年後には、新旧資料を加えて改訂版を出さなければならないと思っている」。そのためにも、ここで出版されたことは、大きな礎となるだろう。そして、次作として構想している「植民地にいた人類学者が引き揚げて、多くがGHQの調査部門で助手をしていた」ことを踏まえた「戦中から戦後にかけてのアメリカの日本研究を基軸にしたアメリカの人類学史」が、日本の人類学史を相対化する大きな助けとなるだろう。

 戦争協力という点で、人類学がやり玉に挙げられるが、人類学だけではない。どの時代でも、どの社会でも、学問をしている以上、とくに研究資金を必要とする分野では、「学知とモラル」が問われる。研究者ひとりひとりが、人類学を他山の石としなければならない。

吉田純編、ミリタリー・カルチャー研究会著『ミリタリー・カルチャー研究-データで読む現代日本の戦争観』青弓社、2020年7月17日、425頁、3000円+税、ISBN978-4-7872-3469-8

 本書の表紙に、つぎのような概要が載っている。「現代日本のミリタリー・カルチャーを、市民の戦争観・平和観を中核とし、それを構造的に相関する文化的要素で構成する諸文化の総体として、社会学・歴史学の立場から解明する。どの項目からも入っていける「読む事典」、ミリタリー・カルチャー研究の決定版」。

 本書は、全5部、あとがき、資料「調査票・単純集計表」からなる。各部は4~10の項目からなる。最初の「1-1 なぜミリタリー・カルチャー研究をするのか」で、本書の目的がつぎのように説明されている。「戦後日本の平和主義の重大な転換点ともなりうる状況に直面しながらも、「戦争」や「軍事」のリアリティーに冷静に向き合った討議と合意形成の場の構築は未成熟であるといわざるをえない」。「その根本的な理由は、市民の戦争観・平和観の実相や、それを中核としたミリタリー・カルチャーの総体の構造といった、平和・安全保障問題についての討議と合意形成のための基礎的前提となるべき客観的知識が現代日本では決定的に不足していることにある。本書は、そのような状況に一石を投じ、今後の平和・安全保障問題をめぐる討議と合意形成の基礎になるような知見を、幅広い読者に向けて提供しようとするものである」。

 著者のミリタリー・カルチャー研究会は、「1970年代末からの戦友会研究を端緒とし、戦後日本のミリタリー・カルチャーに関する社会学的研究を以後継続的に実施してきた」。本書は、「2015年と16年の2度にわたって、軍事・安全保障問題への関心が高い人々を対象に計量的意識調査(インターネット調査)を実施した」結果にもとづいている。

 その問題意識は、つぎのように説明している。「戦後65年を経た2010年頃を転換点として、かつての戦友会員のように現実の戦争の記憶をもつ世代は少数派になり、代わって、①ポピュラー・カルチャー(映画、マンガ、アニメなど)、②マスメディア(ジャーナリズム)、③学校教育・社会教育(戦争博物館・平和資料館など)、そして④自衛隊やアメリカ軍の文化(広報活動やイベントによって伝達・受容されるもの)によって、戦争や軍事組織をイメージする世代が多数派になった。この世代交代は、市民の戦争観・平和観にも反作用を及ぼし、その構造的な地殻変動をもたらしているのではないか、と推測された。すなわち、現代日本のミリタリー・カルチャーは、市民の戦争観・平和観を中核として、それと構造的に相関しあう①②③④の4つの文化的要素から構成される諸文化の総体として存在しているのではないか、と考えた」。

 本書のそれぞれの項目の末尾には、執筆担当者名がある。だが、執筆担当者個人の文責ではなく、研究会参加者総意に基づいていることが、「あとがき」につぎのように書かれている。「まず本書を構成する各項目と執筆者を決め、次いで各執筆者が提出した原稿を全員で読み合わせて、忌憚なく意見を述べ合い、注文を出し合った。第1稿で全員のOKが出ることはまれであり、第2稿、第3稿、ときには第4稿と改稿を重ねて、ようやく決定稿となるのが通例だった。すべての原稿が完成したのは2020年1月のことであり、それまで実に30回以上の研究会を経て、本書はようやく完成にこぎつけたわけである」。

 それでも、本書は「ミリタリー・カルチャーに関わるすべての問いにまではまだ答えられていない」。「未解決の課題のなかでもとりわけ重要なのは、現代日本のミリタリー・カルチャーが現実の平和・安全保障問題とどのように関わり合うのか、ということである」。さらに、本書が基礎データとした調査は、「特に軍事・安全保障問題への関心が高い人々だけを抽出しておこなったものであり、その意識や意見は、必ずしも現代日本のすべての人々を代表しているとはいいがたい」。そこで、「2020年度内に、全国規模での無作為抽出による郵送調査の方式で、現代日本の平和・安全保障問題に関する意識調査を実施することを計画している」という。

 本研究グループ内で共有されているのは、「「戦争を肯定する心理的基盤」と批判的に対峙し、最終的にはそれを掘り崩すことを目指すものである」。その調査結果は、手強いものが存在するということになるだろう。その手強いものに対峙するためにも、確固としたデータが必要である。研究グループ内だけでなく、広く共有され、多くの人びとが自分の問題として取り組むようになることを期待したい。「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という問いにたいして、「わからない」と答えた9ヵ国平均が10.8%にたいして、日本だけが異常に多く46.1%だったことを、われわれは真摯に受けとめなければならない。

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