清水展・飯嶋秀治編『自前の思想-時代と社会に応答するフィールドワーク』京都大学学術出版会、2020年10月10日、444頁、4400円+税、ISBN978-4-8140-0300-6
中村哲、波平恵美子、本多勝一、石牟礼道子、鶴見良行、中根千枝、梅棹忠夫、川喜田二郎、宮本常一、岡正雄。裏表紙に10人の先人の名が並ぶ。帯には、「社会に向きあう在り方を10人のフィールド=ワーカーから学べ」とある。
本書の目的は、「はじめに-現場と社会のつなぎ方」の冒頭に、つぎのように記されている。「フィールドワークの先人たちの仕事ぶり、その技法や作法を学ぶことをとおして、これからフィールドワーク(現地や現場での長期の調査)とそれに足場をもつ発信をしようとする人への示唆や励ましを得ることです。取り上げる先人たちは、自身のフィールドワークでの体験や知見にもとづき、それをじっくりと熟成させながら自前の思想を紡ぎ出してゆきました。彼ら彼女らのオリジナルな発想と貢献がフィールドワーク、そして現地の人たちとの交流とその後も続く応答からいかに生み出されてきたのか、その創造性の由来と発露について解き明かしたいと願い、執筆者たちは先人たちの人生と仕事に対峙して有言無言の応答を続けました」。
本書は、はじめに、全10章、「自前の思想の「向こう側」へ-おわりに」からなる。10人の先人は「生年の新しい順」にそれぞれの章でとりあげられ、10人のうち半分の5人は一般に人類学者と考えられている人たちで、残り5人は日本民俗学、東南アジア海域世界研究、ジャーナリスト、詩人・小説家、医師・土木技師と紹介されている。「執筆者は議論の対象とする先達の謦咳に接し直接の指導を受けた者」が5人(1人は2章執筆)、「お会いしてお話したことがある者」が2人、「お会いしたことのなかった者」が2人である。
「はじめに」で、各先人の略歴と業績が紹介されているが、各章の内容は統一されていない。「はじめに」は、つぎのパラグラフで締め括られている。「私たちの眼前には、グローバル化とネオリベラル経済が世界を包摂し、それと相関して出稼ぎ労働者や移民・難民が激増し、宗教・民族対立が激化し、地球環境問題が深刻化する状況が広がっています。この現状に危機意識をもち、それらに深く関連した同時代の幾つもの喫緊課題を前にして呆然と佇むことや、見てみぬ振りをせず、そこから逃げずに立ち向かうこと。そのために、かつてそれぞれの時代の喫緊課題に積極的に関わり、発言し、行動していったフィールドワークの先達の足跡をたどり、学び、今を生きる私たちの責務と可能性を探ること。そうした目的で編んだ本書の冒頭に掲げた温故知新という言葉には、時代状況への介入を含めた過激な応答実践への呼びかけの思いが込められています。昔の偉人の列伝ではなく、今でも私たちを刺激し示唆を与えてくれる挑発者として、先達の人生と仕事のスタイルを振り返ることの意味はとても大きいと信じています」。
そして「おわりに」では、「ここで取り上げた一〇名の順序とその「自前の思想」の本質を「時代と社会に応答する」三つの側面からまとめて」いる。まず、「1 遭遇-自前の思想は遭遇したものへの応答から「はじまる」」では、つぎのようにまとめている。「人により、それがより劇的な場合と、より漸次的な場合との違いはありこそすれ、そののちインパクトをあたえる仕事が、自らの仕事の延長線上に出てくるという以上に、ある人物やある主題、ある状況に「遭遇」してしまい、そこから好むと好まざるとに関わらず、その状況に巻き込まれ、そのひとと仕事が大きく動いていくことになる。つまり自前の思想を生みだす応答は、こうした遭遇から「はじめる」というよりも「はじまる」のである」。
つぎの「2 動員-自前の思想の応答はあらゆるものを「資源化する」」では、「予期せぬ「遭遇」から始まってしまう自前の思想の応答は、それゆえにこそ、応答する者がもてる全てを動員してそれに応答せざるを得なくなる」ことを、つぎのように説明している。「遭遇した事態に対して出来合いの方法論や便利なアプローチ法があるわけではない。まずは徒手空拳のまま向き合い、それから手持ちの札と技をなんとかやりくり活用して応答する」。「それはきれいごとではなく、応答が遭遇から「はじまってしま」ったら、あらゆる契機を「資源」として動員して臨まざるを得なくなるのである」。
「3 共鳴-自前の思想は「徒弟化しない」」では、「喫緊の課題との「遭遇」に始まり、あらゆる契機を資源として「動員」する必要が生じた自前の思想は、「徒弟化しない」という点がきわめて特徴的である」と述べ、つぎのようにまとめている。「遭遇する事態や人々が異なり、動員できる資源が異なっている私たちが、先人の方法だけを模倣することに意味があるはずもない」。「それぞれの現場(フィールド)で、他の現場で応答するひとびとのあり方に励まされ、自らの糧ともしていったのである。なので、自前の思想の応答者は徒弟化しない。ただ異なる状況にある応答者同士で共鳴するのである」。
そして、最後につぎのようにまとめている。「わたしたちの生活は、そして調査も研究も常に現場と現実との応答のなかに埋め込まれている。自分でも予想だにしなかった出来事や人物との遭遇が、自らを思いもかけない地点へと連れだすことがある。これが本書「自前の思想」の背後に見い出したことであった。自らの現場に遭遇してしまった者たちは、自分の持ち場で応答を果たすより他ないこと。だがわたしたちは異なった状況におかれて応答する者たちとして、互いの現場への応答の仕方に学び、交差のなかで励まし合うことができること。これがわたしたちが本書全体を通じて、読者に投げかけたかった想いである」。
「徒弟化」しないことを特徴とするなら、直弟子は先人を反面教師としてみることも重要になる。先人の記述の誤りを正すことが後学の徒のつとめであるなら、誤ったまま引用したり、それをそのまま自分の文章に書くこともないだろう。応答する人びととの関係が重要なら、本書で取りあげられた10人と応答した人びとが気になり、人名索引が役に立つ。充実した人名索引から、10人を介した人の広がりが見えてくるはずだが・・・。