アーロン・S・モーア著、塚原東吾監訳『「大東亜」を建設する-帝国日本の技術とイデオロギー』人文書院、2019年12月15日、367頁、4500円+税、ISBN978-4-409-52080-2
本書の内容は、帯の裏につぎのようにまとめられている。「アジア・太平洋戦争期、帝国日本の戦時動員のため「技術」という言葉が広範に使用されていた。それは単に科学技術だけではなく、社会全体の統治にもかかわるイデオロギーであった。狂信的な言説が吹き荒れたと思われる時代は、実は科学的・技術的な言説が力を持った時代でもあったのだ。本書では、革新官僚と技術者たちの動向を中心に、満州と中国における巨大建設プロジェクトを詳細に分析しつつ、戦後までをも貫く「技術」言説を思想史的に描き出す。新たな視角から帝国日本の核心に迫る、急逝した気鋭のアメリカ人研究者の遺作となった画期的研究」。
本書の射程は、「序説 帝国日本の技術的想像力」で、つぎのように述べている。「本書で扱うのは、日本のファシズムおよび帝国主義の内部における技術と権力の関係であり、技術的想像力の範囲と深度についてカヴァーする。それは、知識人・技術官僚・技術者・国家計画立案者といった、戦時期の言説や国家の政策を形づくるのに大きな役割をはたしたさまざまな社会的アクターを詳しく吟味することによってなされる。本書では、日本帝国における都市・地域開発計画や河川流域の管理運営事業やダム建設計画といった大規模事業のいくつかを俎上に載せる。これらの分析が明らかにするのは、技術的想像力がたんに一握りのエリートの頭の中に浮かんだ構想の賜物ではなく、かなりの部分が現場において発展したものであるということだ」。
ファシズム的権力については、「序説」でつぎのようにも説明されている。「日本のエリートの考え方や政策において、権力とは、たんに上から社会を組織化するものではなく、おびただしい数の人民や組織による生産的な実践を通して内側から社会をダイナミックに形成していくものだった。ファシズムとは、全体主義国家の存在以上のものであり、日常生活のあらゆる場面で「階級闘争の帰結や、疎外、不安定さや文化的・経済的不平等のすべてを……抹消して」資本主義を維持しようと努める「分子的もしくはミクロ・ポリティクス的な権力」の一形態を創造するものなのである。本書は、こういったファシズム的権力の様態が、技術的想像力によってどのように明瞭に提示されてきたかという問いを検証する」。
本書は、序説、全5章、終章、解説などからなる。「第一章「生活を革新する技術」では、戦時中に転向した講座派マルクス主義者・相川春喜の理論と経歴を取り上げ」、「技術についての想像力の多様でダイナミックな主体性とエネルギーが、日本ファシズムの展開に、結果的にはどのように動員されていったかを示す」。
「第二章「アジア発展のための技術」では、当時の重要な技術官僚である宮本武之輔と、技術者運動の言説を検討する。宮本は「技術の立場」、「総合技術」、「興亜技術」という概念を通して、技術官僚は、社会を組織化し複雑な問題を解決する「社会管理者」になるべきだと主張した」。
「第三章「大陸を建設する」では、具体的に三つの「総合技術」あるいは「総合開発」事業を分析」し、「実際の現場においてあらかじめ想定していた技術的想像力は弱く、脆く、不均等なものでしかなく、多くのあいまいさや葛藤があったことを示してゆく」。
「第四章「帝国をダム化する」では、満州国の豊満ダムと朝鮮と満州国の国境に跨がる水豊ダムの事例を分析」し、「企業や居住者などのアクターが技術をめぐる言説が持つ進歩と近代化のナラティブに挑むような対抗言説(たとえば、木材業者は、生業と戦時経済とバランスのとれた権利を主張し、居住者は科学技術の破壊的な力に警戒をした)も生まれていたことを指摘する」。
「第五章「社会機構を設計する」では、毛利英於菟という人物を通じて、満州港での「革新官僚」たちの持った技術的想像力のひとつの典型例を分析」し、「ファシズムの定義を生産性、創造性、自発性を動員する方法を含むものと広げ、さらにテクノ・ファシズムの具体的な様相に迫ろうと」する。
「終章「戦後におけるテクノファシズムとテクノ帝国主義の遺産」では、戦後と戦中の非連続性の歴史記述への問いかけを行う。ここでは、連続性、すなわち戦後日本の東南アジア・東アジアにおける広範なODA事業、戦後日本の経営主義、開発主義の形成と総合国策機関の継続、経済発展のための科学技術政策、そして全国総合開発計画等を指摘」する。
終章では、さらにつぎのように未来を展望して、本書の結びとしている。「戦時期に淵源を持つ技術と結びついた非民主的遺産を理解し向き合うことは日本の二一世紀の困難を乗り越える上で大きな可能性をもたらすであろう。慢性的な不景気や原子力に過度に依存した危険なエネルギー政策、継続する支配的かつ強固な官僚制度、真の意味で地域の能力を養成することに失敗した海外での開発援助などの諸問題の根源は、日本という国家とそこに連なる者たちが長期間にわたる発展途上国の貧困解決策は技術であると訴え取り組み続けたことにあるのだから」。
本書は、内容的にも文章的にも、けっして読みやすいものではない。それを補うべく適切な「解説」(塚原東吾・藤原辰史)が付されている。「解説」の最後で、「現在のモーアの研究と現代的な意味」をつぎのようにまとめている。「モーアが検証している事例は、日本の原発輸出の問題、つまり、東南アジア、東アジア各国への「原発技術」の移転のための試みや、核科学・原子炉技術をめぐる専門的な学生・研究者のJICA(独立行政法人国際協力機構)研修制度による、いわゆる「原子力ムラ」のアジア的なサブ(もしくはネオ)・コロニアルな拡大などについても参照事例になることだと考えられる。このような観点からも、本書の訳出が、この領域やその周辺に、より大きな議論を喚起してゆく契機になることを望んでやまない」。
著者は、「父上がアメリカの外交関係者であり、母上は韓国人、そしてモーア自身も日本生まれということもあり」、「日本語・韓国語に通じている」。「文化的にもオープンであり、社交的で快活、そしてまた多くの友人にも恵まれた人物であって、アメリカにおける日本科学史・技術史の中堅を占めていた」。本書のようなテーマは、このようなハイブリッドな研究者の出現によって可能になった。それでも、まだまだ多くの課題が残されている。
本書では、インフラ整備がおもに取りあげられ、資源開発、とくに東南アジアについてあまり語られていない。いっぱんに科学技術が日本より進んでいた欧米の植民支配下にあった東南アジアでは、日本の軍事占領にともなって多くの技術者が、欧米の科学技術を「盗む」ために派遣された。技術者も、積極的に協力した。そして、戦後、戦犯に問われることを恐れて、資料を処分し口をつぐんだ。それが、戦後の東南アジアへの賠償・ODA(政府開発援助)にどう絡んでいくのか。これらの課題に取り組みはじめていたのに、47歳という若さで急逝したことがくやまれる。