橋本彩『ラオス競漕祭の文化誌-伝統とスポーツ化をめぐって』めこん、2020年2月29日、286頁、5400円+税、ISBN978-4-8396-0319-9

 1997年に東南アジア競技大会(SEA GAMES)の正式競技になって以来、「伝統的ボートレース」は2年に1度開催されるこのスポーツ大会で、これまで9度実施された。本書の副題に「伝統」と「スポーツ化」がある。東南アジア競技大会の正式競技の「伝統的ボートレース」は当然「スポーツ化」されたものだが、「伝統」ということばを冠している。この「伝統」は欧米起源のボートレースにたいしてのことばなのだろうか。「伝統」といっても、その意味するところは、さまざまである。本書では、「先祖代々に伝わる古い歴史をもつもの」としているようだ。

 本書の目的は、「序章 スポーツ人類学における競漕祭研究の意義と目的」で、つぎのようにまとめている。「本書では、スポーツ研究におけるスポーツカテゴリーをあえて踏襲すれば、非西欧社会における「伝統スポーツ」と捉えられるラオス・ヴィエンチャンの競漕祭を対象とし、競漕祭が社会との相互作用の中でどのような歴史的変容を経て、現在の状況に至っているのかを明らかにすることを目的とする」。

 著者橋本彩は、本書におけるキーワードの「伝統」と「スポーツ」に関連して、先行研究を検討した結果、つぎの6点の課題があることを認めた。「1)「近代スポーツ化」ならびに「伝統再帰」が起きた原因は何か」。「2)「伝統再帰」がなされた後も、競漕祭の中の1つのカテゴリーのみに再帰化が図られ、他のカテゴリーが続行された理由は何か」。「3)競漕祭における「伝統」は誰が何を「伝統」と見なしているのか」。「4)当該地域の人びとが競漕祭を「伝統」と見なしているのであれば、その「伝統」を重視する傾向はあるのか」。「5)「競技化」する競漕祭は当該地域の人びとにとって歓迎されるものであるのか」。「6)民俗的な競技文化はどのように伝統化されるのか」。

 本書は、はじめに、序章、3部全5章、終章からなり、つぎのようにまとめている。「「はじめに」では、本書に関係の深い3つのキーワード、「伝統」、「スポーツ」、「タイ」に着目するに至った2007年時点の調査状況を概説した。続く「序章」では本書の主題と関連する先行研究をまとめるとともに、本書の目的を示している。続いて調査地の概要を示したあと、第1章から第5章にかけて時代を区分し、競漕祭の変容における「伝統」と「スポーツ」の関係について新聞媒体を中心に考察を行なう。そして「終章」が考察および今後の課題・展望となる」。

 「第1部 フランス植民地政府の影響下で創造された競漕祭」は第1章と第2章の2章、「第2部 王国から社会主義国へ移行した激動期の競漕祭」は第3章と第4章の2章、「第3部 21世紀の競漕祭における伝統論争」は第5章の1章からなる。時代ごとに考察を進めているのだから説明するまでもないと考えているのか、各部の説明はないし、考察の対象にもなっていない。

 「終章 考察と展望」では、「(1)スポーツ化」で「先行研究にて残された課題1)2)5)」に関連し、「競漕祭の「スポーツ化・競技化」について考察」し、つぎのようにまとめている。「少なくとも、1960年代の王国時代において競漕をスポーツと見る動きは、競漕祭が西洋諸国にも劣らない合理性を持った祭りであり、ラオス独自の文化であるといった誇りと結びつき、積極的な意味を与えてきた。競漕祭に「キラー[スポーツ]」という語彙を用いることは歓迎されこそすれ、忌避されるものでなかったと言える」。

 「(2)伝統化」では、「残された課題3)4)6)に関連し、「伝統」とは誰にとっての「伝統」であり、「伝統化」とは何を指すのかについて改めて分析」した。その結果、つぎのようにまとめている。「長い舟の形状変化から2000年前後におきた「伝統」を巡る議論は、長い舟の形状に「伝統」を見出し、数年をかけて「伝統舟」の規定を詳細化していくことで決着をみたが、そのおよそ20年後の現在は、競漕祭が実施されるのが当然であった時期と場所に関する抗いがたい変化の波が押し寄せている。自然環境が相手であるだけに、差し迫る変化に対応せざるを得ない当該地域の人びとが、次は競漕祭の何に「伝統」を見出していくのか、今後も注視していきたい。ワット・チャン競漕祭は、1940年代に「創造」もしくは「復活」させられて以降、絶え間ない変化の波に晒されてきたからこそ、「伝統」を問われ続ける舞台であった。そして、競漕祭の伝統とは何かを当該地域の人びとが解釈するプロセスこそが、競漕祭を「伝統化」してきたとも言える」。

 「伝統」がつねに変化するのは、観る対象が変化するからである。ローカルなもの、国家を意識したもの、周辺地域を巻き込んだもの、世界的なもので、同じものでも観る者にあわせて変化する。ここでも、ローカル、ナショナル、リージョナル、ワールドの枠組で、それぞれを考えることができる。また、そのなかで制度的に縛られるものは、どれか。同じリージョナルなものでも、国際親善のを目的として多様性を重視するものもあれば、東南アジア競技大会の正式競技になって平準化が求められるものもある。著者がいうように、「絶え間ない変化の波に晒されてきた」ものからは目が離せない。