中生勝美『近代日本の人類学史-帝国と植民地の記憶』風響社、2016年3月20日、620頁、5000円+税、ISBN978-4-89489-227-9

 『自前の思想-時代と社会に応答するフィールドワーク』(清水展・飯嶋秀治編、京都大学学術出版会、2020年10月10日)が出版された。この新刊を読む前に、本書を読まなければならないと思った。新刊で取りあげられた10人のフィールドワーカーのうち、何人かは帝国日本にかかわっていたからである。

 本書は、「全体が最初に完成してから、更に11度書き換え」、「足かけ25年かけた集大成」で、「戦前の日本の人類学者が、植民地でいかなる活動をしていたのかを網羅した著作」である。

 帯には、つぎのように記されている。「日本人類学は「大東亜共栄圏」の子供か?「人類学は西洋帝国主義の子供である」とすればまさにそうだが、歴史はキャッチコピーではない。本書は、130年余にわたる日本人類学の足跡を、文献とオーラル・ヒストリー、そして現地調査の積み上げによって丹念に追った、貴重なドキュメントである」。

 本書では、「日本の植民地と、その外縁に樹立した傀儡政権を含む広範な領域に展開した人類学の研究活動を分析対象とする」。「西洋帝国主義による植民地経営が最盛期を迎えた時期と重なるので、人類学と植民地主義の密接な関係は避けられぬ運命であった」。したがって、「民族誌的知識は、どのようにして国防・軍事に使用されたのだろうか。この問いが、本研究の出発点のひとつになっている」。

 著者、中生勝美は「日本の人類学が残した植民地と占領地の民族誌を歴史の文脈においてその生成過程を分析することで、宗主国と植民地の「歴史的もつれあい(略)」[略]を解明し、帝国支配に絡め取られていった人類学の歴史を描きたい」と述べている。

 本書は、まえがき、序章「研究の課題と方法」、前篇と後篇、全7章、終章、あとがき、などからなる。前篇「植民地の拡張と人類学」は植民地を扱う4章からなり、後篇「戦時中の民族学」は帝国の問題を扱う3章からなる。

 前篇は、「台湾、朝鮮、南洋群島とともに、傀儡政権であった満洲国について、それぞれの調査活動と専門家による研究をまとめた」もので、つぎのように説明している。「植民地統治の初期段階で、旧慣調査が組織されている。南洋群島の場合は、研究機関が設置されることもなく、旧慣調査の延長線上に人類学的調査を位置づけることができたが、台湾・朝鮮・満洲に関しては、高等教育機関が設置され、そこで独自の研究が展開されたので、それぞれを対比できるような構成で、植民地統治に必要であった旧慣調査と、大学や研究者による人類学的調査を概観した」。

 後篇は、「国立民族研究所の創設と活動、西北研究所の創設前からの内陸アジア研究のながれと、西北研究所と京都学派の活動、そしてイスラーム研究とムスリム工作として、内陸アジアと東南アジア研究をまとめた」。

 終章「近代日本の学知と人類学」では、(1)「日本人類学のルーツ」(2)「帝国の人類学」(3)「学知とモラル」の3つにわけて、本書を総括している。まず、「大学で専門的に人類学を学ぶ機会が限られていた戦前」の人類学者は、大きく分けて3つのルーツがある。「第1の社会主義運動については、治安維持法で逮捕され、出獄後に人類学を志した人たちがいる」。「第2は登山から人類学に移ってきたグループである」。「第3に、日本で人類学者を多く輩出した宗教学の分野」の人たちである。

 つぎに「帝国の人類学」は、「植民地の統治や傀儡政権の政策に直接関与したことは少な」く、「あくまで植民地や傀儡政権の拡大によって、人類学の調査対象地域が拡大したにすぎない」とし、つぎのように結論している。「ナショナリズムを喚起し民族形成を促進する「民族」の「学」として「民族学」が帝国日本の戦略として期待され、民族起源論から大日本帝国の統治原理を正当化しようとした。しかし、大東亜共栄圏、八紘一宇などの概念は、最終的に統治原理にまで昇華されず、敗戦を迎えたのである」。

 「最後に、日本の人類学史を植民地と占領地の調査から分析した結果として、歴史と倫理の問題について考え」、これまでの日本の人類学史の研究をつぎのように批判している。「事実認定の歴史考証が明確ではなく、臆測による状況証拠で事実を認定し、政治や戦争との関係で批判を目的としたものがある。批判を前提に研究史を整理することは無意味であり、事実の指摘が道徳的断罪にならないように、本書では注意を払ってきた」。

 そして、最後に、つぎのように「過去と現在との対話」の必要性を述べて、終章を閉じている。「1991年の冷戦終結以降、むしろわき起こったように見える民族とナショナリズムの問題は、民族紛争に対して方法論が乏しい人類学に深刻な反省を与えた。世界の民族運動を理解するためにも、民族が重要な課題であった戦前の状況で展開された民族誌を、もう一度歴史的文脈で読み直す作業は、民族のかかえる問題に人類学がもう一度、新たな立場で取り組む手掛かりとなりうるのではないだろうか」。

 著者が、このテーマに取り組みはじめた「1990年代は、戦時中に活躍されていた人類学者が多く健在で、戦前の民族誌を読んでから現地を訪れ、なおかつ生存者に事実関係を確認するという形で研究できた最後の時代だった」。この幸運をものにするためには、25年の歳月が必要だった。著者は「10年後には、新旧資料を加えて改訂版を出さなければならないと思っている」。そのためにも、ここで出版されたことは、大きな礎となるだろう。そして、次作として構想している「植民地にいた人類学者が引き揚げて、多くがGHQの調査部門で助手をしていた」ことを踏まえた「戦中から戦後にかけてのアメリカの日本研究を基軸にしたアメリカの人類学史」が、日本の人類学史を相対化する大きな助けとなるだろう。

 戦争協力という点で、人類学がやり玉に挙げられるが、人類学だけではない。どの時代でも、どの社会でも、学問をしている以上、とくに研究資金を必要とする分野では、「学知とモラル」が問われる。研究者ひとりひとりが、人類学を他山の石としなければならない。