金澤周作『チャリティの帝国-もうひとつのイギリス近現代史』岩波新書、2021年5月20日、231+26頁、860円+税、ISBN978-4-00-431880-4

 1980年代前半に、はじめてアメリカに行って、大統領夫人が何度もテレビでアフリカの子どもたちへの募金を呼びかけているのを観た。アフリカの貧困の一因はアメリカが主導する「国際秩序」の結果で、そのアメリカの大統領夫人が、その「失敗」を覆い隠すように募金を呼びかけていることに、なんともいえない違和感を感じた。当時は、本書にも登場するエチオピア飢饉(1983-85年)の最中であっても、ここまで子どもたちの危機的状況を招いた責任は、アメリカにもあるのではないかと思っていた。このなんともいえない違和感の一端が、本書を読んですこしわかったような気がした。

 本書の概要は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「弱者への共感と同情が生んだ無数のチャリティと、それらを組み込む重層的なセーフティネット。本書はイギリスをその「善意」から読み解き、独特の個性に迫る。産業革命、帝国の時代、二度の大戦、そして現代へ。海を越え、世界を巻き込む激動の中で、長い歴史に立脚し、社会の錨として働き続けるチャリティの光と影を描く」。

 著者、金澤周作は、各章末の「小括」など節目に、つぎの3つの気持ちを軸にしてイギリス近現代史を描いている:「困っている人に対して何かをしたい。困っている時に何かをしてもらえたら嬉しい。自分の事ではなくとも困っている人が助けられている光景には心が和む」。著者のねらいは、「チャリティという現象を軸にイギリス近現代史を描いてみることによって、新しいイギリス像を提供するとともに、日本に生きる私たちがチャリティ的なるものとの向き合い方を考え直すきっかけともしたい」ということである。

 本書は、はじめに、全5章、おわりに、あとがき、などからなる。時系列的に、前近代から現代まで、ブリテン島本土を中心に「帝国」的視点を加えて、論述している。

 はじめに「日本から見たイギリスのチャリティ」は、「チャリティの帝国を描く」の見出しの下、つぎの文章で結んで、読者を本書へと誘っている。「どうやら、イギリスは思っていた世界とずいぶん異なる様相を呈しているらしいことが見えてきた。ではなぜ、イギリスの人々は国内のみならず世界中の諸問題に対して自発的に取り組み、莫大な金と多くの労力と時間を捧げてきたのか。なぜイギリスはチャリティが当たり前の社会であるのか、そして、イギリスの近現代史にとってチャリティが当たり前であることにはどういう意味があったのか。本書では近現代イギリスを「チャリティの帝国」として描く。世界ににらみをきかせ、政治的、経済的、軍事的、文化的に圧倒的な影響を及ぼした「大」英帝国史には出てこない、もうひとつの帝国の歴史を振り返りながら考えてゆこう」。

 そして、おわりに「グローバル化のなかのチャリティ」は、つぎの文章で結んでいる。「かつてウィンストン・チャーチルは、「民主政は最低の統治形態である。ただし、これまでに試された他のすべての統治形態を除いて」と述べたが、チャリティ的なるものにも同様の指摘をすることができる。世界にさまざまな社会問題を解決・緩和する手段として、どうしても自己本位で恩着せがましくなってしまうチャリティは、「最低の救済形態」かもしれない。しかし、福祉国家も社会主義国家も国家主導の国際援助も理想的な形では機能し得ないのであれば、そして、自活か破滅かを引き受ける孤立した個人も、境遇を同じくして水平的な紐帯で団結する集団も、どちらも持続不可能なら、ほどほどに個人主義的で集団主義的な人間にとって、チャリティほど歴史に鍛えられた、チャリティよりましな柔軟で現実的な仕組みを、まだ私たちは知らない」。

 チャリティを軸にしたイギリス史は、近代史を専門とする著者が、時間的に「前近代からの脈略や、現代への展開」へと広げ、空間的に「広大な「帝国」や「世界」でのあらわれを、一つの図柄に落とし込」んだだけではない困難をともなった。チャリティは、当然のことながら与え手と受け手の両方がいて成り立つ。ところが、史料は与え手に圧倒的に偏っている。「与え手側が代弁したり再構成した括弧付きの経験の記録であり、往々にしてそこには与え手の持つ偏見が色濃く反映している。受け手の主体性がかいまみえる無心の手紙も、与え手の設定したルールに制約されているという意味で、そこから受け手のリアルな経験あるいは本音を引き出すことは容易ではない。歴代の与え手たちも、受け手の経験や思いについては(はなから考えないか)想像するしかなかったのである。ただ、この想像力こそが、他者に対する「共感」や「同情」の条件なのではないかとも思う」。

 著者は、「チャリティ」と「チャリティ的なるもの」を使いわけている。それはただたんに「やや間口を広げるため」だけではないように思える。著者は、「特別に説明の必要な人文社会科学の概念や理論をできるだけ用いないようにした」という。それは、人文社会科学だけでは語れないものが「チャリティ」にはあり、それを「チャリティ的なるもの」であらわそうしたのではないだろうか。それだけ、奥深いなにかを感じているからだろう。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。