倉沢愛子『南島に輝く女王 三輪ヒデ-国のない女の一代記』岩波書店、2021年5月13日、234+3頁、2500円+税、ISBN978-4-00-024183-0

 なにやらNHK「ファミリーヒストリー」を読むような感じで話はすすむ。違うのは、著者、倉沢愛子がひとりで、15年ほどかけて関係者を訪ね歩き、「明治の女の波乱万丈の人生」を明らかにしていったことと、なにより巻末「参考文献」リストにない10冊を超える著者の単著単行本などが背後にあることだ。

 三輪ヒデという一般に知られていない「明治の女」を主人公にした本書は、見返しでつぎのようにまとめられている。「元松前藩士の娘として明治に函館で生まれ、帝政ロシアの貴族ニコライ・グラーヴェと結婚し、オランダ領東インドで農園を切り開いた一人の日本女性。当時の新聞に「南洋に輝く女王」と称された三輪ヒデは、日本の蘭印侵略、敗戦、インドネシアの独立とナショナリズムの高まりなど、近現代史の荒波に揉まれながらも、逞しく生き抜いた。日本、インドネシア、オランダ、アメリカ-。いくつもの国境を軽々と越え、最後にインドネシアに骨をうずめたヒデ。その華麗なる足跡をたどる」。

 はじまりは、「インドネシアの文書館に埋もれていた一通の手紙」だった。それから十数年間の三輪ヒデの「一族のたどった運命を探る「探偵ごっこ」が始まった」。著者を本気にさせ、1冊の本になった経緯について、「はじめに」の最後で、つぎのように述べられている。「グラーヴェ一家のダイナミックな歩みのほぼ全容がようやく明らかになり、今回一冊の単行本としてまとめることになった。本書は、その家族の中心にあった明治生まれの日本女性、三輪ヒデに焦点を当て、口頭で得られた断片的な情報を、歴史事実と照らし合わせて検証しながら、再構成したものである。歴史の目まぐるしい変化のなかで、劇的なまでの逆境に翻弄されても、決してみじめではなく、試行錯誤を繰り返しながらも運命に立ち向かっていったその人間像を、描き出したいと思ったのである」。

 1917年のロシア革命で崩壊したロシア帝国の亡命近衛兵と結婚して9人の子宝に恵まれた「波乱の人生」は、まったく無名の人びととの市井の話ではない。レスリングを愛好していた白系ロシア人の夫はレスラーとして活躍した。末娘は「ミス・インドネシア」になり、その娘はスカルノ家に嫁いだ。死にさいしては、親交のあったデヴィ夫人もお悔やみに駆けつけた。著者が三輪ヒデに引きつけられたのは、裏表紙にある「ファッショナブルな」写真、見返しにある「カリフォルニア時代」の写真を見ただけでもわかる。さらにかのじょを取り巻く「グラーヴェ・ファミリーに魅せられ」たからである。

 「ヒデの九人の子供たちの国籍は、日本、インドネシア、オランダ、アメリカ、イタリアにわたり、二二人の孫も全世界に散らばり、そのなかには[日米貿易で百万長者になった]日本国籍のロビーさんもいる。一つのファミリーのなかで、国籍だけでなく、言語、文化、宗教、そしてもちろん各自が抱くアイデンティティーも多様である」。

 これらの子や孫の自由奔放さは、三輪ヒデの生き様からよく理解できる。著者は、「あとがき」でつぎのように総括している。「この一家は、ロシア革命、日本のインドネシア占領統治、インドネシアの独立をめぐるオランダとの長い闘い、植民地から追われる旧支配者たちの引き揚げなど様々な歴史の重要な断面で、その生活を大きく揺さぶられている。ある意味で、政治や国際関係に人生を翻弄されたのであるが、それに負けずに、そこから常に強く立ち上がってきた」。「歴史の重みを痛感」せずにはいられない。

 なかでも、女性たちの力強さには圧倒される。三輪ヒデを含め、かのじょたちの何人かは離婚を経験している。離婚された男性に焦点をあてれば、かのじょたちの力強さは、さらに際立つ。

 現在わたしの所属する研究科には、この一家のような状況のなかで生まれ、育った多くの学生がいる。時代を先取りした一家の歩みから、現代を生きるわれわれは多くのことを学ぶことができる。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。