早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

ウルベ・ボスマ著、吉嶺英美訳『砂糖と人類-2000年全史』河出書房新社、2024年9月30日、516頁、3900円+税、ISBN978-4-309-22931-7

 これまでフィリピンやインドネシアの砂糖の歴史について学術的に学んだつもりでいたが、それはほんの1断片にすぎなかったことが、本書を読んでわかった。

 著者が言わんとすることは、本書「はじめに」から抜き出したものが、つぎのように表紙見返しにある。「2000年以上にわたる砂糖の歴史は、地球的規模の驚くべき物語であり……人類は何世紀もかけて製糖技術を完成させ、高度な産業的、商業的目標を達成するために化学的奇跡の謎を解き明かしてきた」。「砂糖が今、広く行きわたっていることは進歩の証だが、同時にそれは人間の搾取、人種差別、肥満、環境破壊といった負の側面ももたらした」。「砂糖は比較的最近誕生したものであり、私たちはまだそれをコントロールする術も、砂糖を昔のような「甘い贅沢」に戻す術も学んでいないのだ」。

 つづけて、読者代表として、「訳者あとがき」から、つぎのような文章が抜き出されている。「本書の特徴は、砂糖そのものの歴史や製糖技術の発達のみならず、砂糖が政治に与えた影響や、プランテーションが生んだ砂糖ブルジョワジー、製糖業者が支配する強力な砂糖資本主義といった点からも、砂糖を語っているところだろう。また、カリブ海の島々やブラジルなどの一般的によく知られる砂糖生産地だけでなく、インドの農民による製糖やジャワにおけるオランダの強制栽培制度、日本植民地下の台湾製糖の発達など、アジアの砂糖生産についてもバランスよく語られ、全世界の砂糖の歴史を俯瞰して見ることができる」。

 訳者は、翻訳家で研究者ではない。このような大きな歴史の翻訳には、研究者ではないほうがいいだろう。研究者は小さなことにこだわって、なかなか先に進めない。完成すれば原著よりいいものになることもあるが、完成しないこともある。本書でも、たとえばジャワの強制栽培は、ほんの一面をあらわしただけで正確ではないという研究者もいるだろう。だが、長文の訳注を付けるわけにもいかない。

 著者は、「謝辞」の冒頭で、ある意味で「共同研究」の成果であったことを、つぎのように強調している。「二〇〇一年、アムステルダムに少人数の研究者が集まった。インドネシア、キューバ、オーストラリア、プエルトリコ、そしてアメリカとオランダから集まった学者たちだ。私はこのワークショップの主宰者のひとりで、主賓はシドニー・ミンツ教授[『甘さと権力-砂糖が語る近代史』筑摩書房、2021年の著者]だった。ワークショップの目的は、アジアの製糖とアメリカ大陸の製糖という、地理的にも学問的にも遠く離れた分野をそれぞれ研究する歴史家のあいだで対話を始めるというシンプルかつ野心的なものだった。ミンツ教授は私たちに、砂糖の歴史はこれまで大西洋を中心に書かれてきたが、その「バランスを見直して」みたらどうかと促した。それは、ほぼ全世界を横断する私の想像の旅にとって最高のスタートとなった」。「その旅の途中、私は砂糖のほぼすべての側面において、最高の学識を持つ人たちに頼ることができた。また、その旅は孤独なひとり旅でもなかった」。

 本書は、はじめに、時系列に全14章、おわりに、謝辞、訳者あとがき、などからなる。各章のタイトルは、つぎの通りである:第1章「アジアの砂糖の世界」、第2章「西へ向かう砂糖」、第3章「戦争と奴隷制」、第4章「科学と蒸気」、第5章「国家と産業」、第6章「なくならない奴隷制度」、第7章「危機と奇跡のサトウキビ」、第8章「世界の砂糖、国のアイデンティティ」、第9章「アメリカ砂糖王国」、第10章「強まる保護主義」、第11章「プロレタリアート」、第12章「脱植民地化の失敗」、第13章「企業の砂糖」、第14章「自然より甘い」。

 世界史がヨーロッパ史・ヨーロッパ拡張史ではなくなるのか、グローバル史が資本主義発展史ではなくなるのか、日本語訳の「全史」とはなになのか、などなど、多くのことを考えさせられる本である。「そのすべてを語る決定版!」ではなく、その第一歩になる書だろう。世界中から研究者が集まったとしても、その多くが欧米で教育を受け、近代欧米で発達した理論を使うなら、欧米中心史観から脱することは容易ではなく、長い年月がかかる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

佐久間亜紀『教員不足-誰が子どもを支えるのか』岩波新書、2024年11月20日、234+3頁、960円+税、ISBN978-4-00-432041-8

 佐賀市のある小学校に戦争記念碑があるというので、写真を撮りに行った。ちょうど昼休みで、校庭にはたくさんの児童がいて、それを見守る人がいた。先生だと思い、校門を開けてほしいと声をかけた。記念碑を撮影するために、教頭の許可が必要と思い、職員室はどこかと訊ねたところ、知らないという。年長の児童に訊いて案内してもらった。記念碑を撮影して帰ろうとしたときに昼休みが終わり、「見守る人」も自動車で帰るところで、いっしょに校門を出た。この「見守る人」は、いったいだれだったのだろうか。

 教員不足に気づいたのは、20年ほど前に大学院生に非常勤の依頼が来たときだった。教職免許をもつ大学院生にアルバイト感覚で来てほしいというものではないようだった。片手間にできるようなものではなく、研究に専念できないと感じた。学生の教育実習を引き受けてくれる学校に、「様子見」に行くのも大学の全学教務委員の仕事で、なんとなく教員不足を感じたが、それも十数年前のことで、本書に書かれているほど深刻だとは思わなかった。

 表紙見返しの本書概要は、つぎのことばではじまっている。「新学期に担任の先生がいない、病休の先生の代理が見つからない……。そんな悲鳴が全国の学校で絶えない」。つぎのようにつづいている。「少子化にもかかわらず、事態が深刻化するのはなぜか。過密化する業務、増大する非正規、軽視される専門性など、問題の本質を独自調査で追究。教育格差の広がるアメリカの実態も交え、教育をどう立て直すかを提言する」。

 本書は、著者が「タコツボ化した研究領域から飛び出して、教育政策や行政に関する研究と、教育実践や教職に関する研究とを切り結び、少しでもこの問題の解決に貢献しようと取り組んできた」成果で、「以下三点が本書のオリジナリティである。まず、教員を配置する側からではなく、教員を配置される学校現場の側、つまりは子どもと教員の立場から、教員配置政策について論じた。また、この問題は教育の問題であるだけでなく、広く社会の根幹に関わる問題でもあると考え、できるだけ多くの人々に理解していただけるような言葉で表現するよう努めた。さらに、私の専門とするアメリカとの比較の視点を取り入れた」。

 本書は、はじめに、全8章、おわりに、などからなる。まず、第1章「教員不足をどうみるか-文科省調査からはみえないもの」では、「教員不足とはいったい何のどんな状態のことなのか、文科省の定義がどのような混乱を生じさせているのかを整理し、教員不足の再定義を試みた」。第2章「誰にとっての教員不足か-教員数を決める仕組み」では、「必要な教員数がどのように決定されるのかの仕組みを読者の皆さんと共有し、立ち位置によって教員不足がまったく異なってとらえられることを明らかにした」。第3章「教員不足の実態-独自調査のデータから」では、「第1・2章の検討を踏まえて、ある自治体を対象に佐久間研究室が実施した調査データにもとづきながら、学校内で子どもたちが経験している教員不足の実態を明らかにした」。

 第4章「なぜ教員不足になったのか(1)-行財政改革の帰結」と第5章「なぜ教員不足になったのか(2)-教員改革の帰結」では、「なぜ、どのようにして、これほど深刻な教員不足が日本にもたらされたのか、この二〇年の経緯を明らかにした」。そして第6章「教員不足をどうするか-子どもたちの未来のために」で、「いったいいま、どのような対応が求められるかについて、私なりに具体的な提言を行っている」。

 「しかし現実的には、大幅に教育予算が増える将来は見通せない」。それゆえ第7章「教員不足大国アメリカ-日本の未来像を考える」では、「このまま教員不足問題が放置されると、いったい日本社会はどうなってしまうのかを、アメリカの公立学校の現状を手がかりに考えた」。最後に第8章「誰が子どもを支えるのか-八つの論点」で、「私たちが今後進むべき中長期的な方向性について、論点を整理した」。

 「日本は二〇〇九年の時点でさえ、データのある先進国で最も少ない教職員数しか配置していなかった」。「もしも今後、日本がさらに教員数を削減するのなら、子ども一人あたりの教員数は、世界でも類例をみないほど少ない国になる」。この事実を踏まえて、整理した8つの論点は、つぎの通りである。①「教員数の地域格差をどこまで容認するか」、②「IT技術は教員の代わりになりうるか」、③「教員数の決定方法をどうするか」、④「教員の待遇をどうするか」、⑤「教員の数をどう確保するか」、⑥「教育予算をどうするか」、⑦「今後も公務員数を削減し続けるのか」、⑧「ケア労働を社会にどう位置づけるか」。

 そして、第8章をつぎのパラグラフで結んでいる。「教員不足対策はまさに現在進行形の政策であり、本書で記したデータや政策状況は、読者がこの文章を目にしているときには変化していることと思う。それでも、本章で記した大きな論点については、今後長い時間をかけてしっかり議論される必要があることは変わりないだろう」。

 さらに、「おわりに」で、つぎのように本書の「貢献」を述べている。「社会的価値・経済的価値・個人的価値のどれもが重要だと認めたうえで、近年の日本では教育の社会的価値に対する認識が弱くなりすぎているという立場に立つ。つまり私は、公立学校はみんなのものであり、民主主義社会を築くための公共財であるという考えに立ち、そのうえで公立学校の教員不足の問題を考えようというスタンスをとっている。経済最優先の今の日本社会では、この議論の前提そのものが支持されないのかもしれない。しかしそれでもなお、議論や改革の前提そのものが異なるのだという共通理解が生まれるのなら、それが多少なりとも本書のなし得る貢献なのかもしれないとも思う」。

 人手不足の問題は教員だけではない。日本社会全体の問題であり、外国人労働者でそれを補うというような場当たり的対応ではどうにもならないことに多くの人は気づいているだろう。教員の多くが定年後も働くのはいいが、責任を課せられ疲れ果ててやめていく。定年後に相応しい職場がないために、まだ使える労働力を活かしていない。とくにこれまでの正規雇用だった教員は定年後経済的に多少ゆとりがあるため、あえて「しんどい」職場で働く必要はない。非正規でまかなうなら、非正規が働きやすい環境が必要である。教員だけでなく、日本の労働資源をどう有効に使うかを考える必要がある。多少年金が増えるより、持続可能な労働環境を調えるほうが、心身ともに健康にすごせるはずだ。たとえば、収入に余裕のある人には、労働に応じて医療・介護、それらの保険に使えるポイントを与えるのも、ひとつの案かもしれない。

 なにより疑問に思ったのは、「独自調査で検証」を強調していることだ。つまり文部科学省が実態を把握していないか、把握していても公表していないことだ。実態を透明化することによって、知恵を出しあい、解決へと向かうはずだ、と考えるのは「実態」を知らない素人考えなのだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

ティルタンカル・ロイ著、小林和夫訳『モンスーン経済-水と気候からみたインド史』名古屋大学出版会、2025年2月10日、203+31頁、3600円+税、ISBN978-4-8158-1176-1

 著者は、「ヨーロッパで生じた何らかのポジティヴな要因が貧しい国々ではみられなかった」理由として、「これらの社会があまりにも後進的であったか、それらの地域を支配していたヨーロッパの帝国主義者が西洋文明の恩恵を与えなかったからだ」という「陳腐な説明を否定」し、つぎのようにことの本質を説明している。

 「私は、より長い寿命をもたらした活力を、経済的台頭の第一条件と呼ぶ。インドは、近代の飢饉の時代前後から、この条件を満たしはじめた。水不足が緩和されたことで、飢饉や病気が減少した。このような大きな改善があったにもかかわらず、制御可能な水へのアクセスの進展は限定的で、集約農業は十分に拡大しなかった。耕作地の生産性は低いままで、平均所得の曲線も横ばいであった。それでもなお、水の影響力を変えることで、インド人は、ヨーロッパにはみられなかった問題を解決したのである」。その証拠に、1950年代前半に3億台だった人口は、それから50年近く毎年2%以上増加し、2020年には14億を超えた。

 帯には、つぎのような本書の概略が載っている。「水への安定したアクセスなしに、熱帯アジアの持続的な経済発展はありえなかった- 飢饉やコレラとの闘い、井戸をめぐるカースト間の対立、失業と停滞を生む乾季への対処など、過酷な環境との交渉を彩り豊かに描き出し、新たな発展のモデルを提示する」。

 本書は、3つのタイプの読者を想定して書かれている。「一番目のタイプは、経済成長や不平等を説明するという課題に関心のある読者である」。「二番目のグループは、経済発展の持続可能性を議論することに関心のある読者である」。「三番目のターゲットは、近代インドの興隆に関心のある読者である」。

 なかでも、一番目のタイプにかんしては、本書の核心に触れるため、つぎのように説明している。「経済史家は、国家間の比較によって、近代世界における経済成長の根源を発見しようとしている。彼らの用いる理論のほとんどは、西ヨーロッパの経験にもとづいている。その理論では、一九世紀のヨーロッパにおいて経済上の大転換をもたらした諸要素が、なぜ世界の他地域では見られなかったのかが問われる。しかし、世界各地の地理的条件が不均衡なものであれば、この方法はあてにならない。熱帯モンスーン地域の初期条件はヨーロッパや北米と異なっていたため、ヨーロッパ人やアメリカ人にとって解決の必要性があった問題とは異なる問題を解決することで、経済成長に到達できたのである。その問題とは、清潔な水への安定したアクセスの確保、そしてモンスーンの季節性への対処である」。

 本書で強調したい5つのポイントは、序章にあたる第1章「なぜ気候が重要なのか」の最後で、本書の構成の前につぎのようにまとめられている。「第一に、熱帯モンスーン気候では、経済成長と人口成長は水の安定的供給に依存している。一九世紀インドの乾燥地における貧困と飢饉は、水供給の不安定さに起因していた。第二に、安定的供給を実現するための措置は、この地域に集約農業、都市化、そして死亡率の低下をもたらした。第三に、水不足の世界において、水の不安定な供給に対処するために採用された手段は、持続可能性を損ない、水ストレスを高めた。第四に、一九世紀以降、水へのアクセスに対処する新たな手段が出現したのと並行して、似たような形で(また部分的にはこれらの手段ゆえに)、労働力と資本の労働シーズン間の移動性を高める一連の措置が講じられた。これらの措置もまた、コストをともなうものであった。第五に、このストーリーは、さまざまな種類の環境悪化に直面した世界の経済史をどのように描くべきなのか、という教訓を与えてくれる」。

 本書は、全8章、訳者解説などからなる。著者は、第2章以下をつぎのようにまとめている。「私は、六つの章にわたって物語を進めてゆく。まず一八八〇年以降、一連の人為的行為が人口変化と経済変化にかんする気候的制約を緩和したことを示したうえで、残りの部分では、これらの行動とは何であったのか、なぜそれらが一九世紀後半に現れたのか、そしてどのようなコストがかかったのか、ということを探求する。私は、一九世紀後半の飢饉救済政策が「水の飢饉」を季節条件の一つとして定義し、水に対するパブリック・トラスト(公共信託)を導入したことを示す(第2章[水と飢饉])。第3章[水と平等]は、社会的に公認されてきた窮乏の諸形態を批判した政治運動に注目する。第4章[公共財への道]は公的な介入、第5章[都市における水]は都市、そして第6章[水のストレス]は水ストレスを検討する。第7章[季節性]は季節性を扱う。最終章である第8章は「モンスーン経済」と題して、比較史研究に対するインド史の含意を探る」。

 その第8章では、まず要約し、つぎのような「教訓」を主張している。「本書には、方法論上の含意もある。私が主張したいのは、そもそもなぜ地理が意味をもつのかを知ることが重要であるということだ。そしてそれは、環境の変化と経済成長の持続性を理解し、議論する方法にかんしても大きな意義をもつ」。

 インドには、ヨーロッパとは違う意味での経済発展があり、水の重要性をつぎのようにまとめ、さらなる問いを発している。「水の制御をパフォーマンスの基準とすべきだという提案は、ヨーロッパ・アジア間の不毛な比較からグローバル経済史を解放し、より乾燥した地域間での比較を可能にする。たとえば、世界の蒸発量マップをみると、乾燥した熱帯地域、いわゆるモンスーン・アジア、そして南アジアやサヘルのような熱帯モンスーン地域は、水の制御能力という点でいくつかの類似点や相違点を共有していることがわかる。これらの地域の経済〔発展〕径路も異なっていたのだろうか。これらの径路には、相違点よりも類似点の方が多かったのだろうか。その相違点は地理的条件に由来していたのだろうか。植民地主義やグローバル化は、これらの地域に異なる影響を与えたのだろうか、それとも同様の影響を与えたのだろうか」。「さらに本書には、ストレスと持続可能性にかんする議論に対するメッセージがある」。

 そして、つぎのパラグラフで本書を閉じている。「水へのアクセスと人間の自由が同等であるというこの考え方は、熱帯モンスーン地域における持続可能性が多くの活動家の認識よりもはるかに複雑な問題であることを示唆している。彼らは、温室効果ガスや過剰消費に執着するあまり、水にかんする異なる種類の課題に気づいていない。乾燥地域では、厚生と環境との間でトレードオフが生じる。水ストレスにさらされている人びとに対して消費を減らすように求めることは、問題への説得力のある解決策にはならない。協同や規制が必要なのはもちろんであるが、たとえば点滴灌漑などを背後で支えている、科学や資本主義も必要なのである」。

 いくらアジア人研究者が増えても、ヨーロッパ中心史観はなかなか消えない。多くのアジア人が欧米豪などヨーロッパ語圏で学び、知らず知らずのうちにヨーロッパ中心史観に染まるため、学校教育で教える「世界史」はヨーロッパ中心史観そのものになる。アジア中心の「世界史」や「グローバル史」はなかなか登場しない。本書は、そんなヨーロッパ中心史観に挑戦した書である。こういった事例を積み重ねて、やがてはヨーロッパ中心史観ではない歴史が登場することになるのだろうか、期待したい。そのためにも、インドだけでなく、さらに広げて論じることが必要で、そのことは著者も重々承知しており、「訳者解説」につぎのように書かれている。「本書では基本的に南アジアを対象とした議論が展開されているが、著者はその後さらにスケールを広げ、インド以外の熱帯の乾燥地域も視野に収めた研究を進めており、まもなく水と経済発展の関係を論じる単著を刊行する予定である」。

 水という貴重な資源が豊富にあるということに気づいていない日本人には、すこしわかりにくい議論かもしれない。

 ちなみに、インドは2023年9月に国名を「バーラト」に変更した。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

↑このページのトップヘ