早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

小野圭司『太平洋戦争と銀行-なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか』講談社現代新書、2025年11月20日、270頁、1050円+税、ISBN978-4-06-541706-5

 副題の「答えの一つは、金融による「国力の水増し」にほかならない」と「まえがき-国力水増しの舞台裏」にある。そして、「あとがき」で、つぎのようにまとめている。「銀行は、ある意味でバランスシートの上に立つ形而上的な存在で、とにかくリスクを嫌う。銀行員にとってリスク回避はまさに金科玉条で、その最たるものが戦争だ」。「銀行制度は「国力の水増し」を可能とし、それによって近代戦争の規模が拡大した。しかしその背後で銀行は、莫大なリスクを抱えていた。それが負け戦であればなおさらである」。「太平洋戦争では、そのリスクはバランスシートの枠を大きく飛び出した。それは長い時間をかけて収束し、やがて清算される。本書は、その放物線を彷彿させる軌跡を描いたものだ」。

 キーワードのひとつは、バランスシートのようだ。学生時代に使っていた1980年代出版の『岩波 経済学小辞典』を引っ張り出してみた。「貸借対照表」の項目は、つぎのように書き出していた。「企業の一時点における資産・負債・資本の在高(ありだか)を一覧表の形で示したものである。これにより企業の財政状態または財産状態が明らかにされる。それは、通常、企業が受け入れた資本を株主からの資本と債権者などからの負債とに分けて貸方(かしかた)に記載し、その資本の運用形態を各種資産として借方(かりかた)に記載して、両者を比較対照させる形式をとるところから、貸借対照表と呼ばれる」。

 つまり、「戦争のからくり」は、「銀行員たちの血と汗と涙の奮闘」の帳尻あわせの結果、「国破れてバランスシート」が残ったということのようだ。この帳尻あわせは、実際に銀行勤務した者にしかわからないだろう。著者は、1988年に住友銀行に入行し、「横浜支店開設九〇周年事業」に携わり、97年から防衛庁防衛研究所に勤めている。

 本書は、まえがき、序章、時系列に全5章、終章、あとがき、などからなる。本書の概要は、「まえがき」の最後で、つぎのようにまとめられている。「本書では戦時銀行体制の中でも少し視点を変えて、「舞台裏」に焦点を当てる」。「この舞台裏は多岐にわたる。地理的な場合もあれば、制度的、さらには業務的な周辺部分もある。具体的には植民地や占領地での銀行業、硬貨の造幣や紙幣の印刷、また現金の確保や輸送、銀行店舗の閉鎖・避難などだ。道草として、戦後の占領軍経費負担にも目を向けてみたい」。「銀行員たちは勝利を信じて軍を支え、敵に追われながら軍の金庫番も務め上げた。そして終戦を迎えると、戦争で途方もなく膨らんだ有形・無形の負債の清算を余儀なくされる。彼らは敗北が明らかになっても、「信用維持」という銀行業に携わる者としての矜持を手放さなかった。さすがのアインチヒも、そこまでは思いもよらなかったであろう」。「あちらこちらに散在する断片的な物語を繋ぎ合わせると、戦時に「国力の水増し」を担った銀行体制の新しい輪廓が浮かび上がる。この姿を辿りながら八〇年前の戦争、そして戦後を振り返ってみることにする」。

 序章「風雲高まる」で取りあげられたのは、「(一)植民地では」台湾銀行(台銀)と朝鮮銀行(鮮銀)、「(二)国際金融の舞台でも」では横浜正金銀行(正金銀行)と国際決済銀行(BIS)である。

 「台銀は一八九七年四月に公布された「台湾銀行法」に基づく特殊銀行だ。設立時には資本金の五分の一は政府出資で、株式会社の形態をとっていた。このため特殊銀行の代表者は一般に「総裁」だが、台銀のそれは「頭取」だった」。「台銀は中央銀行として、金本位の台湾銀行券(台銀券)を発行した。同行は商業銀行として一般企業への融資も行い、台湾の主要産業であった製糖と樟脳製造への長期事業資金を提供した」。「そして日華事変・太平洋戦争を迎えた台銀は、戦線の拡大に合わせて中国大陸や東南アジアで店舗網を展開した」。

 朝鮮銀行は、つぎのような経緯をたどった。「日韓併合の前年である一九〇九(明治四二)年一〇月に、日本主導の下で中央銀行となる韓国銀行が設立された。日韓併合(一九一〇年八月)の翌年八月に、朝鮮銀行に改称する」。「台銀と同様、鮮銀も中央銀行であると同時に、商業銀行としても機能していた」。「鮮銀は日本の進出とともに朝鮮半島から満洲へ活動の場を広げ、さらにはシベリア出兵に伴いシベリアや北樺太にも店舗を展開して、そこでも通貨(鮮銀券)を発行した」。

 「正金銀行は一八八〇(明治一三)年二月に開業し、一八八七年七月に「横浜正金銀行条例」の公布で特殊銀行となった」。「正金銀行の設立時資本金の三分の一は政府出資であった」。「正金銀行は欧米の他、中国大陸、朝鮮、台湾、東南アジアなどに支店を拡充し、日本の大陸政策や植民地経済と深く結びついた。そして一九二〇年代には」、「世界三大為替銀行としての地位を確立した」。「また中央銀行である日本銀行は国外に支店を持たないことから、日銀の対外取引は正金銀行を通じて行われた。したがって両者は、国際金融取引では深い関係にあった」。

 国際決済銀行は、「一九三〇年五月にスイスのバーゼルに開設された。第一次大戦後、ドイツの賠償金支払いを円滑に処理することが主な設立目的であり、各国中央銀行の協調を進める常設機関としての性格も持たされていた」。「主要出資国として日本はBISの理事派遣の権利を有していた」。「日本のBIS理事席は第二次大戦中も変わらず維持され、独伊などの同盟国を除く欧米諸国との数少ない接点となった」。

 「無謀な戦争」を支えた銀行は、敗戦とともにその「任務」を終えることはできなかった。第五章「戦争の後始末」として、「回り始めた占領政策」のなかで「接収と業務移管」をおこない、「行員・家族の引き揚げ」を推進しなければならなかった。さらに、終章「諸行無常と万古不易」では、「引き続く「戦後」」としての「在外預金などの支払い」「閉鎖機関の清算」とつづくことになった。満洲中央銀行の清算は1953年、鮮銀は57年、正金銀行は64年に終了した。

 いまオークションを見ると、数百円の手ごろなものから数十万円あるいはそれ以上のレアなものまで、軍票など戦争中に発行された紙幣が並んでいる。本書を読むと、戦争中に無数の貨幣・紙幣が発行されたことがわかる。流通しなかったものもある。その実態をいちばん知っているのは、古銭商かもしれない。本書は、遺品整理などでとんでもないものが出てくるかもしれないと期待を抱かせる1書でもある。

 それにしても「決死の覚悟で駆け巡」り「近代戦争の規模を拡大」させたことの意味と、その結果を、戦後に真剣に考えたバンカーはいなかったのだろうか。淡々と書かれている本書からは、それが見えてこなかった。そのようなバンカーが何人かいて回想録を書いていれば、本書もまた違ったものになっていたかもしれない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

佐野雅昭『日本漁業の不都合な真実』新潮新書、2025年12月20日、217頁、900円+税、ISBN978-4-10-611109-9

 著者は、「京都大学法学部時代、当時中曽根政権のブレーンだった高坂正堯先生の下、アメリカの現代政治を中心に国際政治学を学びました」。「卒業後は銀行員としてバブル期前夜の東京都心で働きました」。「ちょうど「地上げ」が横行した頃です」。「お金では解決できず深刻化している環境問題や食料問題への関心が筆者の中で強くなりました」。「食料産業の中でも自然と人間が直接ぶつかり合う現代唯一の原始産業、漁業への興味が膨らみました」。「太古から変わらない人類の営みである漁業を一から学ぶため、銀行を辞して再び大学へと戻ることにした」。「東京水産大学(現東京海洋大学)の大学院修士課程に入り、水産生物と漁業経済の両方を学びました」。「大学院を修了した後は水産庁に勤務し、さらに東京水産大学、鹿児島大学水産学部で学究生活を続けていますが、なんとしても日本の漁業と魚食文化を守りたい、このまま未来に遺したいという気持ちはますます強くなっています」。

 その気持ちを、この略歴を語る前に、つぎのように記している。「漁業・養殖業の生産量減少とその背景にある漁業者の減少、中国や台湾などとの国際的な漁獲競争の激化、気候変動と温暖化がもたらす漁場や魚種の変化、さらにはコロナ禍の影響による貿易量の縮小や円安がもたらすエネルギーコストの上昇、ロシア・ウクライナ戦争がもたらす世界的な食料不足の深刻化、そして何より私たち日本人の水産物消費量の縮小など、日本漁業と私たちの食卓をとりまく環境は厳しさを増すばかりです。前著『日本人が知らない漁業の大問題』(新潮新書)を踏まえ、日本漁業の最新状況をひもときながら、持続可能な日本漁業と日本人の魚食の未来をもう一度考えてみようと思います」。

 本書は、まえがき、12の問いかけ、あとがきからなる。序にあたる、「1 なぜ今になって「海業」復活なのか」では、「バブル崩壊で挫折した「海業」」の復活を、つぎのようにまとめている。「現代の「海業」はどうかと言えば、漁業を漁業でないものに置き換えることで「儲かる」ものにし、漁村を漁村でないものに置き換えることで「市場経済」の中で存続させようというリバタリアニズム的発想に見えます。まさに「市場経済に埋め込まれた漁村」への作り替えです。宇沢[弘文]ならこう主張したでしょう、社会的共通資本である漁業や漁村の全体的「営み」を市場経済から切り離し、そのままの形で次世代に継承し、そのためのコストは社会全体で負担すべきだと。どちらが妥当か、順を追って説明していきます」。

 以下、10の問い(「世界的な食料不足に日本は対処できるのか」「なぜ漁業が食料安全保障の切り札なのか」「温暖化によって水産資源はどう変わるのか」「メディアが騒ぐ「乱獲」「資源減少」は本当か」「急伸する中国漁業、日本は競争に耐えられるのか」「減少一途、担い手を確保できるのか」「若者世代の魚食はどう変質したのか」「法改正と政策転換で日本漁業は再起できるのか」「養殖業はほんとうに成長を期待できるのか」「「養殖サーモン」はなぜ世界で成功したのか」にこたえ、結論となる「12 日本人は魚食文化を守れるのか」には、つぎのようにこたえている。

 「漁民と行政が協働して取り組んできた資源管理の努力の成果で、全体としてみれば資源量は依然として豊富です。他国にはない強みである「漁業」を上手に生かし、必ず訪れる食料「有事」を日本独自のやり方で解決していく前向きなチャレンジが必要な時代です。未来の子供たちが美味しい魚をお腹いっぱい食べられるよう、いまこそ漁業を見直すときだと筆者は思います」。

 そして、「あとがき」を、つぎのパラグラフで結んでいる。「水産物は未知の海と人類を繋ぐ素晴らしい食料です。漁業は海という自然そのものと人間社会を繋ぐ唯一の産業です。水産物と漁業を謙虚な視点で見つめ直すことで、現代社会の歪みを直視し、一人一人の生活をより豊かなものにしていくことができるはずです。素晴らしい海と漁業を日本社会の基盤として守り、ありのままに未来に遺さなくてはなりません。前著と本書を通じて、一人でも多くの方に水産物と漁業の大切さが伝わることを祈っています」。「願っています」ではなく、「祈っています」で終わっている。

 銀行、水産庁での経験を踏まえ、著者は日本漁業の問題を明らかにし、柔軟に対処しようとしている。歴史的に、日本だけでなく世界の近代漁業は国家戦略と絡み、多額の国家予算が使われ、軍まで出てきて護られてきた経緯がある。近代日本も、東・東南アジア海域で侵略的掠奪漁業をおこない顰蹙を買った。現在の中国漁業も、日本漁業の歴史から考えるとよくわかる。また、本書では海洋漁業中心に語られているが、淡水漁業も考える必要があるだろう。日本は海だけでなく、河川湖沼にも恵まれている。海よりはるかに安全で、人材も得やすいのではないだろうか。現在の日本だけでなく、歴史や世界に目を向けると、もっといろんなアイデアが浮かんできそうだ。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

松尾恒一『倭寇・海商・華僑-海はいかにして歴史をつないだか』ちくま新書、2025年11月10日、254頁、920円+税、ISBN978-4-480-007715-8

 「歴史の主役は「海」にあり」と帯に大書してある。だが、大方の人は、「脇役」としてしか、思っていないだろう。

 本書概要は、表紙見返しで、つぎのように紹介されている。「西洋列強の進出、信仰の伝来、生活文化の変容-世界をつなぎ歴史を更新してきたのは、国境のない海を主戦場とする海賊や海商たちだった。日本を含む多国籍海賊となっていった「倭寇」、日本へ渡り外国の文化を伝えた「海商」、日本の近代化に貢献した「華僑」。時に権力と結びつき、時に非合法的な方法で、彼らは荒波を乗り越え、いかにして新しい文化を届けたのか。大航海時代から現代まで、海を越えて伝えられた文化に焦点を当て、新しい視点から東アジアの歴史を描きなおす」。

 本書の目的は、「はじめに」で、つぎのように説明されている。本書の目的の一つは、「中近世の新たな国際秩序のなかでの、日本の衣食など生活文化の激変についてを考えることである。当時は新しい繊維であった木綿や、海外からもたらされたさつまいも、じゃがいも、砂糖といった新食材が日本人の生活に根づいていった」。「清国にとっては密貿易であったが、彼らがもたらす砂糖や高級シルクである生糸、絹織物、また木綿を幕府は歓迎し、日本人の生活を豊かにした」。

 本書のもう一つの目的は、「ヨーロッパの世界進出において、アフリカ大陸から連れ去られて強制労働に従事させられた、黒人をはじめとする外国人や現住民の苦難に目を向けることである」。「前近代~近代には、アフリカの人々だけでなく、中国人や日本人の多くも欧米人の奴隷にされた」。

 さらに、つぎの目的が書かれている。「パソコンやスマートフォンなどの精密機器、そして衣服は、現代の生活に欠かせないものである。これらを廉価で購入できることがありがたいことはまちがいない。しかしながら、こうした品々を、地球上のどこで、どのような人々がどのように生産しているのか。我々の生活を成り立たせているものがどこからやってきて、我々の生活が実現しているのか。材料の獲得や生産の工場、海を越えた運搬に従事している労働者まで、今日に至る歴史を意識してそうした問題に目を向けてほしいというのが、本書の目的である」。

 そして、「本書が、未来と、未来へと続く起点である現在について、「海」から見えてくる歴史に目を向けて考える契機になれば、幸いである」と、「はじめに」を結んでいる。

 本書は、3部各部2章全6章、あとがき、参考文献からなる。各部は、「Ⅰ 倭寇-世界をつないだ多国籍海賊」「Ⅱ 海商-日清・日蘭貿易と激変する世界」「Ⅲ 華僑-日本に渡った華人たち」で、各部のおわりに「結びに」がある。

 「結びに」の直前に、各部の「結論」となるものが書かれている。Ⅰは第1章「倭寇と大航海時代」と第2章「東南アジアを目指した中国海賊」からなり、第2章をつぎのパラグラフで結んでいる。「歴史的遺物などの文化遺産を保存することは、公共の記憶を伝える重要性からも現代の重要な課題である。しかしながら、グローバル化が進む状況下において、人種・宗教問題を含む地域レベルの多文化社会のあり方を模索するなかで、人類にとっての「公共遺産」をどのように認定し、後世に継承してゆくべきか、「公共」の「公」の範囲を問い直しつつ、国を超えての議論が必要な課題も少なくないだろう」。

 Ⅱは第3章「貿易はどのように行われていたのか?」と第4章「日清・日蘭貿易で激変した生活」からなり、第4章をつぎのパラグラフで結んでいる。「そうした廉価な製品は、工場従事者を低賃金で働かせるにとどまらず、非人道的で反人権的な強制労働によって実現しているのは、現代でも珍しくはない。消費者にとっては、一円でも安い商品の方が生活が助かることはまちがいない。しかしながら、製品の原材料の生産から商品の加工、工場から店舗に運ばれて販売されるまでの過程について、他人事として無関心であってはならないだろう」。

 Ⅲは第5章「清の海商から在日華僑へ」と第6章「戦後の華僑」からなり、第6章をつぎのパラグラフで結んでいる。「日本に暮らす華僑に眼を向けることは、日中交流の長い歴史にとどまらず、日本列島に日本人以外の人々の歴史があることに目を向けることの重要性に気づかせてくれる。彼らは日本にとどまらず、早くから東南アジアなどの周辺国にも移住し、ヨーロッパの大航海時代以降には、アメリカ大陸やオーストラリアなどにも進出して華人社会を形成した。世界各地の華僑社会と、日本の華僑社会との比較は、世界のなかでの日本の立ち位置を考える上でも重要な手がかりを与えてくれるのである」。

 そして、「あとがき」で、つぎのように本書をまとめてる。「本書は、東アジアの海賊や密貿易・私貿易など反社会勢力の国家間移動や経済活動によって新たにもたらされたモノが日本人の生活を激変させた影響について、日本人の海を越えた交流をも視野に入れて、その歴史を考えた書である。現在の我々の生活を支えるモノの来歴に目を向け、多くのモノが他国、特に弱い立場に置かれた人々の犠牲ともいえる労苦によって生み出されていることを考える契機になれば幸いである」。

 本書は、先行研究にフィールドワークなどで得た現在に生きる歴史を加えて、話を展開している。現在の問題を見据えての歴史で、「はじめに」の最後の「未来と、未来へと続く起点である現在」の意味が、よくわかってくる。本書で全体像をつかんだ後、個別研究をすると、さらに動き動かした人びと、それらの人びとによって動かされたモノ、これらの人びととモノを受けいれた人びとと社会、そしてその後の人びとと社会がみえてくることだろう。個別研究が多数出現することによって、本書を超える「新しい視点から東アジアの歴史を描きなおす」ものが出てくることを期待させる書である。

 「海」が主役の歴史は、現代のグローバル社会に通ずるものがある。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁(発行予定、早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、182頁(発行予定、早稲田大学リポジトリからダウンロードできるようになる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三最終セメスター「単著単行本を振り返る」
 早稲田大学早稲田キャンパス19号館608号室、17:00~
10月14日『「ベンゲット移民」の虚像と実像-近代日本・東南アジア関係史の一考察』(同文舘,1989年11月)292頁。
10月21日『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(岩波書店,2003年8月)265頁。
10月28日『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき』(法政大学出版局,2004年12月)188頁。
11月4日『戦争の記憶を歩く-東南アジアのいま』(岩波書店、2007年3月)216頁。
11月11日『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月)268頁。
11月18日『未来と対話する歴史』(法政大学出版局、2008年10月)290頁。
11月25日『未完のフィリピン革命と植民地化』(山川出版社、2009年2月)90頁。
12月9日『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年6月)170頁。
12月16日『フィリピン近現代史のなかの日本人-植民地社会の形成と移民・商品』(東京大学出版会、2012年10月)282+26頁。
1月13日『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』(岩波現代全書、2018年3月)224+22頁。
1月20日『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES・SEA GAMES 1959-2019』(めこん、2020年7月)383頁。
1月27日『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』(人文書院、2022年1月)412頁。

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