小野圭司『太平洋戦争と銀行-なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか』講談社現代新書、2025年11月20日、270頁、1050円+税、ISBN978-4-06-541706-5
副題の「答えの一つは、金融による「国力の水増し」にほかならない」と「まえがき-国力水増しの舞台裏」にある。そして、「あとがき」で、つぎのようにまとめている。「銀行は、ある意味でバランスシートの上に立つ形而上的な存在で、とにかくリスクを嫌う。銀行員にとってリスク回避はまさに金科玉条で、その最たるものが戦争だ」。「銀行制度は「国力の水増し」を可能とし、それによって近代戦争の規模が拡大した。しかしその背後で銀行は、莫大なリスクを抱えていた。それが負け戦であればなおさらである」。「太平洋戦争では、そのリスクはバランスシートの枠を大きく飛び出した。それは長い時間をかけて収束し、やがて清算される。本書は、その放物線を彷彿させる軌跡を描いたものだ」。
キーワードのひとつは、バランスシートのようだ。学生時代に使っていた1980年代出版の『岩波 経済学小辞典』を引っ張り出してみた。「貸借対照表」の項目は、つぎのように書き出していた。「企業の一時点における資産・負債・資本の在高(ありだか)を一覧表の形で示したものである。これにより企業の財政状態または財産状態が明らかにされる。それは、通常、企業が受け入れた資本を株主からの資本と債権者などからの負債とに分けて貸方(かしかた)に記載し、その資本の運用形態を各種資産として借方(かりかた)に記載して、両者を比較対照させる形式をとるところから、貸借対照表と呼ばれる」。
つまり、「戦争のからくり」は、「銀行員たちの血と汗と涙の奮闘」の帳尻あわせの結果、「国破れてバランスシート」が残ったということのようだ。この帳尻あわせは、実際に銀行勤務した者にしかわからないだろう。著者は、1988年に住友銀行に入行し、「横浜支店開設九〇周年事業」に携わり、97年から防衛庁防衛研究所に勤めている。
本書は、まえがき、序章、時系列に全5章、終章、あとがき、などからなる。本書の概要は、「まえがき」の最後で、つぎのようにまとめられている。「本書では戦時銀行体制の中でも少し視点を変えて、「舞台裏」に焦点を当てる」。「この舞台裏は多岐にわたる。地理的な場合もあれば、制度的、さらには業務的な周辺部分もある。具体的には植民地や占領地での銀行業、硬貨の造幣や紙幣の印刷、また現金の確保や輸送、銀行店舗の閉鎖・避難などだ。道草として、戦後の占領軍経費負担にも目を向けてみたい」。「銀行員たちは勝利を信じて軍を支え、敵に追われながら軍の金庫番も務め上げた。そして終戦を迎えると、戦争で途方もなく膨らんだ有形・無形の負債の清算を余儀なくされる。彼らは敗北が明らかになっても、「信用維持」という銀行業に携わる者としての矜持を手放さなかった。さすがのアインチヒも、そこまでは思いもよらなかったであろう」。「あちらこちらに散在する断片的な物語を繋ぎ合わせると、戦時に「国力の水増し」を担った銀行体制の新しい輪廓が浮かび上がる。この姿を辿りながら八〇年前の戦争、そして戦後を振り返ってみることにする」。
序章「風雲高まる」で取りあげられたのは、「(一)植民地では」台湾銀行(台銀)と朝鮮銀行(鮮銀)、「(二)国際金融の舞台でも」では横浜正金銀行(正金銀行)と国際決済銀行(BIS)である。
「台銀は一八九七年四月に公布された「台湾銀行法」に基づく特殊銀行だ。設立時には資本金の五分の一は政府出資で、株式会社の形態をとっていた。このため特殊銀行の代表者は一般に「総裁」だが、台銀のそれは「頭取」だった」。「台銀は中央銀行として、金本位の台湾銀行券(台銀券)を発行した。同行は商業銀行として一般企業への融資も行い、台湾の主要産業であった製糖と樟脳製造への長期事業資金を提供した」。「そして日華事変・太平洋戦争を迎えた台銀は、戦線の拡大に合わせて中国大陸や東南アジアで店舗網を展開した」。
朝鮮銀行は、つぎのような経緯をたどった。「日韓併合の前年である一九〇九(明治四二)年一〇月に、日本主導の下で中央銀行となる韓国銀行が設立された。日韓併合(一九一〇年八月)の翌年八月に、朝鮮銀行に改称する」。「台銀と同様、鮮銀も中央銀行であると同時に、商業銀行としても機能していた」。「鮮銀は日本の進出とともに朝鮮半島から満洲へ活動の場を広げ、さらにはシベリア出兵に伴いシベリアや北樺太にも店舗を展開して、そこでも通貨(鮮銀券)を発行した」。
「正金銀行は一八八〇(明治一三)年二月に開業し、一八八七年七月に「横浜正金銀行条例」の公布で特殊銀行となった」。「正金銀行の設立時資本金の三分の一は政府出資であった」。「正金銀行は欧米の他、中国大陸、朝鮮、台湾、東南アジアなどに支店を拡充し、日本の大陸政策や植民地経済と深く結びついた。そして一九二〇年代には」、「世界三大為替銀行としての地位を確立した」。「また中央銀行である日本銀行は国外に支店を持たないことから、日銀の対外取引は正金銀行を通じて行われた。したがって両者は、国際金融取引では深い関係にあった」。
国際決済銀行は、「一九三〇年五月にスイスのバーゼルに開設された。第一次大戦後、ドイツの賠償金支払いを円滑に処理することが主な設立目的であり、各国中央銀行の協調を進める常設機関としての性格も持たされていた」。「主要出資国として日本はBISの理事派遣の権利を有していた」。「日本のBIS理事席は第二次大戦中も変わらず維持され、独伊などの同盟国を除く欧米諸国との数少ない接点となった」。
「無謀な戦争」を支えた銀行は、敗戦とともにその「任務」を終えることはできなかった。第五章「戦争の後始末」として、「回り始めた占領政策」のなかで「接収と業務移管」をおこない、「行員・家族の引き揚げ」を推進しなければならなかった。さらに、終章「諸行無常と万古不易」では、「引き続く「戦後」」としての「在外預金などの支払い」「閉鎖機関の清算」とつづくことになった。満洲中央銀行の清算は1953年、鮮銀は57年、正金銀行は64年に終了した。
いまオークションを見ると、数百円の手ごろなものから数十万円あるいはそれ以上のレアなものまで、軍票など戦争中に発行された紙幣が並んでいる。本書を読むと、戦争中に無数の貨幣・紙幣が発行されたことがわかる。流通しなかったものもある。その実態をいちばん知っているのは、古銭商かもしれない。本書は、遺品整理などでとんでもないものが出てくるかもしれないと期待を抱かせる1書でもある。
それにしても「決死の覚悟で駆け巡」り「近代戦争の規模を拡大」させたことの意味と、その結果を、戦後に真剣に考えたバンカーはいなかったのだろうか。淡々と書かれている本書からは、それが見えてこなかった。そのようなバンカーが何人かいて回想録を書いていれば、本書もまた違ったものになっていたかもしれない。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。