早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

山口淳『軍都久留米近代都市への転換と地域の人々』花乱社、2024311日、306頁、2500+税、ISBN978-4-910038-88-9

 

 久留米市立中央図書館で見つけ、市内の書店で探したがなかった。地方に行くと地元の書店で店員に地元の書籍コーナーはないか尋ねる。ないところもあり、あっても観光ガイド本しかないところが多い。そんななかで地元で出版された本があると、その街の文化が伝わってくる。本書は、福岡市で発行されており、博多駅前の本屋にはあった。その前に、「日本の古本屋」で、早稲田の古書店にあることがわかり、「帰宅途中に受けとります」とメッセージを入れておいた。定価よりだいぶ安く購入することができた。

 本書は、久留米に生まれ育ち、久留米市の埋蔵文化財発掘調査員を定年近くまで勤め、その後6年間市立図書館に勤めた著者が、元職場の人びとの協力を得て書いたもので、久留米が文化都市でもあることがわかる。

 本書の概要は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「日清・日露戦争後の師団・聯隊増設の国策に伴い、軍隊を誘致した久留米。広大な土地の献納と多額の寄附金をもっての、官民挙げての活動の成果であった」。「建設工事や各種手配などで国・軍部の意向に時に翻弄されながらも、街は道路や通信などインフラが急速に整備され、活況を呈してゆく。そして物価高騰や地域・業種間など様々な格差、農地減少と離農、水源枯渇など〝負〟の代償も」。「藩政末期から戦後の軍部解体期まで、資料で辿る国内有数の軍都の姿」。

 本書の目的は、「はじめに」でつぎの3つであったことが書かれている。まず「全国に展開した陸海軍と地域との課題を論究していこうとする」もので、「久留米という地域が、どのように「軍都」に成っていったのか、どのように変貌したのか、ここで、今一度、軍部としての発展の具体的な姿を都市形成の観点も含めて見つめ直そうとするものである。次に、久留米の人々は、どのように軍・兵隊たちと接してきたのかを論じていく。三つ目に、ややもすると、「軍都」に成ったことによって、その都市は発展した、との考えを見つめ直すこととする。軍からの利益を享受し、発展したことに相違はない。しかし、確かにそうではあるものの、「陰」となった点も多く存在する。軍都として発展したということのみに気をとられてはなるまい。兵営の「表」になれば新たな町が形成もされた。だが、「裏」になればそうはならない。兵営、あるいは演習場が設置されることは、土地を奪われることでもある。このような「陰」をも含めて、「軍都久留米」を見つめ直していく」。

 本書は、はじめに、全9章、終章などからなる。前半の5章(「軍都の舞台・久留米」「軍隊の誘致」「軍は地域に何を求めたか」「兵営の建設」「かくして軍都となった」)は時系列に軍都となる過程を追い、後半の4章(「久留米への選地理由」「軍は何をもたらしたか 久留米市の発展」「地域の人々と軍隊」「発展の陰で」)で故郷久留米を見つめ直している。そして、終章「「軍都久留米」の終焉」で、戦後の久留米を辿る。

 終章「3 その後の久留米」で、つぎのように総括している。「明治維新を迎えるまでの久留米は「城下町」と称される。明治三十年からは「軍都」と称された。それ以降、『久留米市史』を始め、その時の久留米市に関して定型的に形容する呼称は見かけない。しかし、「ゴム三社」という言葉に代表されるように、久留米を代表する産業は、このゴム産業である。戦時中、久留米のゴム産業は軍需産業に指定されることによって、生き残った。それ以上に戦争による需要によって拡大した。そして、戦後、民需への転換を果たした。高度成長期の頃まで、国鉄久留米駅の通勤風景は、駅を出た集団が大きく右と左に分かれたと聞く。駅を背にして左がブリヂストンとアサヒ、右が月星である。この時期、「ゴムの町」と一定は形容されていた。軍隊無き後、久留米に育ったゴム産業が、確かに久留米のその後を牽引したのである」。

 著者は、「はじめに」の最後に、「本書は、軍都について幾つもに分散して書かれていたものを、一つにまとめたもの程度であるかもしれない。ただ、それはそれで、便利な本となっていればよい」と述べている。「便利な本になっている」ことはたしかで、著者はそれに自信をもっているから、「おわりに」でも繰り返し書いている。

 そして、つづけてつぎのように心配している。「本文中に多くの資料を引用した。このことが読みづらさとなったのではないかとも思うが、できるだけ「生」の資料を提示して、後の考究の一助になればと願ったからである。意のあるところをお汲みいただければ幸いである」。歴史研究者にとっては信頼の証であるが、一般読者には「邪魔」だっただろう。一般読者は、引用文を飛ばして読めばいい。そのためにも、著者は引用の前後にかいつまんで内容を紹介する必要がある。

 副題に「地域の人々」とある。ひとが見えるものはいい!

 

 

評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書

早瀬晋三『すれ違う歴史認識戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800+税、ISBN978-4-409-51091-9

早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズムSEAP GAMESSEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000+税、ISBN978-4-8396-0322-9

早瀬晋三『グローバル化する靖国問題東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200+税、ISBN978-4-00-029213-9

 

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、20252月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934

早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、20243月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909

早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、20233月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。

早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、20214月~231月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、202312月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』191544年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、20181月)全2巻。

早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、201819年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(194245年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

 

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(202410月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja

早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(20243月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja

早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(20247月)pp. 43-46.

早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交1920世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.220248月)pp.160-64.

林初梅、所澤潤、石井清輝編著『二つの時代を生きた台湾-言語・文化の相克と日本の残照』三元社、2021年12月25日、279頁、3800円+税、ISBN978-4-88303-541-0

 3人の編著者のひとり、石井清輝は序論となる「本書を読むために」の「多元社会台湾の歴史的積層」冒頭で、本書の目的をつぎのように述べている。「本書は、日本統治時代と一九七〇年代後半の民主化以前の国民党政権時代を主な対象とし、この「二つの時代」を経験した「台湾人」が、どのような社会で、どのように生きてきたのか、を明らかにすることを中心的な課題としている。そしてこの問いには、先行した日本時代に形成された「日本的なるもの」(ここには当然それ以前の清の時代に形成された「清的なるもの」が存在していた)と、国民党政権が持ち込んだ「中華民国的なるもの」がどのような関係を取り結んでいったのか、という問いが潜在的にはらまれることになる」。

 もうひとりの編著者の所澤潤は「本書を読むために」の「台湾の中の日本語世界」で、「本書の論文の多くの部分は、台湾がまだ日本語のよく通じる世界であった時に起こっていたことを探求したものである」とし、「本書を読むにあたっては、台湾で日本語が排除されたときのことも知っておいていただきたいと思う」と述べ、つづけてつぎのように説明している。「一九四五年一〇月二五日の台湾接収の後、わずか一年後の一九四六年一〇月二五日、新聞雑誌の日文欄(日本語欄)が廃止された。台湾省公署の決定が断行され、台湾のほとんどの出版物から日本語が姿を消したのである。その前後の状況は、日本語と中国語ほぼ半々で誌面を構成していた雑誌『新新』(新新月報社発行)から知ることができる。そしてそのことがどのぐらい台湾人の思考を抑圧したかが想像できるだろう」。

 本書は、「本書を読むために」2篇、4部全8章、あとがきなどからなる。各部、2章からなる。第Ⅰ部「経済統制下の台湾」第1章「戦時体制下台湾の「デパート」-全体主義と個人の軋轢」の李衣雲は、「台湾の戦前・戦後のデパートの盛衰に注目し、「消費」と節約の消長という角度から大衆生活を検討している」。第2章「戦後台湾女性のよそおい文化-社会現象としての日本嗜好」の王耀徳・林容慧は「引き続いた経済統制の中でも、人々の「消費」行動が完全に断たれていたわけでは」なく、「その実態を女性のよそおい文化に焦点を当てて明らかにしている」。

 第Ⅱ部「高等教育制度の転換をめぐって」第3章「台北高等学校の戦後-日本が過去になった時に起こったこと」の所澤潤は、「台北高等学校の後身である台北高級中学校の誕生から廃校までの過程を、委託生との出会い、高級中学への改組、台湾大学進学問題、学校行事、進路指導などの項目を中心に、当事者たちの視点から描き出している」。第4章「台北帝国大学の接収と延平学院の設立-省籍問題を伴う台湾本省人の対日感情の変化」の林初梅は、「台北帝国大学の台湾大学への接収過程と私立延平学院の成立過程を、台湾本省人と外省人のそれぞれの立場から検討している」。

 第Ⅲ部「文筆家・作家としての人生を読む」第5章「黄得時による日本文化ならびに日本語に対する戦後の態度」のThilo Diefenbach(蒋永学)は、「文筆家黃得時の戦前、戦後の著作を通して、日本文化が彼にとってどのような意義を有していたのかを明らかにしている」。第6章「植民地の記憶-鐘理和「原郷人」の広がり」の今泉秀人は、「作家鐘理和の自伝的小説『原郷人』を中心に据え、台湾文学における創作言語の問題と「植民地の記憶」を紐解いていく」。

 第Ⅳ部「日本社会における台湾の位相」第7章「華僑から「台湾人」へ-一九六〇-七〇年代在日台湾人の歴史的自己省察の試み」の岡野翔太(葉翔太)は、「在日台湾人の戦後史を主題とし、石蔵江(一九一七-一九七七?)を対象として、彼が自らを「華僑」から「台湾人」へと再定位していく過程を跡づけている」。第8章「植民地同窓会における戦後日本の台湾記憶-台北市・樺山小学校の事例から」の石井清輝は、「戦前に台湾で生まれ育った日本人(=湾生)が多く通った小学校の同窓会活動を対象に、そこで台湾がどのように想起されてきたのか、またそこに台湾人同窓生がどのように関与してきたのかを探求している」。

 そして、「以上の各章の議論を通して」、つぎのように総括している。「日本統治時代から国民党政権時代へという「二つの時代」の転換の具体的な様相が、そして先行する日本時代の残照の中で戦後を生きた台湾人の姿が浮かび上がってくるはずである。それと同時に、そこで形成された「二つの時代」の関係性が、現在の社会に伏在していることにも気付かされるのではないかと思う。ただし、本書で取り上げられる領域、テーマは幅広く、本序論での紹介の枠内にとどまるものではない。読者のそれぞれの関心から個別の対象、テーマについて新たな知見を得ることが出来るものと確信している」。

 「最後に、本書では取り上げることができなかった課題について確認」し、つぎのように述べている。「まず、本書で議論の中心となっている台湾人は中・上流層を主要な対象としているが、彼ら/彼女らによって台湾社会を代表させることは出来ないだろう。本書とは異なった社会層によって担われた台湾が存在していた可能性については、十分に注意しておく必要がある」。

 「また本書では、一九七〇年代後半から始まる民主化の過程が台湾社会にもたらした影響はほとんど議論されていない。これは本書の中心的なテーマがそれ以前の社会に置かれているためやむを得ない側面もあるが、民主化の過程には、台湾人が日本の植民地統治、戦後の過程までを主体的に捉え返す契機が多分に含まれていた。本書の問いを民主化期まで含めて敷衍していくことが求められよう」。

 筆頭編著者の林初梅は、「あとがき」で本書のような議論ができるようになった背景を、つぎのように説明している。「周知の通り、台湾の戦後には、二二八事件と白色テロが発生したという暗黒の時期があった」。「終戦から一九九〇年頃まで、彼らの青春時代、すなわち日本時代は否定的に捉えられていた。また日本的慣習行動も奴隷化されたというレッテルを貼られ、戦後世代との溝が深かった」。「ようやく転機が訪れたのは九〇年代以降である。民主化社会の台湾では新たな歴史研究が始まり、「日本統治による近代化」の提起及び日本語世代の人たちの歴史が注目されるようになった。その影響は学問の分野のみならず、映画制作、書籍出版の分野にまで及んでいる。ただし「日本統治による近代化」の提起と日本語世代の日本的慣習行動などをどのように評価するのかは、常に議論の的になった。すでに先行研究によって指摘されているが、こうした「日本」の内部化の背後には、半世紀もの間、国民党政府の圧政下に沈黙を余儀なくされた戦前世代の台湾人の、声をあげたいという思いがある」。

 日本人として理解しておかなければならないことは、台湾の人びとの日本にたいする好意的なものは、戦前・戦後の日本人のよるものではなく、台湾の人びとの努力の結果であるということだ。本書でも、随所に湾生ら日本人が台湾の人びとに甘えていることが明らかにされている。その奥にある台湾の人びとの微妙な感情を知ることが、さらなる日本と台湾のひととひととの交流の発展に繋がる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

朴敬珉『朝鮮引揚げと日韓国交正常化交渉への道』慶應義塾大学出版会、2018年5月30日、244頁、5000円+税、ISBN978-4-7664-2520-8

 本研究と先行研究の違いを、著者は、序章「「在韓日本財産の数字」から請求権問題への連続性」「一 歴史学と政治学の接点にある「空白」」の最後で、つぎのように述べている。「概して先行研究では、引揚げ問題の研究は民間レベルの引揚げ者に焦点を当て、日韓会談の研究は政府レベルに分析の重点を置く傾向にあった。そこで本研究は、「政府と民間のはざま」に朝鮮縁故者を位置づけ、先行研究における分析対象のアクターおよび分析期間に関する欠落を補う。その考察から、朝鮮縁故者と日本政府の在韓日本財産に関する認識と対応が「在韓日本財産の数字」に収斂したことが明らかになり、そこにこれまで埋もれてきた戦後日韓関係史の一つの側面が新たに浮かび上がるであろう」。

 ここで、耳慣れないことばである「朝鮮縁故者」と「在韓日本財産の数字」がでてきた。この2つのことばについて、つづく「二 朝鮮縁故者(個人/法人)と「在韓日本財産の数字」」で説明されている。

 「朝鮮縁故者とは、植民地朝鮮において職歴もしくは学歴を持ち知識と情報を蓄積した有力者であり、その知識と情報を日本政府と共有するアクターである。彼らは、京城日本人世話会(一九四五年八月設立)の首脳部を筆頭とする朝鮮在留日本人が日本に引揚げてから合流した朝鮮引揚同胞世話会(一九四六年三月設立)が、同和協会(一九四七年七月設立)に統合される際に、「朝鮮縁故者」と自らを定義づけた」。

 「あえて朝鮮縁故者という呼称を選ぶ理由は、次のとおりである。植民地時代の朝鮮在留者(在朝日本人)は、戦後において朝鮮引揚げ者、朝鮮関係者などとも呼ばれるが、一九四五年八月のポツダム宣言受諾後の時点で、ある者は朝鮮半島に在留し、ある者は朝鮮縁故者でありながら日本列島に在留していた。つまり、敗戦直後において日本に在留していた者については、朝鮮引揚げ者と呼称するに適しない。それと同時に、朝鮮関係者と呼ぶには、やや漠然としすぎるきらいがある。したがって、本書では、呼称の一貫性を保つために、「朝鮮縁故者」という呼称を使用する」。

 「朝鮮縁故者は、個人と法人に分類される」。「個人には、第一に、朝鮮総督府(以下、総督府)の官僚出身者が該当する」。「第二に、京城日報の言論出身者である」。「第三に、京城帝国大学の学識経験者である」。「法人としては、朝鮮事業者会(一九四五年一一月設立)が挙げられる」。

 「在韓日本財産の数字」は、「二つの側面から構成される」。「第一に、朝鮮引揚同胞世話会の個人財産の数値化と、朝鮮縁故者である穂積真六郎、鈴木武雄をはじめ朝鮮事業会が外務・大蔵両省の共管機関である在外財産調査会(一九四六年九月設置)に所属し、在韓日本財産を算出した植民地朝鮮の統治実績の数値化である」。

 「第二の側面は、国内外における植民地統治への批判を念頭に、朝鮮引揚同胞世話会と在外財産調査会で算出された在韓日本財産の「数字」に妥当性を持たせようとしたことであった。そのため、日本政府と朝鮮縁故者は、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』(一九四八年大蔵省印刷)を作成した」。

 本書は、序章、全5章、終章などからなる。「三 本書の構成と史資料について」「(1)本書の構成」で、つぎのようにまとめられている。第一章「一九四五年の敗戦-朝鮮縁故者の定着志向から引揚げへ」では、「一九四五年八月のポツダム宣言の受諾後、朝鮮半島における日本政府(総督府)の初期方針であった「出来得る限り定着の方針」と「生命財産の保護」に対して、朝鮮縁故者がその方針に沿って立ち上げた、京城日本人世話会(一九四五年八月設立)の認識と対応を分析する」。

 第二章「引揚げ後の朝鮮縁故者(個人)-朝鮮引揚同胞世話会と鈴木武雄の没収財産への対応」と第三章「引揚げ後の朝鮮縁故者(法人)-朝鮮事業者会の没収財産への対応」では、「引揚げ後の朝鮮縁故者(個人/法人)の在外財産問題に対応する補償要求の過程と、それに連動する植民地認識に着目して分析する。第二章では、まず、引揚げ後の本国日本で、朝鮮関係残務整理事務所(旧総督府東京事務所)と朝鮮縁故者(個人)の間で、官民協調の観点から設置された、朝鮮引揚同胞世話会(一九四六年三月設立)の認識と対応に焦点を絞る」。「第三章では、引揚げ後の朝鮮縁故者(法人)として、朝鮮事業者会に焦点を定める」。

 第四章「日韓交渉における請求権問題の顕在化-予備会談・第一次会談(一九五一~一九五二年)」、第五章「日韓交渉における請求権問題の深刻化-第二次会談・第三次会談(一九五二~一九五三年)」では、「日韓国交正常化交渉における請求権問題と植民地認識に焦点を当てて、日本外交史の実証分析を進める」。

 「第四章では、請求権問題をめぐる日本政府の政策決定過程で、在外財産調査会の調査結果である『日本人の海外活動に関する歴史的調査』朝鮮篇で表出した認識に基づき、在韓日本財産の「数字」が対韓請求権の主張を補強した側面を分析する」。「第五章では、第一次会談後に交渉中断期を迎えた日本政府の外務省が請求権問題を見直し始めたことに着目して、どのような代案が準備されたのかを分析する」。

 終章「朝鮮縁故者から岸信介・親韓派へ-対韓請求権の取り下げと国交正常化交渉の再開」では、まず章ごとに明らかになったことをまとめ、「日韓両国の激しい植民地認識の衝突の末」、日韓交渉が頓挫した過程を追っている。「日韓会談が長年漂流する渦中」の1957年2月に内閣総理大臣に就いたのが岸信介であった。

 「日本政府は、「引揚者等に対する給付金の支給に関する措置要綱」(一九五七年三月七日)を閣議決定した。その上で、五月一七日に「引揚者給付金等支給法」(昭和三二年法律第一〇九号)が制定され、引揚げ者一人当たり二万八、〇〇〇円を限度とする給付金を支給(記名国債)することになった」。朝鮮縁故者もその対象に含まれた。岸内閣は、「対韓請求権を取り下げることによって、ようやく第四次日韓会談(一九五八年四月一五日開始)に臨むことができた」。

 その後について、つぎのようにまとめている。「岸は一九六〇年の安保騒動により退陣したが、それ以降、彼は表舞台から自民党内に舞台を移し日韓国交正常化への意欲を持ち続けていた。それは、自民党外交調査会において石井光治郞を座長に岸派を主要メンバーとする日韓問題懇談会を設置することに表れており、自民党議員団訪韓まで実現させた。それに加えて、日韓基本条約の締結間際に岸の実弟・佐藤首相および同じ満州縁故者の椎名外相による劇的な交渉展開、「一九六五年日韓条約体制」以降には岸自ら日韓協力委員会の会長を務めるなど、以上の経緯から岸・親韓派が誕生するのである」。

 そして、つぎのパラグラフで、本書を終えている。「本来の「親韓派」として存在感を示すこともできたであろう朝鮮縁故者と岸を筆頭とする政治集団がその「親韓派」を自任することになる転換がいかに起きたのか、そして日韓関係を取り巻く国際政治経済環境の要因も踏まえながら分析することが、今日の日韓関係の複合的構造を解き明かす重要なカギになるであろう」。

 日本は、1945年から52年まで7年間、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下にあった。その期間におこなわれた日韓会談において、日本は「植民地支配」の意味を理解しないまま交渉をつづけた。戦争だけでなく、植民地支配にたいしての認識が甘いままに日本の戦後が始まったことが読みとれる。これが、今日に至る歴史認識問題の始まりの一要因である。著者のいう「一九四五年八月の敗戦から一九五一年一〇月の交渉に至る」「空白期」は、日韓関係だけでなく、敗戦後の日本にとって重要な期間で、取り返しのつかないものを残した。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001909)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/search?page=1&size=20&sort=controlnumber&search_type=2&q=4989)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

早瀬晋三「戦前期日比混血者の「国籍」について」『アジア太平洋討究』第49号(2024年10月)pp.1-17. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/49/0/49_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「『南洋日日新聞』(シンガポール、1914-41年)を読むための覚書」『アジア太平洋討究』第48号(2024年3月)pp.1-66. https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/48/0/48_1/_pdf/-char/ja
早瀬晋三「消える近代日本・東南アジア関係史研究-アジア史のなかの東南アジアを考える」『史學雜誌』第133編第7号(2024年7月)pp. 43-46.
早瀬晋三[書評]:太田出・川島真・森口(土屋)由香・奈良岡聰智編著『領海・漁業・外交-19~20世紀の海洋への新視点』(晃洋書房、2023年)『社会経済史研究』Vol.90, No.2(2024年8月)pp.160-64.

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