早瀬晋三書評ブログ2018年から

紀伊國屋書店「書評空間」https://booklog.kinokuniya.co.jp/archive/category/早瀬晋三に2005~15年に掲載された続きです。2015~18年に掲載されたものはseesaaブログshohyobloghayase.seesaa.net/ で閲覧できます。

南川高志『ローマ人の心-古代帝国の実像に迫る』講談社選書メチエ、2026年2月10日、336頁、2200円+税、ISBN978-4-06-542065-2

 「困難を承知で挑戦した」が「執筆は難渋を極めた」と、著者は「あとがき」で書いている。

 本書の概要は、裏表紙に、つぎのようにまとめられている。「「人類が最も幸福だった時代」と称された紀元二世紀のローマ帝国。人々は美食に舌鼓を打ち剣闘士の闘いに熱狂して、満ち足りた日々を送っていたと言われる-本当にそうだったのだろうか? 帝国の基本構造、ローマ人の一日、そして一生から始まり 帝国エリートはもちろん、奴隷や属州の民にいたるまで、どのような思いをもって、古代人が帝国を生きていたのかに迫る。広大な帝国の統合を支えたものこそ、人々のある「思い」だった。政治史を中心に研究を重ねてきた著者が、新たな視点で描き出す 古代帝国のもうひとつの姿」。

 著者は、「プロローグ」の最後の見出し「ローマ人の心に迫る」で、つぎのように本書の目的を述べている。「ローマ人の「心」に関わるいくつかの問いをたてて、彼らの世界を考えようとする試みである。そこから、大帝国の実像が見えてくるかもしれない。古代ゆえ、「心」を考えるための史資料は多くはないが、挑戦してみよう」。

 と書いたものの、著者はまだ自信がもてなかったのか、序章「ローマ人の心を碑銘に読む」で具体的事例をあげていきながら、本書の構想を練っていったのであろう。最後の見出し「ローマ人の生き方、考え方、感じ方を問う」で、本書の目的を再確認して、つぎのパラグラフで締めくくっている。

 「ローマ帝国史の研究を長らく行ってきた私自身も、政治史や属州の歴史、そして帝国の衰亡史などを論じてきたが、帝国に生きた住民の「心」を正面から取り上げる研究はしてこなかった。しかし、帝国の形成、「ローマの平和」の名で知られる帝国の繁栄、そして帝国の衰亡など、ローマ史研究の重要なテーマはいずれも、事象の分析だけでなく、その時代を生きた人々、有名な個人だけでなく一般住民も含めて、彼らの「思い」も解明しなければ真の歴史像構築には至らないのではないか。私は近年、そう強く感じるようになった。本書は、こうした問題意識の下、ローマ人の生き方や考え方、そして感じ方などを追求しようとする私の初めての、ささやかな挑戦である」。

 本書は、序章、全5章、終章、エピローグなどからなる。第Ⅰ章「ローマ人はどんな世界に生きていたのか」では、「ローマ人の生き方や考え方、そして感じ方などを考察するための前提的知識となる情報を整理したい。この本の主たる舞台はローマ帝国の最盛期となるので、この時期を中心に社会の仕組みと都市に暮らすローマ市民の日常生活、そしてその一生を概観しよう。まず、ローマ人の歴史の全体を眺めることから始めたい」。

 第Ⅱ章「帝国エリートたちの生きざま」では、「元老院議員ら帝国エリートの生き方や生きがいに関する考え方、感じ方をみて」、つぎのように最後のパラグラフでまとめている。「歴史とは記録の集積である。その意味で、最盛期のローマ帝国は膨大な記憶を貯め込んだ「記憶の帝国」と呼んでよい状態にあった。帝国エリートの生きざまも生きがいも帝国のこうした性格に即して形づくられ保持されたといってよいだろう」。

 第Ⅲ章「生と死から見る家族の肖像」では、「対象とする社会層を拡大して、ローマ社会に暮らす「普通の人々」のケースを検討してみたい。最盛期ローマ帝国の住民は、都市市街地か田園地帯かなど居住環境の違い、出自、経済力、威信の有無や信仰などの点で異なる、実に多様な人々であり、また「普通の人々」とか「庶民」というような範疇はあまりにも曖昧で、歴史学研究のための分析概念としては到底使えない。しかし、ローマ帝国の世界史的意義が先進的な都市的生活の創造に認められてきた点を考慮し、ここでは資産のある都市上層市民から首都の下層住民まで、最盛期ローマ帝国の都市に生きた人々をやや広く「普通の人々」と捉えて観察したい」。

 第Ⅳ章「属州の人々の心」と第Ⅴ章「平穏な帝国の暮らし」では、「帝国は支配地域を統合し得たのかという」「大問題を遠望しつつ、身近な問いを考察したい。ローマ帝国のイタリアの外の支配領域、すなわち属州において、人々は自分たちの暮らしや生きることに関してどのように考え、感じていたかを問いたいのである」。その結果、第Ⅳ章では「彼らのアイデンティティを、「ローマ人」か「ガリア人」かというような単純な二項対立ではなく、多様性と重層性を検討の基礎に置いて考察することの必要性を確認できた」。第Ⅴ章では、「観察したのはガリアに限られるが、この地域の人々も、したたかであるかどうかはともかく、普及してきたローマ風生活環境の中で自らの存在と生の意味を考え、支配権力におもねらない独自の生き方を作り上げていったといえそうである」と結論した。

 そして、終章「帝国の危機とローマ人の心」では、つぎのようにまとめている。「人々が碑銘で自身の「心」を表現することが最盛期帝国の重要な特徴であったこと、それは「ローマ人」のアイデンティティ形成の結果であること、そして広大なローマ帝国に統合をもたらしたのがこの「ローマ人」のアイデンティティであったことである」とした。

 最後に、著者は「あとがき」で、このテーマの難しさにもかからず、「挑戦」した意味を、つぎのように述べている。「本書では敢えて哲学者たちの作品を使わないことにした。この本では、哲学的で思弁的な性格の議論ではなく、「普通の」ローマ人の考え方、感じ方を問題にしたかったからである。この方針をとることによって、必然的に本書の作業は史料的に一層厳しい状態になった」。「加えて、本書を単なる生活史の本に留めたくないという、私自身の身勝手な希望もあった。「ローマ人の心」に関わる議論をしても、それがローマ帝国の特質や世界史的意義の問題に繋がらなければ、生活史のトリビアルな情報を提供するだけの本で終わってしまうことになる。ゆえに、「心」の探究に努めながらも、自分自身の研究成果と関連させつつ、議論をローマ帝国の特質や意義を問う次元へと整序する努力をしなければならなかった」。

 「執筆は難渋を極め」「とくに史資料の乏しい属州住民の「心」の探究に際しては、考察が可能なトピックを探して放浪しているような状態が続き、問題点の周囲を固めるだけで精一杯で、核心にまで迫ることができずに終わってしまった箇所もある」。にもかかわらず、「刊行までたどり着けたのは」、「様々なローマ史の研究文献、とくにわが国のローマ史研究者の優れた研究成果であった」。その後につづく謝辞からも、層の厚さが感じられる。

 本書を読むと、最新の研究状況を把握したうえで、執筆していることがわかるが、それは著者ひとりでできることではないだろう。マイナーなわたしの分野では、海外の書店の目録を送ってもらうことはもちろん、調査のたびに書店、大学出版会めぐりをし、地方では図書館で見つけた本をたよりに出版社に行きほかの出版物を探すという「フィールドワーク」を繰り返した。

 著者が「挑戦」できたのも、碑銘などの史料が残っており、研究蓄積があったからであるが、それにもまして著者は「ローマ帝国の実相を語ることに徹し」、「帝国に生きた人々の「心」を問題にすると、時代の違いを一気に飛び越えて現代に迫ることがある」ことを知っていたからだろう。「現代日本と酷似した事情、現代人と同じような問題や苦悩」を読者が発見したなら、著者の「挑戦」は報われることになる。

 長年研究をつづけていると、本や論文にはならないが書いておきたいテーマが、どこか片隅に居つづけるようになる。だが、それをかたちにできる研究者はそれほどいない。いたとしても晩年に回顧録やエッセイでメモ書きする程度だろう。著者が「挑戦」と繰り返し述べていることの意味がわかると、一書にしたことの偉大さがわかってくる。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/list/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

林博史『沖縄戦-なぜ20万人が犠牲になったのか』集英社新書、2025年6月7日、348頁、1130円+税、ISBN978-4-08-721360-7

 「県民の4人の1人が犠牲になった沖縄戦」。1944年7月にサイパン島の日本軍が全滅したとき、アメリカ軍はフィリピンや沖縄に回り道することなく、日本本土を目指せば、この20万の犠牲はなかった。本書は、日本軍の責任を問う視線で書かれ、さらに今日の有事に際しての歴史的教訓抜きの沖縄の防備を問うている。

 本書の概要は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「一九四五年三月末から約三か月間にわたり、米軍と激しい地上戦が繰り広げられた沖縄戦。軍民あわせ約二〇万人もの命が失われた。戦後、日本は平和憲法を制定したが、沖縄は米軍の軍事支配に委ねられ、日本に返還後、今なお多くの米軍基地が存在している」。

 「また、近隣国を仮想敵とし、全国で自衛隊基地の強靱化や南西諸島へのミサイル配備といった、戦争準備が進行中である。狭い国土の日本が戦場になるとどうなるのか?八〇年前の悲劇から学び、その教訓を未来に生かすために、国土防衛戦の実相を第一人者が膨大な史料と最新の知見を駆使し編み上げた、沖縄戦史の決定版」。

 本書は、序、全5章、おわりに、あとがきなどからなる。序で「なぜ今、沖縄戦か」と問い、冒頭、つぎのように説明している。「近代の日本は戦争に次ぐ戦争の時代だったが、その最終盤に大きな地上戦としておこなわれたのが沖縄戦だった。一九四五年三月末から沖縄に米軍が上陸し、三か月にわたって住民を巻き込んで激しい地上戦がおこなわれた。当時の沖縄県の人口は約六〇万人、約八万人は県外に疎開していたと見られるので約五〇万人が巻き込まれた。日本全体(朝鮮、台湾、樺太を除く)では人口は七〇〇〇万人あまりだったが、もし戦争が長引いていれば、その日本本土でも同じような地上戦がおこなわれていたかもしれない。そういうことを考えると、沖縄戦はけっして沖縄だけの問題ではない」。

 つづけて、つぎのように今日の問題に言及している。「今日、日本が戦場になることを想定した準備が次々になされている。ミサイル・アラートによる避難、攻撃されても司令部機能は生き残ることができるようにする自衛隊基地の強靱化対策、南西諸島への自衛隊配備と住民の避難計画、それらを進めるための軍事予算の倍増など、沖縄が真っ先に戦場にされるだけでなく、日本全体の戦場化が想定された施策が次々に実施されてきている」。

 だが、日本人一般には、歴史的教訓という意識も現実の危機感もない。著者はさらに、つぎのように問いかけている。「沖縄戦における重要な出来事のひとつは、日本軍が多くの沖縄県民を殺害したことだが、歴史教科書にこの事実を書こうとした時、文部省(略)は教科書検定で削除させた」。「現在にいたるまで、日本政府も自衛隊も旧日本軍を称え、住民を犠牲にしたことを隠し続けているのはなぜだろうか」。「沖縄の人々を本土防衛の捨て石(捨て駒)、つまり本土のための犠牲にしたのが沖縄戦だったが、そのことを認めず、そうした犠牲を繰り返さないような施策を抜きにしたまま、南西諸島の軍事化、戦争の準備が進められている」。「そうしたことは沖縄だけのことではない。現在、日本全国では約三〇〇地区の自衛隊基地などの「強靱化」計画が進められようとしている」。

 そして、「おわりに」では、日本政府、メディア、世論にたいして、つぎのように問いかけている。「日本の戦争責任や植民地責任、近年では日本軍「慰安婦」問題や朝鮮人の強制連行・強制労働問題、靖国神社問題を例に挙げると、日本政府もほとんどのメディアも世論も、韓国や中国が批判しているから対応するという議論の仕方ばかりである。日本という国家がなぜそうしたことをおこなったのか、それを改革し二度と起こさないような国・軍(自衛隊)・社会をつくることができているのか、など自らの問題として考えようとはしない。少女の性を広範に利用し搾取している今の日本社会は、日本軍「慰安婦」制度を本当に反省した社会なのだろうか。労働力不足に対処するための方策としか考えず、外国人労働者の人権を踏みにじるような入国管理や外国人技能実習生制度などを当たり前のように維持している日本国家・社会は、朝鮮人や中国人の強制連行・強制労働についていったいどのように反省し、そうしたことを繰り返さない社会をつくったなどと言えるのだろうか」。

 また、沖縄の視線から、つぎのように振り返ってまとめている。「沖縄の近代を振り返ると、琉球王国が廃されて日本に併合され、日本本土への同化政策が進められるなかで、それに対する疑問、問いかけ、模索がなされ、本土から差別される沖縄という枠組みを変えようとする試みもなされた。移民もそうしたこととは別の道の模索だったと言えるだろう。残念ながらそうした営みは日本国家によって圧殺され、日本がおこなう侵略戦争に沖縄全体が駆り立てられていった」。

 「しかし、沖縄戦において、国家や軍・行政・教育の教えに従っていれば死ぬしかない状況に追い込まれるなかで、天皇のために命を捧げよ、それが帝国臣民の名誉だという国家の教義を拒否して、生きようとする人たちがたくさん生まれた。お上の言うことに従っていれば死ぬしかない状況のなかで、自分たちの頭で考え判断し行動する人々がたくさん生まれてきた。この沖縄戦の経験は沖縄社会を、沖縄の人々を大きく変えただろう。その姿はすぐに現れたわけではなかった。米軍は沖縄の人々を従順だと判断して、暴力的に土地を取り上げ、軍事基地建設を推し進めた。それに対して、一九五〇年代に島ぐるみ闘争と呼ばれる広範な抗議運動が繰り広げられた。日本国家から犠牲にされて捨てられ、米軍からも圧政を受けるなかで、自らの人権を自らの意思と行動で勝ち取る運動を粘り強くおこない、日本復帰を勝ち取った。これは植民地の独立あるいは自国の軍事支配からの民主化に匹敵する運動の成果だったと言ってよいだろう。もちろん基地のない沖縄を目指した日本復帰だったにもかかわらず、ここでもまた日本政府とアメリカ政府によって裏切られ米軍基地を押し付けられているが、それでもあきらめずに平和と人権を希求する努力を続けている」。

 そして、「おわりに」を、つぎのパラグラフで締めくくっている。「なお本土からは、「癒しの島」沖縄のイメージが観光と結び付いて広がっているが、他方で、沖縄社会が抱えている暴力/性暴力、性搾取、女性差別、貧困、共同体からの排除・差別などが不可視化されてしまっている。近年、沖縄ではそうした問題が取り上げられてきているが、それらは沖縄戦とその後の米軍軍事支配が残し、あるいは生み出した問題でもある。また基地を維持し続けるために日本政府がおこなっている経済政策の問題でもある。本書ではこうした問題に触れることはできないが、沖縄戦から現在にいたる、日本とアメリカというふたつの国家と軍事支配が生み出してきた問題を全体として認識し考えることが-特に日米両国が南西諸島の軍事化、戦場化をともにそろって推し進めている現在-、ますます必要になっているのではないだろうか」。

 沖縄の問題は、日本の国内問題である、とだけ考えればいいのだろうか。本書を読むと、日本軍が占領地でおこなったことと同じことが語られている。たとえば、沖縄でも日本軍は各地に軍慰安所を設置しただけでなく、将校は「愛人」を求めた。沖縄を占領地同様に見た日本軍は、国軍ではなかった。天皇のために死ぬことを強いられた皇軍だった。はたして、自衛隊は沖縄を含む日本国の「軍隊」なのだろうか。もしそうでないなら、著書が強調するように、沖縄だけでなく日本のどこにでもおこりうることを考えなければならない。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/list/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

吉田信『オランダ植民地統治と法的住民区分の変遷-国籍法と統治法による植民地住民の包摂と排除』晃洋書房、2025年3月30日、312頁、4800円+税、ISBN978-4-7710-3954-4

 オランダ領東インドで1899年に日本人が「ヨーロッパ人と同等視される者」になったこと、それに附随して台湾人が同地で商業活動を活発化させたこと、また日本人が僻地まで行商することができたことが、本書を読んでわかった。さらに、タイなどで中国人や日本人が欧米諸国の保護下に入ったことも、本書から理解できた。これまで表面的にしか理解していなかったことを思い知らされ、その背後にあるものからオランダ領東インドとはどういう植民地統治体制であったかを考えさせられた。

 本書の目的は、序章「国籍法と統治法による植民地住民の法的地位」の冒頭で、つぎのように説明されている。「本書は、オランダ国籍法およびオランダ領東インド(現在のインドネシア)に施行された統治法における法的住民区分の変遷を対象としている。本国での国籍法制定の背景にはどのような政治状況が存在していたのか。国籍法の制定は植民地住民の法的地位にどのような影響を及ぼしたのか。植民地住民の法的地位は、どのような基準により設けられ、さらに変化していったのか。これらの問いを明らかにすることが本書の目的である」。

 本書は、序章、全7章、終章、あとがきなどからなる。「各章の紹介」は、序章の最後にある。第1章「オランダ国籍法の制定と植民地住民」は、「1850年国籍法の成立過程を検討する。議会での国籍法法案審議を対象に、当時国籍法の立法に携わった者たちにとって「オランダ国民」とは誰を、そして何を意味していたのか、オランダ国家という政治共同体と個人との関係を彼らはどのように理解していたのかを議会資料の検討から明らかにする」。

 第2章「植民地統治と住民の法的区分-統治法109条による「ヨーロッパ人」と「原住民」の創出」は、「オランダ領東インドにおける住民の法的地位を定めた1854年統治法の住民区分を検討する。1854年統治法は東インド植民地統治の根幹をなす法律であり、その109条は東インド住民を「ヨーロッパ人」と「原住民」とに区分していた。統治法それ自体は1854年以前から存在していたものの、1854年の統治法はそれ以前の統治法とは大きくその性格を異にしていた。なにが異なっていたのか。そして、「ヨーロッパ人」と「原住民」という住民区分は、オランダの植民地統治下でどのように定められ、いかなる基準に基づいていたのかを明らかにしていく」。

 第3章「東インド婚姻規定と住民の法的地位の移行」は、「植民地での住民区分を固定化させる役割を担う一方、「ヨーロッパ人」と「原住民」からなる住民区分の境界を揺るがす意義を有した「婚姻」に焦点を当てる。統治法により導入された住民区分は、いくつかの手段により変更可能であり、婚姻はそのなかでも広くみられた行為であった」。

 第4章「「日本人」は「ヨーロッパ人」か-「日本人法」の成立と「文明」をめぐる議論」は、「1899年に制定された「日本人法」を対象としている。「日本人法」制定の背景には明治維新前後から東インドに到来するようになった日本人の存在と幕末にオランダとの間で結ばれた不平等条約の改正があった」。「日本人を「ヨーロッパ人」とみなすための要件とはなんであったのか。日本の「文明化」とは、なにを意味するのか」。さらに「台湾は日本と同じく「文明化」されているのか。日本人同様、台湾人も東インドにおいて「ヨーロッパ人」とみなされるかが問われていく」。

 第5章「「包摂」と「排除」の新たな展開-1892年国籍法と1910年臣民籍法」は、「1892年国籍法改正と1910年臣民籍法の制定過程を扱う。1850年国籍法は市民権を享受する主体として国民を定義し、国籍をその成員資格とした。だが、1850年国籍法制定時に存在していた民法典の国籍規定は改正されず、その後二つの国籍規定が併存する状態が続いていた。そのため1892年国籍法は、国籍規定の併存状態を解消すべく制定されることになる」。

 第6章「世紀転換期の東インド華人をめぐる状況」は、「東インドで華人のおかれた状況を概観するとともに、「外来東洋人」という法的地位にともない存在した問題を整理する。ヨーロッパ人と原住民とを媒介する経済活動の主要な担い手であった華人にとって、彼らに課されたさまざまな制約はその経済活動にとって大きな障害をなしていた。植民地政府によって課された制約のうち、居住移転の自由を制約していた「通行許可証居住区制度」および「警察司法官」(略)を中心的にとりあげ、制約のもたらした意味を検討していく」。

 第7章「法的住民区分の改正と挫折」では、「東インドの住民区分の根幹をなした統治法109条に対していかなる改正が試みられていったのかを検討する。「日本人法」成立以降、統治法には数度の改正がおこなわれている。統治法109条の改正過程を検討しながら、宗教や人種による住民区分の基準がどのように変化したのかを整理する」。

 終章「インドネシア国籍法の制定-「原住民」から「インドネシア人」へ」は、「第二次世界大戦後、脱植民地化の過程で開催されたインドネシアとオランダ両政府による植民地住民の国籍確定をめぐる協議を整理する。植民地住民を区分してきたオランダ国籍法、統治法、臣民籍法といった法律が、オランダ領東インドの解体にともないオランダとインドネシア両国国民の国籍確定にどのように関わっていったのか。さらに、両政府による植民地住民の分割の結果として、周辺的な状況に置かれることになった住民集団の法的地位にも触れる」。

 そして、「あとがき」では、それぞれの章の関係を、つぎのようにまとめている。「本書の第1章と第5章はオランダ国籍法、第2章、第4章および第7章が、統治法の住民区分を主な対象としている。第3章は、植民地での婚姻規則(異法婚規則)をめぐる章であり、国籍法上の地位と統治法における住民区分の地位双方に関わる内容を含んでいる。他の章と比べると若干性格を異にしている章であるものの、法的地位の移行の手段としてのみならず、ジェンダーとセクシュアリティ、さらに人種といった論点が東インドでの異なる法的住民集団の間での婚姻をめぐって展開することもあり、独立の章として本書に収めることとした。第6章は、東インドの華人が置かれた状況と法的地位をめぐる経緯をひとつの章として新たにまとめている。東インドの植民地住民の法的地位を検討するうえで、華人の動向は統治法109条にとって重要な意義を有していたことが理由である」。また、「本書では十分に扱えなかったいくつかの重要な論点が残されている」と述べている。

 本書から「帝国主義」の時代が見えてくる。帝国になる国とその支配下に入る国の基準は、「文明」であった。日本は自国を文明化するために欧米化し、中国や朝鮮を「文明化」していないと見下して侵略していった。幕末維新に日本が欧米諸国と結んだ「不平等条約」の改正が、その原動力となった。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
『アジア太平洋討究』第52号(早瀬晋三教授退職記念号)、2026年1月、462頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/wiapstokyu/list/-char/ja)

早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9

早瀬晋三『戦前期東南アジア海域における日本人漁業活動の基礎資料』(研究資料シリーズ12)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2026年2月、179頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる)
早瀬晋三『1912年のシンガポールの日本人社会-『南洋新報』4-12月から-』(研究資料シリーズ11)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2025年2月、159頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるhttps://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2004934)
早瀬晋三『戦前期フィリピン在住日本人職業別人口の総合的研究』(研究資料シリーズ10)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2024年3月、242+455頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできるfile:///C:/Users/shaya/Downloads/KenkyuShiryoSeries_10_02.pdf)
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。(早稲田大学リポジトリからダウンロードできる https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/78131)電子版の発行は中止。
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』第1期(大正期)全12巻(龍溪書舎、2021年4月~23年1月)、第2期(昭和期)電子版(龍溪書舎、2023年12月)+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。

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