南川高志・井上文則編『生き方と感情の歴史学-古代ギリシャ・ローマ世界の深層を求めて』山川出版社、2021年4月25日、366+26頁、8000円+税、ISBN978-4-634-67252-9

 「古代ギリシャ人とローマ人が生きた時代」は、「生活環境や自然科学の知識などはまったく異なってしまった」「二十一世紀の今日」に生きるわれわれとどうつながるのだろうか。筆頭編者の南川高志は、「はしがき」でつぎのように答えている。

 「にもかかわらず、彼らが残した文学作品や芸術作品は今日の世界で多くの関心や感動を呼び起こし、実学的知識の高さは尊敬を集め、生活の跡は人々の興味を引いている。そうした古代ギリシャ人やローマ人の世界をその深部で捉えようとするとき、どのような観点が有効だろうか。私たちの共同研究は、その観点としてまず、人々の「生き方」を選んだのである」。

 共同研究は、「京都大学西洋古代史研究会」を母体としている。研究層が厚く、蓄積も豊富で、原史料を熟知している「本場」ヨーロッパの西洋古代史研究から基本的なことを着実に学び、いっぽうで「国史」、東洋史など日本独自の歴史学研究の影響を受けて発展してきた日本西洋古代史学の底力を、本書で見せつけられたような気がした。

 本書のキーワードは、主題にあるとおり、「生き方」と「感情」である。「はしがき」では、まず「生き方」について、つぎのように述べている。「「生き方」を観点にするといっても、日常生活を眺めて論じるだけであれば、古代ギリシャ人・ローマ人の暮らしぶりと現代の私たちのそれとの差はあまりに大きく、好事家的関心からの古代叙述の意義しかもたないだろう。また、有名な個人の生涯をたどってその生き様をただ描くだけなら、今日的に十分な歴史研究にはなるまい。しかし、人がどのようにその「生」を見つめ、どのように生きようと考えたのか、という「思い」の次元まで問題を深め、例えば「生」に対比される「死」をどのように考えたかといった点まで考察を進めれば、古代の人々と私たち現代人のあいだにある「生き方」の差は急速に縮まる。また、おかれた状況に対応して人々がどう生きようとしたか、生きるべきと考えたかを知ることは、その時代の社会の根底的な要素をつかみ出す作業として価値ある研究ではなかろうか。私たちにはそう思われた。本書は、このような基本的な認識のもとで、共同研究のメンバーがそれぞれ専門とする時代や地域について、場合によっては新たなテーマを開拓して、議論を展開した成果である」。

 つぎに「感情」について、つぎのように述べている。「本書では、この「生き方」をめぐる考察と交差する形で、いま一つの共通テーマとして「感情」を配した。第一部、第二部の題名に、感情のカテゴリの例が副題としていくつか付いているのはそのためである。本書では、「生き方」の検討にあたって、「感情」を交差させて検討することにしたのである。「感情」を交差させることで、「生き方」の考察が、人々が生きた歴史的社会の根底的で本質的な要素を究明することに寄与するだろうと期待したからである」。

 だが、今日西洋史研究で重要なトレンドになっているが、日本では近現代史中心の「感情史」を、古代ギリシャ・ローマ史に応用することは容易いことではない。まず、「感情」の定義をすることが難しく、つぎのように説明している。「西洋史研究の研究史の流れに即していうならば、「心性」と「感情」の区分をどうするか、ということが問題になろう。今話題の感情史研究にあっては、「感情」を歴史を動かす要因とみなし、ある感情があらわれ広まることが社会を変えることにつながるという立場に立っている。この点が、それまでの「心性」のもつ静態的な性格と違うと指摘されている。また、「心性」が当初から「集団」を重視するのに対して、現今の感情史研究の「感情」は「個人」を重視するという点にも違いがあるように思われる」。

 つづけて、本書の方針をつぎのように述べている。「西洋古代史の多岐にわたる分野を扱うこの論集では、「感情」の定義は困難だと私には思われた。そのため、「感情」を扱う際に、その定義にあたるものについては各章の執筆者に委ねることとした。したがって、本書の議論では、「感情」が「心性」とさほど違いなく用いられている場合がある。現代の「感情史」研究の動向に沿った「感情の共同体」に言及する章もあれば、「心のありよう」「感じ、考える、その仕方」という「心性史」研究の原点に立った「心性」の理解と変わらぬ扱いで「感情」を捉えている章もある。そもそもこの書物の副題「古代ギリシャ・ローマ世界の深層を求めて」の「深層」が、「心性」と深く結びついた概念である。しかし、あえて「感情」の定義はせずに、自由に論じることにした。「感情」の定義に拘泥して、各章が扱う素材のおもしろさを損ないたくなかったからである」。

 本書は、はしがき、2部全14章、2コラム、あとがき、参考文献からなる。註はない。各部はそれぞれ7章からなり、最後にコラムがある。2部構成については、「生き方」の説明の後、つぎのように述べている。「人の「生き方」は、その時代の状況や社会のあり方によって相当に規定され、その行動には規範が設けられる。私たちの共同研究は、この点を重視し、古代社会の性格と人々の行動の規範を明らかにしつつ、「生き方」に迫ることとした。この点を考察して論じたのが、第一部[「社会の行動と規範-恥・恋・妬み」]の諸章である。同時に、人々の実際の行動を分析しつつ、「生き方」の原理というべきものを抽出することも必要と考えた。これが第二部[「生き方の原理-痛み・憎しみ・恐れ」]の諸章の論じたところである。こうして、本書は歴史研究としての整った方法論も議論の先行例もないテーマに取り組んだのである。提出された一四の章と二編のコラムは、これまでの日本の歴史学界では珍しい試みであるといってよかろう」。

 新しい学問の共同研究には、未知なるものへの挑戦という魅力がある。いっぽうで、伝統ある分野では、それまでの研究の蓄積のうえにあるという安心感がある。本書は、その安心感のうえで、古代史だからこその現代へのまなざしがあり「挑戦」がある。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。