ディー・レスタリ著、福武慎太郎監訳、西野恵子訳『スーパーノヴァ エピソード1-騎士と姫と流星』上智大学出版、2021年7月10日、391頁、2800円+税、ISBN978-4-324-11030-0
いくつか驚いているうちに、物語のなかに吸い込まれていった。1991年にアメリカの首都ワシントンDCのインドネシア人留学生の科学的議論のなかで、物語が作り出されるところからはじまり、10年後舞台をジャカルタに移して小説がはじまる。科学的議論をしているのはゲイのカップルで、物語がはじまると主人公として不倫カップルや高級娼婦が登場する。イスラーム教徒が大多数を占めるインドネシアで、こんな物語が書けるようになったのも、1998年のスハルト政権崩壊後の民主化の影響だとわかっていても、半信半疑で読みはじめた。
監訳者の「解説」によれば、25才で作家デビューした著者のディー・レスタリは、「大学で国際関係論を専攻し、在学中にアイドル・グループのメンバーとしてデビューした華やかな経歴」をもつという。
書いたほうが書いたほうなら、発売35日間で1万2000部が売れたという読者数にも驚く。発売翌年には英語訳が出版され、以後、2016年に完結編がでる6部作になった。
物語を生み出す側と物語のなかでの登場人物の言動との関係は、「解説」でつぎのように説明されている。「本作品の登場人物であり、この物語を構想するレウベンは、数学、量子力学など科学的知識を駆使し、恋愛小説の形式をとって彼の理論を表現しようとする。レウベンは、パートナーのディマスと対話しながら執筆を進め、当初は小説世界を制御しているつもりだった。しかし途中から、物語は彼らの思惑を越えて自ら歩みはじめ、そして急速度で展開してゆく。この物語の展開と結末は作者であるレウベンにもわからない。そして最後に、彼ら自身も、より大きな物語の一部であることに気づくことになる」。
物語は性的問題を越えて、「想像を超えた人類、生命の普遍性に近づこうとしている」ことを、つぎのように解説している。「『スーパーノヴァ』は、イスラームの規範が支配的なインドネシアでの男女の不倫を、ゲイのカップルが物語るという設定から、性的マイノリティ、性的規範を主題としているかのようにみえる。しかし、ここにディー・レスタリが仕掛けたパラドクスが潜んでいる。特殊な環境における特殊な恋愛を描いているにもかかわらず、最終的に私たちは、そこに何度となく人類の歴史の中で語り継がれてきた普遍的な愛のかたちを見出す。逆に、そうした普遍性の中にこの物語を位置付けることで、同性愛や不倫など、制度から逸脱した恋愛もまた、人々の織りなす愛のフラクタルの一部であることをレスタリは示してみせるのである」。
本小説は、間違いなくインドネシアの作品である。それは、インドネシア人にしかわからない訳注があるからだけではない。インドネシア人にしかわからない深層世界に踏み込んでいるからである。しかし、そのなかにグローバル化のなかでインドネシア人以外の読者にも共鳴できる部分があり、インドネシア人の若者の共感を得てインドネシア語で表現できるようになった。
解説者は、そのあたりのことをつぎのようにまとめている。「レスタリは、作中作小説という形式を利用し、物語の創造主としての立場をレウベンたちから奪う。物語を書くという営為に対する作者の主体性の消失をレウベンたちが経験しているのだが、その経験はそのまま本作品の創造者であったレスタリにももたらされる。レスタリ自身もまた、人類史の中で語り継がれてきた神話を、現代のインドネシアという空間で、インドネシア語で表現しているにすぎないのである」。
本小説の冒頭部分でレウベンたちがいたワシントンDCのウィスコンシン通りに、その10年前の1981年にわたしはいた。文書館のコピー代にあてるためにバス代を節約して、とぼとぼ歩いていた。だが、10年後のインドネシア人留学生に、そんな安っぽい雰囲気はない。本書の登場人物は、インドネシア人読者にとって、とくに若者にとって、近くはないかもしれないが、遠くもない存在なのだろう。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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