沖縄タイムス「尖閣」取材班編『波よ鎮まれ-尖閣への視座』旬報社、2014年4月10日、280頁、1600円+税、ISBN978-4-8451-1348-4

 ときに「国益」は国民の「生活」を奪うことがある。本書は、生活者の視点から、地方新聞が「中央」に挑んだ奮戦記である。「中央」とは、日本政府だけでなく、偏狭なナショナリズムを煽るマスメディアである。

 表紙見返しで、本書の概要がつぎのように紹介されている。「「領土を守れ」「中国の横暴を許すな」。尖閣問題をめぐって偏狭なナショナリズムが渦巻く」。「「圧力に圧力で返すのではなく、国境の海で共生できる仕組みを-」。本書には「国益」優先の影で、翻弄され、かき消される生活者たちの切実な声が詰まっている。尖閣諸島や対中国をめぐる緊張が高まる今、ナショナルな扇情に回収されない視点で解決の糸口を模索する」。

 「本書は、沖縄タイムスで二〇一二年一一月一八日から一三年七月四日まで、計一三三回の連載記事と三本の特集記事を掲載した同企画を加筆・修正し、再構成(略)したものである」。

 目的は、つぎのように説明されている。「連載開始に当たって、尖閣問題に向ける目線を「中央」から「沖縄」に取り戻す、と宣言した。とはいえ、「尖閣の地元」として何を報じるべきか、判断は難しい」。「尖閣諸島の地籍は「沖縄県石垣市登野城地先」で登録されている。「波よ鎮まれ」は第1部で石垣市民の声を中心に、「当事者」の視点で紛争回避を求める声を紹介した」。「なぜ地元の生活者を「当事者」と強調したのか。「中央」主導の世論形成への危惧とともに、「尖閣の地元」に寄り添う姿勢をアピールする中央政治家らの言動に欺瞞を感じたからだ」。

 本書は、第1部「沖縄発 「中央」から視座を取り戻す」と第2部「台湾発 国越える視座」の2部からなる。「台湾の市民の声に耳を傾けた」のは、「尖閣海域はかつて沖縄と台湾の漁民が魚を分け合う「生活圏」だった」からで、つぎのように歴史的説明をしている。

 「日本が台湾を統治していた一九四五年までの五〇年間、沖縄と台湾の間に国境はなく、台湾漁民は沖縄漁民から漁法を学び、技術の向上を図った」。「台湾三大漁港の一つ、北東部の港町、宜蘭県蘇澳鎮にはかつて沖縄人集落があり、八重山・宮古諸島の漁民が多く暮らした」。「漁船が日常的に行き交い、戦時中は多くの沖縄の疎開者が、蘇澳を玄関口に台湾上陸を果たした」。「七二年の沖縄の日本復帰前後も、台湾と沖縄の漁民は洋上で酒を酌み交わしたり、漁に使う道具を分け合ったりした、とのエピソードにあふれている」。

 「交流は漁業にとどまらない。一九三〇年代から台湾人が沖縄を訪れるケースが増え、地理的に近い八重山諸島には多くが入植した。熱帯果樹栽培の普及や陸稲・水稲の改良のほか、農耕に水牛を導入するなど地域農業の発展に大きく寄与した」。「戦後の混乱期には、台湾からさまざまな物資が沖縄に運ばれた」。

 沖縄、台湾、それぞれの生活者の目から見た解決の糸口は、見出しを見ればわかる。以下いくつか列挙する。

 第1部沖縄発:「俺たちは日本に復帰する前から長年、この海を守ってきた。どんな仕打ちに遭ってもがんばってきた」「領土問題というよりは、台湾漁船や中国漁船とのすみ分けか、共存できる環境を整えてもらいたい」「パイン栽培や水牛の活用など八重山の農業を変えたのは台湾の人たち。仲間意識は今もある」「海には国境がない」「琉球の歴史に学べば、尖閣問題にどう対応すればよいのかが見えてくる」「八重山住民は防人ではない。戦闘員ではなく民間人として八重山の島々で日常を送っている」「侵略する側だった過去の歴史をあいまいにし、侵略された側の痛みに鈍感になっていることにも気づいていない」「尖閣問題への対応は国益のためというが、実際いがみ合いになって損をするのはだれか。……被害に遭うのは一般住民の僕たち」「東南アジアとの絆は大切。軍事力でものを語るのではなく、平和外交で何とかアジアとの共生関係をうまく図れないか」「隣どうしの石垣と台湾がもっと仲良くなればいい、という希望はいつも持っている。「兄弟」みたいなものですからね」。

 第2部台湾発:「黒潮に沿った一つの家族として台湾漁民も共存共栄を望んでいる。生存のために」「領有権争いという政治問題で、蘇澳と石垣の友好が損なわれてはならない。争いを棚上げして、資源を共有できるようにしてほしい」「漁民どうしなら解決の道を探れる。平和な海を残したい思いはいっしょだ」「無人島でもめるなんてもったいない。どうしたらこの海で産業を生み出せるかを考えたほうがいい」「領有権ばかりを主張するのではなく、海をもっと豊かにする方法をいっしょに考えよう」「メディアは国家の立場からナショナリズムをあおるのではなく、沖縄が抱える厳しい現実にもっと目を向けるべきでは」「国境を超え、漁民の組合どうしで協同組合をつくることも不可能ではない」。

 そして、同じメディアとして、「中央」のマスメディアに向けて、つぎのように提言して「おわりに」を結んでいる。「近年とくに目立つ「中国の脅威」というニュース素材をどう扱うかは、日本のマスメディアの立ち位置として、これからますます問われるように思う。脅威をあおり、増幅させているものは何なのか。国際益の観点から根本的な要因を探る必要があるのではないか」。「国際環境がきな臭さを増し、民意が戦争を肯定する方向に流れる局面でこそ、戦争抑止の役割を果たすマスメディアの機能が試される。裏返せば、安全保障環境や、時世に合わせて主張や立場を変幻させている限り、メディアは戦争を抑止できない」。「戦後日本で、安全保障に関する報道のバランスと質が今ほど問われているときはない」。「あらゆるメディアを通じ、国境を超えて「戦争を許さない民意」の発信が今こそ求められている」。

 「中央」との差は、戦争に巻きこまれる恐れを身近に感じているかどうかだ。本書から、八重山諸島の人びとにとって、いかに戦争の危機が迫っているかが伝わってくる。本書「はじめに」は、「沖縄からは「日本」がよく見える。なぜか」という問いかけではじまる。つづけて、「地理的に国家の周縁部に置かれながら、政権中枢の利害に直結する役割を担わされているからではないだろうか」と答えている。「国益」は国民の生活を守ることが大前提である。かつて国益のために国民を犠牲にするという本末転倒が起こったことを、日本人の多くは忘れていないだろう。だが、その国民のなかに周辺部で生活する人びとが含まれていることに気づいていない人が、あまりに多いのではないだろうか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。