高嶋航『国家とスポーツ-岡部平太と満洲の夢』角川書店、2020年3月27日、347頁、1900円+税、ISBN978-4-04-400494-1

 NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」(2019年)は、よく放送できたものだ。放送したのは、2人の主人公からみた近代日本スポーツ史のほんの1断片にすぎないことが、本書を読むとわかる。それがわかっていれば、スポーツ界を蠢くさまざまな人間模様など描けるわけがないと思った。

 1964年東京オリンピックで「ご当地競技」として柔道が採用され、東京2020でも開催国が金メダルをとりやすい環境が整えられた。ナショナリズムと結びつくスポーツは勝たなければ開催地になる意味がない。「ご当地競技」がなければ、不正をしてでも勝とうとするだろう。不正を減らすためには、確実に勝てる「ご当地競技」など勝てる環境をつくらなければならない。公正性や互いを尊重するスポーツマンシップとはほど遠い、現実がある。

 岡部平太というあまり知られていない人物は、帯で「金栗四三との親交、嘉納治五郎との対立、中国・満州・日本友好の理想」と紹介されているが、大河ドラマ「いだてん」にも出ていなかっただろう。

 著者、高嶋航は、岡部平太という人物を通して考えたいことを、つぎのように「はじめに」で述べている。「スポーツを通じて東アジアは良い関係を築くことができるのか、国家とスポーツの関係はいかにあるべきか、という問題である。この二つの問題は、東アジアでオリンピックを開催する意義を考えるさいに、避けて通ることはできない。結論を先取りすれば、岡部平太が我々に示してくれるのは、この二つの問題の失敗例である。ただし、失敗から学ぶことは、成功から学ぶことより多い。我々はそれを批判的に継承することで、よりよい未来に結びつけることができるのではないだろうか」。

 なぜ、岡部平太を通して考えるのかは、つぎのように説明されている。「本書で論じようとしている東アジアや国家という視角を提起しうる人はほとんどいないだろう。これまでの岡部に関する著作は、中国大陸で活動していた三〇歳から五一歳までの岡部についてほとんど触れない。それは彼の人生で最も充実し、起伏に富んだ時期であり、東アジアや国家という問題が鮮明に現れる時期でもある。そんな重要な時期であれば、なぜこれまでの研究で触れられてこなかったのか」。つぎのように、つづけている。

 「この時期の岡部を理解するには、日本の内地のみならず、東アジアのスポーツを全体としてとらえる視角が必要となる。しかし現状では、日本と中国を対象としたスポーツ史は日中両国で積み重ねられているものの、双方を視野に入れた研究はほとんどない。そのうえ満洲は研究の空白地帯となっている。さきほど岡部は「日本」のスポーツ史では脇役の一人にすぎないといったが、東アジアという観点からすれば、岡部は最重要人物の一人である。逆にいうと、岡部という人物を通して、東アジアのスポーツが見えてくるはずである」。

 先取りした「結論」の「失敗」は、「おわりに」の冒頭の「国家とスポーツ」の見出しの最後に、つぎのようにまとめられている。「国家主義スポーツの末路は惨めであった。スポーツは日本的性格と戦争への有用性をアピールすることで存続を図った。自らを道具化することで、スポーツはますます国家への従属を強め、抵抗力を失っていった。岡部自身も、最初はスポーツを通じた東亜新秩序を目指していたが、太平洋戦争が始まるころには、スポーツの道具としての有用性にすら疑問を抱くようになっていた。スポーツに生きてきた岡部にとって、それは自己否定に等しかった」。

 そして、「おわりに」をつぎのように結んでいる。「岡部がスポーツを通じて実現しようとした競争と連帯は、コインの裏表の関係にある。競争しつつ連帯することは不可能ではない。彼が一方の極から他方の極へと転換する瞬間に、その可能性はあったように思われる。もちろん、現実の社会で競争と連帯を両立させることは難しい。だからなおのこと、その可能性を追求することに意義があるのではないか。これは、岡部自身の問題というよりは、現在に生きる我々の問題である」。

 さらに、謝辞で終わることが多い「あとがき」には珍しく、つぎのように岡部に問いかけて、敬意を払って本書を閉じている。「岡部自身は本書を読んでどう思うだろうか。私がそのとき思ったことである。いや、私はいつもそのことを気にしながら原稿を書いていた。あまり触れてほしくないことがたくさん書かれているかもしれない。私は岡部の人生を全面的に擁護するつもりはない。結果として、彼のしたことには、良いこともあれば、悪いこともあった。とはいえ、社会や時代に揉まれながら、理想を貫くために努力を続けた彼の真摯な姿には、心を打たれるものがある。私のそうした思いを本書から少しでも汲み取っていただければ幸いである」。

 存命している人のことについて書くとき、その人が読むことを考えながら書き、書きたくても書けないことがある。しかし、亡くなられた場合、存命の関係者の顔が浮かんでこなければ、客観的に書くことができる。だが著者は、「岡部自身の問題というよりは、現在に生きる我々の問題である」ととらえることによって、岡部の顔を思い浮かべながら本書を書いた。これが、嘉納治五郎だったら違っていただろう。「脇役の一人にすぎない」からこそ描ける歴史がある。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。