小関隆『イギリス1960年代-ビートルズからサッチャーへ』中公新書、2021年5月25日、250頁、860円+税、ISBN978-4-12-102643-9
本書のタイトルを見て、2つの疑問が浮かんだ。まず、著者、小関隆はこれまで取り扱ったことのない時代、分野を、なぜ書く気になったのだろうか。つぎに、副題の「ビートルズ」と「サッチャー」がどう結びつくのだろうか。
最初の疑問にたいして、著者は、「あとがき」で、つぎのように答えてくれていた。「1960年代について書くことを引き受けたのは、自分の生きていた時代を歴史として描きたい、という気持ちからでもあるが、それ以上に、サッチャリズムを理解する手がかりがこの時代にあるように思われたためである」。「私が大学に進んだのはサッチャー政権の成立と同じ1979年、最初と二度目のイギリス生活はサッチャー政権期であり、以来ずっと、サッチャリズムとそれに類する政治潮流につきまとわれてきた。さすがにまだ人生を総括する年齢ではないが、なんとかサッチャリズムを理解しないことには、そんな総括もおぼつかないだろう」。
ビートルズをとりあげたのは、「職場の共同研究班でロックの歴史について報告せよ、との要請(強要?)を同僚の音楽学者、岡田暁生さんから受けたことだった。かなりの躊躇があったが、いずれ書かれるべき岡田版20世紀音楽史のためのヒントになればと思い、引き受けた」。
2つめの疑問には、著者も気になっていたのだろう、「序章 1960年代はサッチャーを呼び出したのか?」で詳しく説明してから、本題に入っている。その序章冒頭で、「ビートルズがまばゆいばかりの才能を惜しげもなく発揮した1960年代とサッチャー政権の下で弱肉強食の競争がよしとされた1980年代、二つの時代のコントラストは鮮やかだ」と述べ、そのあいだにある「1970年代の危機」説を踏まえて、「1960年代にこそ、サッチャリズムの歴史的な前提が形成されたのではないか、という問いを設定」し、つぎの3つの仮説を立てた。
この3つの仮説は、全6章からなる本書の最初の5章の内容とも重なる。「①大衆消費を基盤とする1960年代の文化革命cultural revolution(第1・2章)の経験が、サッチャリズムの描くポピュラー・キャピタリズム(富裕でない者でも財産所有や株式保有の果実に与れるような資本主義)の夢に惹かれる個人主義的な国民(第3章)を形成した」。「②「許容する社会permissive society」(第4章)の広がりが、政治の世界でのサッチャーの栄達を可能にする条件を整えた」。「③「許容」を批判するモラリズム(第5章)の台頭が、サッチャーへの追い風となった」。
著者のサッチャー時代の評価は、「はっきりとネガティヴである」。だが、そこに著者は、本書の目的を見出し、つぎのように述べている。「本書が意図するのは、殺伐たるサッチャー時代と対比させて、創造の活気に溢れた1960年代を懐かしむことでも礼讃することでもない。1960年代のなかにサッチャリズムを呼び出す力を見つけること、一番の狙いはこれである。強引にビートルズとサッチャーを並べてみせたのは、こうした逆説を際立たせるために他ならない」。
著者は、つぎのようにつづける。「もう一点、ビートルズの曲をコピーしたり髪型を真似たりする若者が日本でも出現したように、サッチャリズムもイギリス限定の現象ではなく、方向性を同じくする政治潮流が世界各地で覇権を握った。現在の日本にも、サッチャリズムの影は依然として投げかけられている。とすれば、ビートルズの時代にサッチャリズムに向かう流れを見出そうとする本書は、閉塞感の強い現代世界を乗り越えるための有効な手がかりを提示できるかもしれない」。
戦後の混乱がおさまり、新しい時代に向かった若者たちの1960年代、戦争を体験し戦後の復興・発展のために資本主義社会を支えてきた世代が現役を退き、ふと戦後を振り返ったときに、自分たちが描いた「戦後」ではなかったと異議を唱えた1980年代は、「イギリス限定の現象」ではない。第6章「サッチャリズムとモラリズム」は、そんな異議申し立てとサッチャーが闘った軌跡でもある。すくなくとも戦後資本主義の影響を大きく受けた日本でも東南アジアでも、1960年代と80年代は、今日までつづく重要課題を突きつづけている時代である。
そして、終章「1960年代とサッチャリズム」の最後のパラグラフで、つぎのように総括している。「希望の横領の果てに招かれたのは、1960年代と同じく消費を基軸とした個人主義が旗印ではあるものの、格差と分断が深まるイギリス、責任は小さいが権限は強い国家が君臨し、権威主義的に規律を課そうとするイギリス、「許容する社会」とはほど遠い不寛容なイギリスであった。そこには文化革命を多数派が享受できた基盤である完全雇用政策はなく、福祉国家のセーフティネットも骨抜きにされた。名目的な経済成長は実現されたかもしれないが、結局のところ、文化革命のような創造力の開花は生じなかったのである。これが「イギリスを再び偉大にする」というサッチャーの掛け声の帰結であった」。
わたしの最初の2つの疑問を克服して、著者が「幅広い層の読者に楽しんで読んでもらうために」書くことができたのは、「二人の傑出した同僚からの刺激」があったからで、研究所の共同研究の成果であるともいえる。専門から少し視野を広げたり、関心をずらしたりして議論できるだけでなく、それが本になるというのは、研究所の底力といっていいだろう。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
コメント