コ・ギョンテ著、平井一臣・姜信一・木村貴・山田良介訳『ベトナム戦争と韓国、そして1968』人文書院、2021年8月30日、371頁、3600円+税、ISBN978-4-409-51086-5

 戦争中の「虐殺」は、起こすはずがない普通の人びとが起こしている。わたしたちが戦争に反対するのは、自分が被害者になることを想定するからだろう。だが、もっと怖いのは、自分が加害者になって合法的にひとを殺すことだ。それも、武装した敵兵ではなく、無辜の非武装の民間人で、戦闘能力のない老人、女性、子どもたちをだ。本書で議論の対象としている、虐殺された村人も、複数の赤ん坊を含むそのような人びとだった。著者は、真相を追究しても、直接の加害者であった韓国軍兵を責めているようにはみえない。加害者をそこまで追いこんでいった当時の背景はなにだったのか、諸々の関係者から聞き出そうとしている。戦争をするということは、「加害者」という「被害者」を生むことになる。

 本書の概要は、帯の裏に要領よく、つぎのようにまとめられている。「本書は、ベトナム戦争時の韓国軍によるベトナム民間人虐殺事件に焦点を当て、ベトナム派兵を決定した朴正熙政権、米韓関係を中心とした韓国を取り巻く国際関係、さらに日本のベ平連によるベトナム反戦運動など、事件の実相とその背景について多角的分析を試みたものである。筆者は何度も現地に足を運び被害者やその遺族の証言に耳を傾けるとともに、ベトナム戦争に従軍した韓国軍人への調査も行い、戦争における被害-加害の両面を丹念に追いかける。さらに、民間人虐殺事件をめぐる謝罪や慰霊の問題にも言及することにより、戦争が残した爪痕の深さを伝え、戦争責任の問題をめぐる今日的な課題を提起している」。

 著者のコ・ギョンテは、「日本語版への序文-あの日のベトナム戦争史」で、本書をつぎのように紹介している。「この本は一言で言えば、「ある村から見たベトナム戦争史」です。舞台は、一九六八年二月一二日、ベトナム中部に位置するフォンニ・フォンニャット村(二つの村だが、実際には一つの村)。その日そこで、かたや軍人として、かたや住民として遭遇した両国の人びとに会っていきました。この出会いは二〇一五年に韓国語版が出版されてからも二〇一九年まで続きました。その日の詳細を描くことに本の半分を割きました。韓国軍によるベトナム戦争民間人虐殺の全犠牲者数九千人余り(一九九九年具秀姃博士の統計)に比べれば、この事件の犠牲者七四人はごく一部の数字です。一部にスポットライトを当てて全体を描こうとしました。カメラアングルに例えれば、「ズームイン」です。韓国軍派兵の裏面と朝鮮半島の南北対立状況、米韓関係、アメリカやヨーロッパの「六八年革命」を越え、チェ・ゲバラの最期にまで触れました。「ズームアウト」により、一つの村で起きた事件の世界的な因果関係を探求しようとする意図でした。もちろん、ここにはスペクタクルな日本の反戦運動も含まれます」。

 本書は、プロローグ、全6章、エピローグ、補論などからなる。それぞれの章のタイトル「二つの戦線」「ガジュマルの木の虐殺」「復讐の夢」「海兵の日々」「偽装と特命」「チェ・ゲバラのように」から多角的な視点がわかるだろう。

 筆頭訳者、平井一臣の「解説」では、本書の特徴をつぎの4つに整理している。「第一の特徴は、韓国社会に衝撃を与えたベトナム・キャンペーンから二〇年を経た現在まで、著者の持続的な調査の成果が反映されている点である。コ氏は、しばしばベトナムに足を運び、犠牲者たちへの聞き取りを行い、同時にベトナム参戦韓国軍人へのインタビューや、アメリカの公文書館での調査など、事件の真相とその背景を明らかにするための広範囲の調査を行っている。鋭い問題意識と精神力かつ粘り強い調査活動は、優れたジャーナリストのひとつのあり方を示していると言えるだろう」。

 「第二の特徴は、コ氏の持続的な調査の中心が、フォンニ・フォンニャット村の虐殺事件の真相究明にあるのは当然であるが、本書はそれにとどまらず、事件の関係者が事件後に歩んだ歴史についても多くの頁を割いて記述している点にある。身体の傷のみならず、精神的な深い傷を負いながら、彼ら彼女らがどのような生活史を編んでいったのか。南ベトナム民族解放戦線のゲリラ活動に入っていった者、南ベトナム共和国側の人間として見られ戦争終結後全く補償を受けることができなかった者など、被害者とその遺族と言っても一括りにはできない歩みがあったことが明らかにされている。また、参戦軍人については、第一小隊長として事件現場を通過したチェ・ヨンオンに対して、彼の死の直前まで何度もインタビューを行っており、ベトナム参戦韓国軍人のベトナム戦後の複雑な歩み(たとえば、チェ・ヨンオンの弟は同じくベトナム参戦しており、枯葉剤後遺症に苦しめられる)に言及もしている」。

 「第三の特徴は、一九六八年二月一二日のフォンニ・フォンニャット村の事件に焦点をあてながら、この事件を同時期のベトナム戦争をめぐる世界史的な動向のなかで考察している点である」。「本書は、六八年一月の北朝鮮特殊部隊による青瓦台襲撃未遂事件、プエブロ号事件をめぐる韓米関係・米朝関係、同時期の日本の反戦市民運動団体・ベ平連(ベトナム[に]平和を!市民連合)による脱走兵支援運動に対する韓国政府の対応など、朝鮮半島とベトナムを取り巻く東アジア情勢にもかなりのスペースを割いて言及している。それは、フォンニ・フォンニャット村虐殺事件についての韓国政府の対応に、当時の東アジア情勢が影を落としていたからである。その意味で本書は、朝鮮半島から見た一九六八年研究として読むこともできる」。

 「本書の第四の特徴は、国家暴力と人間をめぐっての歴史的考察を試みている点である。ベトナム戦争における最も有名な民間人虐殺事件は、米軍が引き起こしたミライ(ソンミ)事件である。私たちは、ベトナム戦争のみならず、世界中の戦争で虐殺や性暴力などの多くの非人道的な事件が起きたことを知っているが、フォンニ・フォンニャット村事件もまた、そうした事件の一つであるのは疑いない。しかし、コ氏はさらにもう一本の補助線を引く。本書の中で彼は、一九四八年四月の済州四・三事件と一九八〇年五月の光州事件に言及し、韓国現代史の縦糸の中にベトナム戦争時の民間人虐殺事件を位置づけている。すなわち、戦時という特殊状況には限定できない、国家というものが有している暴力性こそが事件の根源にあるのではないかというコ氏の問題意識をそこから読みとることができるのである」。

 著者は、「日本語版への序文」の最後で、日本人読者に、つぎのように呼びかけている。「ベトナム戦争の民間人虐殺は、韓国人たちにとって鏡です。不都合な鏡であり、有用な鏡です。罵りながら鏡を壊す人もいました。見る人の偽善と二面性を映し出すからです。鏡は、「まずは君からしっかりやれ、自分の顔から見つめ直せ」と語りかけます。朝鮮半島に対する植民地加害国の一員として鏡の前で自ら省察する日本の読者の皆様。いま韓国人がもたらしたこの鏡の記録の前に立ってくださることに尊敬の念をお伝えします。最後まで興味を持って読んでいただければ幸いです」。

 さて、日本人は、この呼びかけに応えて、加害-被害の関係を超えて、「戦争」に向きあうことができるだろうか。すくなくとも1967年生まれの著者より若い世代が充分な知識をもって、著者らと対等に議論できると、日韓関係も好転に向かうのだが・・・。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。