早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月10日、412頁、ISBN978-4-409-51091-9
カバーの装丁案が届いた。カバー写真のキャプションを「慰安婦像が撤去されたマニラ湾岸近くにあり、庶民から絶大なる信仰を集めるバクララン教会にある壁画の一部(2019年4月筆者撮影)」とした。フィリピン庶民の密やかだが、激しい怒りが日本人読者に届くことを願う http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b592370.html 。
本書の「あとがき」は、「結」を書き終えた後、つまり第1草稿ができたときに書いた。それから数ヶ月間、出版社の編集者と二人三脚で完成度を高めていった。そして、カバー写真のキャプションを書いて、わたしの作業は終わった。このブログが、ほんとうの意味での「あとがき」になる。
本書が出版できたのは、3つのおもな要因による。ひとつは2019年2月から1年間の最初で最後のサバティカル休暇、もうひとつはコロナ禍の自粛、3つ目が早稲田大学アジア太平洋研究センターの出版助成である。
サバティカル休暇を利用して、フィリピンに入ったり出たりしたが通算3ヶ月ほど滞在することができた。毎日現地の新聞を読み、マニラの下町を歩き、博物館を観てまわった。日本での机上の学問ではけっして得られない日々を送ることができた。1989年に『「ベンゲット移民」の虚像と実像』(同文舘)を出版して以来、はじめてバギオを訪れる機会もあった。客員教授として受け入れてくれたデ・ラ・サール大学の教員・大学院生といっしょだったことが、日系人とは違うフィリピン人の「普通」の感覚を教えてくれた。ダバオは、国際学会の冒頭スピーチに招かれて、21世紀になってはじめて訪れた。1980年代に調査した墓地などを再訪し、旧知の人びとにも会うことができた。博物館を訪ね、バギオ同様、ダバオでも日系人のあいだで虚像が信じられ、地域社会となじんでいないことが確認できた。
このようなサバティカル休暇の成果は、コロナ禍のなかでまとめることができた。4月に大学が閉鎖され、4月からの授業は6月からの夏クオーターに延ばした。2ヶ月もすればおさまり、対面授業ができるのではないかと楽観視していた。大学も自宅マンションも、エレベーターに乗るのが恐かった。
幸い、わたしは『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』(めこん)の出版が決まり、暇をもてあますことはなかったが、都心の繁華街にある自宅には机はなく、6月からのオンライン授業は研究室でせざるを得なかった。おそるおそる出るようになった研究室には、2013年に大阪から東京に移ったときに整理できなかったものがあるだけでなく、1993年に鹿児島から大阪に移ったときのままのものもあった。第3章のバギオやダバオのことを書くために「ひっくり返して」みると、1980年代に集めた資料が出てきた。『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム』が2019年7月に出版されると、「ひっくり返して」出てきた資料が気になりだし、本書第2章第2節になる「戦記を糾す試み」が書けるような気がしてきた。数年後の定年後に書く予定にしていたものが、海外調査などができないために繰り上がった。
「戦記を糺す試み」を書き終えたころ、『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム』で得た早稲田大学アジア研究センターの出版助成に余裕があり、「もう1冊どうですか」と冗談(だと思う)を言われた。とんでもない、と思ったが、「戦記を糾す試み」を書いて、この10年ほどのあいだに書いたものをまとめると1冊になる可能性があることに気づいた。わたしは、出版社の編集者に恵まれ、これまでに単著単行本11冊を出版していた。そのため、助成金がなくても出版できるとみなされ、助成金が取りにくくなっていた。現実に増刷りできたものは2冊だけで、数百部しか売れないことはよくわかっていた。助成金が得られれば出版できるのではないかと思ったが、昨今論文集の出版は厳しく、最初に打診した出版社の編集者には、助成金のことを言わなかったこともあってか、断られた。はじめから1冊にして出版することを目的としたものではなかったので、「論文集」を超えるためには「序」と「結」をしっかり書き、論文間のつながりを明確にする必要があることに気づかされた。そして、整理していくうちに、本書はたんなる「論文集」ではなく、1冊のまとまりのある専門書になることを確信した。おかげで、大きく書き直す羽目になった。
第1章第1節は、朝日新聞大阪本社で「再発見」した戦中・戦前に東南アジアで撮られた5000葉ほどの写真を分析するために、東南アジア各地で発行された新聞の全体像を把握しようとした論文にもとづいている。その1紙である『ボルネオ新聞』復刻の機会を得て書いた解題が、第2節のもとになった。そこには、「大本営発表をさらに粉飾した」ねじ曲げられた報道の実態があった。
第2章は、「戦記もの」の量的調査と質的調査の両方にもとづいている。「戦記もの」が描かれた背景のひとつに、公刊された「戦史叢書」や人気作家による戦記によってねじ曲げられた歴史を糾そうとする、戦場体験者の切実な想いがあった。
第3章の日系人の虚像の背景には、1930年代に皇民化教育を受けた日系二世の日本人としての誇りがあった。戦後の激しい反日社会のなかで隠れて暮らさねばならなかった日系人が、1970-80年代の日比交流の深まりのなかで表に出てくるようになり、戦前の日本人社会を思い出させ、日本本土からやってきた日本人が持ちこんだ日本人優位の「虚像」を無意識に受け入れていった。さらに、日系人は日本で就労できる機会を与えられ、フィリピン社会から遊離していった。
第4章は、『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』(岩波書店、2007年)出版後、その後の変化の追跡と補足調査をつづけた成果と、2016年の天皇・皇后のフィリピン訪問にさいして研究室に取材に訪れた報道関係者にたいして充分にこたえられなかったことへの遅まきながらのこたえである。ともに、ねじ曲げられた歴史を糾す試みに逆行することを示すことになったが、それは結果論であって、その意図することはずいぶん違っていた。
第2章第1節で質的研究の事例として登場した雲南・ビルマ戦線の丸山豊は、緒戦において収容されていたダバオ在住日本人の解放者であり、ボルネオ、ジャワを占領した日本兵のひとりであった。第2節の佐藤喜徳は、戦後頻繁にバギオを訪れ、バギオの日系人や慰霊活動を客観的にみていた。初出の個々の論文を超えるつながりを、本書の随所で章を超えてみることができる。
ここで忘れてはならないのは、世論が反日にならないように心がけたフィリピン人研究者や政治家がいたことである。そこには、経済大国日本に期待・遠慮しただけではないものがある。だが、慰安婦像を「強制的に」移動させられたりすると、静かな怒りが湧いてくるのは自然のなりゆきである。表紙の写真から、フィリピン庶民の密やかだが、激しい怒りが、日本人読者に伝わることを願っている。一度点いた火を、消すのは容易いことではない。
これで、解放される。出版されるまで、いつも頭の片隅に「加筆・訂正」があり、心おさまるときがない。だが、解放された瞬間、大きな間違いに気づくこともある。Wikipediaでも間違っていたので、点検してくれた出版社の編集者も校閲者も気づかなかったこともある。増刷りされる機会がないと、間違いは間違いのまま残っている。本書では、そのようなことがないことを願っている。もしあったとして、増刷りで訂正の機会が与えられることを願っている。
数ヶ月間にわたって、出版の準備を進めていくことはきつい。それも、2年連続となると、消耗が激しい。はじめ、既発表論文をそのまま論文集として出版する手抜きを考えた。楽なのはたしかだが、それでは発展も進歩もない。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
近刊:早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月10日、412頁、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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