キン・ソック著、石澤良昭訳『カンボジア近世史-カンボジア・シャム・ベトナム民族関係史(1775-1860年)』めこん、2019年7月20日、457頁、5000円+税、ISBN978-4-8396-0315-1
1431年のアンコール都城陥落後のカンボジア史は、内紛とシャム、ベトナム両国の浸蝕で領土が縮小し、1863年のフランスによる保護国化前はシャム、ベトナム両国の植民地状態であった、という概略しか、日本語文献ではわからなかった。本書によって、はじめて日本語でカンボジアの「暗黒時代」の一端がわかるようになった。まさに画期的なポスト・アンコール史である。
しかし、これまで語られなかったのは、カンボジアの国内情勢や史料の欠如・偏りがもちろんあっただろうが、なによりカンボジア人自身が、誇りをもつことができない歴史であったからであろう。自己崩壊していく国のことも民のこともも考えない王族間の醜い争い、それを利用して介入し凄惨なカンボジア人の殺戮を繰り返したシャムとベトナム、副題にある「カンボジア・シャム・ベトナム民族関係史(1775-1860年)」は、カンボジアにとって屈辱の歴史であった。
本書「まえがき」は、「現在のベトナム南部とタイ東北部地方はかつてカンボジア王国領であった」ではじまる。しかし、この事実は、カンボジアの学校教育でも教えられなかった。その歴史に挑戦した著者らについて、つぎのように説明している。「クメール人歴史研究者マック・プン博士と私は『王朝年代記』と史実を付き合わせ、史料批判をする作業にとりかかり、1417年から1595年までの『王朝年代記』については、1975年に完了した。この史料校訂作業からは、『王朝年代記』の年代と日付が、年代記の書記官たちが手を加えたものではないということが判明した。さらにイスパニア人およびポルトガル人などによる旅行記等は、基本的に『王朝年代記』に記された歴史展開を裏付けるものであったことがわかった。本書の出版は、その史料校訂作業を終えた延長線上」にある。
本書の目的は、以下の2点である。「(1)カンボジアの『王朝年代記』そのものが、信頼できる史実であるかどうかを考察していく。実際の校訂作業としては、外国人たち(商人・軍人・宣教師・フランス人・シャム人・ベトナム人)が残した膨大な史料と記録があり、それらと『王朝年代記』を照合し、比較検討する」。
「(2)18世紀と19世紀のポスト・アンコール王朝は、どのような経緯で国土の大半を失うことになったかを詳解し、フランスとカンボジアの出会いの経緯を述べていく。そして、カンボジア社会が抱え持つ独特な民族論理を解きあかすことにより、なぜそうした歴史展開をたどったのかを解明し、その歴史がどのように繰り広げられたのかを見ていく」。
そして、著者自身が「ここに提示した研究成果そのものだけではおそらく十分とは言えないであろう。ひとつひとつの事件や問題について、史料においてその史実を確認していくことになる。これは当然なすべきことである」と認めている。だが、つづけて絶望的なことが、つぎのように書かれている。「カンボジアの政変[1975年のポル・ポト政権の登場]によって、プノンペンにある仏教研究所図書館の膨大な原典史料がすべて消えてしまった」。
著者がマック・プン博士とともに校訂したことで、「これまでのポスト・アンコールの歴史の年代が確定し、間違いだらけの中世・近世史が正しく校訂された」。カンボジア史研究だけでなく、「東南アジア史研究にとって、何よりの成果である」。
だが、著者がいうように「本書が導き出した結論には、議論の余地がある可能性があり」、2011年に逝去された著者の後を継ぐ者が出てくる必要がある。日本でも、詳細な解題が書けるカンボジア近世史を専門とする者が出てくる必要があるし、同時にシャム史やベトナム史からみた解題も必要だろう。そうすることで、地域としての東南アジアの歴史、とくに大陸部の歴史を背景とした今日の問題を考えることができるようになる。たとえば、ベトナム史の一部としてナショナル・ヒストリーに組み込まれている南部は、その住民のアイデンティティが北部の者とは違うことを前提に考察しなければならなくなる。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
近刊:早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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