寺地功次『アメリカの挫折-「ベトナム戦争」前史としてのラオス紛争』めこん、2021年8月25日、524頁、5000円+税、ISBN978-4-8396-0327-4
20世紀に超大国となったアメリカの傲慢さがよくわかる。そして、陰りがみえてきている今日においても、「挫折」を教訓としないアメリカの傲慢さがつづいている。圧倒的な軍事力、経済力によって、地元のリーダーの腐敗が進み、国家や国民のことを考えない内紛がつづき、無尽蔵に供給される兵器が共存すべき人びとを殺戮していった。本書は、アメリカの政策を研究している観点で書かれているため、現地の民衆の悲惨さはまったく描かれていない。それを想像すると、本書は読めなくなってしまう。
本書は、序章、全12章、終章などからなる。1954年から62年までを時系列に、ラオス史が論述されているが、「研究を進めていくうちに、1954年以前のアメリカのラオス介入の起源と、1962年以降のラオスでの空爆等による惨禍の背景を分析することも不可避であると痛感するようになった」ため、より説得力のある研究書になっている。
著者は、終章で「「ベトナム戦争」前史としてのラオス紛争の意味について」、とくにつぎの3点を念頭に整理している。「ひとつは、一般的には1964年あるいは1965年以降の「ベトナム戦争」が注目されるが、これに先行して、1950年代からアメリカが深く関与する紛争と内戦がラオスで起こっていたという事実である。第2次インドシナ戦争という枠組みで1960年代以降のアメリカのインドシナへの軍事介入を包括的に理解する上でも、現在では一般に忘れ去られているとも言えるこの時期のラオス紛争とアメリカによる関与の歴史を改めて時系列的に位置づける必要がある、というのが本書の主張である」。
「2番目は、1954年から1962年の「中立化」に至るラオスにおけるアメリカの関与のパターンが、政治的干渉と軍事介入、そしてその挫折と軍事要員の「撤退」という形でベトナムにおける1973年までの関与でも繰り返されたという点である。第12章[ラオス「中立化」の崩壊と第2次インドシナ戦争]の最初でも述べたように、1962年のラオス「中立化」と1973年の「パリ和平合意」は、何よりも米軍の軍事要員の現地からの「撤退」を優先して確保するためのものだった。米政府関係者は、ラオスで経験した「介入・挫折・撤退」の教訓を学ぶことなく、ベトナムでも「介入・挫折・撤退」を繰り返した。その意味で、ラオスにおけるアメリカの関与は、時系列的な流れからだけでなく、その特徴あるいはパターンから見ても、ベトナムの前史だったと言える」。
「3番目としては、空爆という手段に過度に依存するアメリカの戦争の先駆けとしてのラオスの悲劇という事実である。第12章で明らかにしたように、アメリカによる空からの戦争は、ラオスでは1964年6月以後「偵察攻撃」という名の下に開始されていた。1964年12月以降はバレル・ロール作戦、スティール・タイガー作戦という継続的で本格的な空爆作戦も開始された。1962年ジュネーブ合意の制約により、アメリカは米軍地上戦闘部隊をラオスに派遣することはなかったが、これらの作戦はベトナムにおける1965年以降の本格的な空爆作戦に先だって開始されていた。しかしながら、これまでの多くの「ベトナム戦争」研究において、この事実はほとんど触れられていない。第2次インドシナ戦争という枠組みを踏まえて、いま一度ラオスの悲劇は想起されるべきだろう」。
そして、終章をつぎのパラグラフで閉じている。「ラオス、ベトナム、そしてアフガニスタン、イラクの事例は、アメリカのような大国で、さまざまな政治的、経済的、軍事的な手段やリソースを持つ国であっても、他の国の政治をコントロールすることがきわめて困難であることを示している。大国は、軍事介入により一国の秩序や人々の生活を混乱させたり破壊したりする能力を持ち合わせている。しかし、大国といえども、その後の紛争の後始末を単独でおこなうことは非常にむずかしいのである。ラオスの事例のように、多国間の枠組みでの合意が期待を抱かせたときもあるが、紛争の長期化とアメリカ国内の厭戦気分は、アメリカ自身が政治的解決の努力を放棄する事態を招きかねない。また大国の戦争あるいはアメリカの戦争と化した紛争に、他国が協力して火中の栗を拾おうと動く可能性も小さくなるのが国際政治の悲しい現実とも言える」。
著者の「父は1939年から3年半近く中国や「北部仏印」の戦線に送られた兵士だった。しかし父も、また母も自分たちの戦争中の経験や記憶について子供たちに一切と言ってよいほど語ることはなかった」。当時戦線にいた人たちは、自分たちの置かれていた状況を正確に把握していなかっただろう。戦後、状況がわかるにしたがって、「加害者」として戦争が語れなくなっていく。アメリカが「挫折」を教訓とすることができないのも、「被害者」として語ることはできても、「加害者」として語ることができないからだろう。「戦争反対」を唱える者は自身が被害者になることを想像してであって、加害者になることを恐れる意識は乏しい。
従来マイナーな部分とされてきたラオス紛争に焦点を当てることによって、メジャーな部分の欠落をあきらかにした意義はひじょうに大きい。それなら、そのマイナーな部分のマイナーな部分として語られているモン族部隊のその後も気になる。そういう本も、すでに何冊か出版されているが。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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