吉澤誠一郎『愛国とボイコット-近代中国の地域的文脈と対日関係』名古屋大学出版会、2021年11月30日、282+22頁、4500円+税、ISBN978-4-8158-1048-1
「日貨排斥」と聞いて、勘違いをする学生がいる。「貨」を「貨幣」の「貨」と思い、「貨物」の「貨」の商品に結びつかないのである。「日貨排斥」とは日本商品のボイコットのことである。それが、時に暴力をともなう激しいものとなって、20世紀前半の中国で繰り返された。本書の問題意識は、「まぜ、このような運動が繰り返し起こった」のかにある。
本書の内容は、「あとがき」でつぎのようにまとめられている。「本書は、中国ナショナリズムについての研究であることは間違いないが、多くの部分で、人々が多様な動機から運動に加わったことを強調している。私の理解によれば、愛国を呼びかける言説は、多様な動機による行動を一つにまとめあげる広い通用性と、反論を許さない強い正当性を有していた。愛国運動は、参加者の同床異夢にこそ、その歴史的意味があった。本書は人々の動機の多様性(「異夢」)の側面を指摘しているが、人々がそのような立場の相違にもかかわらず共同して行動することもあったこと(「同床」)の重要性もまた念のため強調しておきたい」。つまり、「同床異夢」が繰り返し起こった原因のひとつで、それぞれ個別の背景とその影響を考える必要があるということである。
「終章 ボイコット運動の歴史的位相」では、まず、時代背景をつぎのように要約している。「この時代は、清朝末期から中華民国北京政府期に相当している。そして、それは日露戦争後の日本が、政治的・軍事的・経済的に列強の一員としての力量を発揮し、中国に対する進出を強めていった時代ということになる。これに対し、清朝や中華民国は、国力の限界ゆえに、十分に対抗するのが難しい状況にあった。そのなかで、大衆運動として対日ボイコットが何度も発生したのである」。
本書は、「序章 ナショナリズム研究と対日ボイコット運動」にはじまり、全7章、終章などからなる。「一九〇八年の第二辰丸事件から一九二五年の五卅運動に至る時期の排日運動」を時系列的に考察を進める全7章は、序章「六 本書の構成と日中関係史の視点」で、つぎのようにまとめられている。
「最初の反日ボイコット運動である第二辰丸事件から議論をはじめ、ついで、満洲問題に関する東南アジア華僑の排日運動(一九一二~一三年)について考察を進める。この二つの事案は、いずれも特殊な地域的背景から解釈すべきであると本書は考える」。「続いて、一九一五年の二十一か条反対運動、一九一九年の五四運動、一九二三年の旅順・大連回収運動について考察する。これらはいずれも、二十一か条と深い関係がある運動として一連のものと言ってよい」。「最後に一九二五年の五卅運動について考えてみたい。これは、もともとは日本資本の紡績工場におけるストライキを発端としていたが、上海共同租界警察による発砲事件を経て、反日反英の運動として展開した点で特異な様相を示した」。
その後について、本書の考察の対象としなかったのは、つぎの理由によった。「「北伐」を経て南京国民政府が成立し満洲事変が起こるところで、日中関係については別の時期が始まったという歴史認識を持つからである。むろん、排日運動の展開には類似した点も多く認められるが、もし同様であるとするならば、さらなる分析を加えるには及ぶまい」。
それぞれの章で、具体的な事例を示すことによって、さまざまな動機は、「終章」でつぎのようにまとめられている。「それは国内政治の勢力争いのためであったり、自らの経済的な目的のためであったり、また愛国運動に参加することによる自己実現のためであったりした。このように中国の人々が主体的に個々の外交案件を利用することによって、排日の運動は展開していったとみるのが妥当である」。
そして、「終章」をつぎのことばで閉じている。「本書が議論した二〇世紀前半の運動においても、中国の政権は微妙な態度を示す場合が多かった。愛国の運動を正面から弾圧することは、かえって反政府の動きを生じさせる恐れがある。他方で、運動が過激化して抑えきれなくなるのも困る。当時の中華民国の中央政府ないし地方政権にとって、愛国的な大衆運動はときに力強い対外交渉の後ろ盾として使える場合もあったかもしれないが、対応を間違えると政権にとって重大な失策となりかねなかった。このようなディレンマは、今なお世界の多くの国々の政治過程を観察するときに見出すことができるだろう」。
これまで画一的に捉えていた「日貨排斥」が中国本国で、いろいろな背景のもとで起こり、さまざまに影響していたことが、本書からわかった。東南アジア各地の華僑・華人の対応・影響が、その地の状況によってさまざまであったように、国土・人口が広大な中国本国でも画一ではなかったことは、当然といえば当然であったが、それがこれまで可視化されなかった。「貨」は商品だけではなかったこともわかった。東南アジア各地の華僑・華人への影響も、中国本国の動機などによって異なっていたのだろうか。現地の状況だけではない要因も考えなければならなくなった。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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