弘末雅士『海の東南アジア史-港市・女性・外来者』ちくま新書、2022年5月10日、268+xvi頁、880円+税、ISBN978-4-480-07478-2

 植民地解放闘争を経て近代国民国家を形成した多くの東南アジア諸国は、得たものが多かったものの失ったものもある。近代には大きな戦争があり、戦争は成人男性中心におこなわれ、そのほかの人びとを周縁に追いやり、社会への従属を強いていった。流動性の激しい海域世界に属していた東南アジアでは、臨機応変に対応しなければならない必要性から対人関係を重視し、中央集権的な社会をつくってこなかった。港にさまざまな人びとが集い、そこには女性や外来者などの活躍の場があった。だが、民族主義運動を経て形成された中央集権的な近代国民国家は、そのような人びとを表舞台から退場させた。

 本書は、実証的近代文献史学によって歴史的にも後景に追いやられた、このような人びとを前近代にさかのぼって表舞台に呼び戻し、「前近代から近代への移行期を生きた現地の人々」に焦点を当て、「前近代と近現代を統合的にとらえ」ようとしている。

 本書の概要は、表紙見返しに、つぎのように記されている。「近世から現代まで、ヨーロッパ諸国、中国、日本などから外来者が多く訪れ、交易をし、また植民地支配を行った東南アジア。そこでは、人喰いの風聞を広める人、現地人女性、ヨーロッパ人と現地人の間の子孫、華人などさまざまな存在が、外の世界と現地の間に介在していた。その様相を見ると、いかに多様な人々が各地に存在し、複雑な関係を持っていたか、各地の国民国家形成に影響を与えたかがよくわかる。主に東南アジア海域を舞台に、前近代と近現代、西と東をつなげる画期的な一冊」。

 本書は、はじめに、全5章、おわりに、あとがき、参考文献からなる。本文では、時系列的に話を進めている。副題の3つのキーワード、港市・女性・外来者について、「はじめに」で、つぎのように説明されている。「東南アジアは、熱帯気候のもたらす豊かな産物を有し、インド洋とシナ海さらに太平洋をつなぐ。この地域には、古くから他地域の商人や旅行者、宗教家らが来航した。東南アジアの港町(以下港市と表現)は、外来者に広く門戸を開き、多様な人々を受け入れるシステムを構築してきた。たとえば通訳の手配や居住地の割り当て、市場への商品搬入の仲介などがそれである。また一九世紀の終わりまで、来訪者の多くは男性単身者であった。地域の有力者は、外来者の活動の便宜をはかるため、彼らに現地人女性との一時結婚を推奨した。こうして外来者の多くが、東南アジアで家庭形成し、東南アジアの港市は、多様な出身地の人々やその子孫を抱えるコスモポリスとなった」。

 「東南アジアにおいて女性は、そのような外来者と家庭形成するとともに、商業活動において重要な役割を担った」。だが、「国民国家の成立とともに、現地人女性の外来者との一時結婚の慣習も負の遺産とされた」。

 「おわりに」では、まず冒頭でつぎのように本書をまとめている。「東西海洋交易路の要衝に位置した東南アジアは、多様な外来者を含め社会形成してきた。東南アジアの港市は、交易活動を促進するために来訪者に広く門戸を開き、多彩な地域からの商人を抱えた。他方で港市は、外部世界への窓口となることで、地域の結節点となり、産品を集荷するために産地住民と関係を形成した。港市支配者は、外来商人と産地住民の仲介役であった。こうした外来者と地域社会をつなぐ役割を具体的に担ったのが、外来者と家族形成した現地人女性やその子孫であった。彼らは、外来者に現地の習慣や言語を教え、また商業活動を担った。こうして東南アジアに、華人やヨーロッパ人のコミュニティが形成された。そして一九世紀中頃まで、こうした現地人女性やその子孫は、社会統合に欠かせなかったのである」。

 そして、つぎのように結論している。「植民地解放闘争により、多くの新生国家を形成した東南アジアにおいて、隷属や服属は打倒されるべき対象であった。ニャイ[ねえさんと呼ばれた現地妻]も、インドネシア民族主義運動において植民地支配の犠牲者とされた。民族主義運動は、解放された自由で平等な構成員を基盤とする国民国家樹立を目指していた。しかし、そうして形成された新生国家が前述した諸矛盾を抱えるなかで、前近代から今日に至る内と外の紐帯役や社会統合のあり方を、再考する必要が感じられだした。本書は、その試みの一つとして、外来者と家族形成した現地人女性やその子孫に着目した。植民地体制下で、集団への帰属意識は強まった。ただし、集団間の垣根が高くなればなるほど、仲介役は重要となる。現在でも同様である。服属と自由、接合と分化は、こうした存在にとって、必ずしも対立する別個のものではなく、しばしば表裏の関係にあることに気づかされる」。

 最後に、つぎのように今後を見据えて、「おわりに」を閉じている。「そうした複合性に着目すると、人と人との多彩な関係が見えてくる。社会の流動性が高まる今日、従来の紐帯からの分離やそれによる孤立化が進行している。他方でそれは、新たな関係を生む契機ともなる。自然や他界との関係さらにAI機器や媒体を含めると、交流のし方は多様になる。人をつなぐ媒介者の役割の重要性が、改めて浮かび上がるのである」。

 近代国民国家のための歴史ではなく、グローバル社会や地域社会のための歴史を考えたとき、国民教育だけでなく市民教育が重要になっていることに気づく。近代に女性が排除される前の史料を読むと、多くの場合、女性が男性と対等に扱われている。本書によって女性が表舞台に再登場したのではなく、史料を読む眼が近代に曇っていただけで、本書のように史料を素直に読めば、女性などの役割が正当に評価された歴史叙述になるはずである。近代国民教育からの離陸が必要であることを、「海の東南アジア史」が教えてくれる。

評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。