陳激『民間漁業協定と日中関係』汲古書院、2014年11月19日、223頁、6000円+税、ISBN978-4-7629-6527-2

 本書「序」は、つぎのようなパラグラフではじまる。「1949年10月に成立した中華人民共和国(以下、中国と略記)と日本の間には、領海及び漁業をめぐって深刻な対立が存在していた。具体的には、東シナ海・黄海における日本の以西漁業の漁船に対する中国側官憲の発砲・拿捕事件の多発である。これら一連の事件は、1950年12月以降続発するようになり、1954年7月まで続き、合計158隻の日本漁船が拿捕された。日本側の人的被害についても、17名の死亡者を含む1,909名の漁船乗組員(以下、船員と略記)が中国に抑留された。抑留は長期にわたることとなった結果、拿捕された船員とその家族は生命の危機や生活に対する不安を覚え、また抑留されなかった船員も、常に発砲・拿捕の不安に怯えながらの操業を行わざるを得ない状況であった。さらに、拿捕された船員の釈放・帰還は認められたものの、漁船が中国側に没収されたことで、日本の漁業経営者に深刻な打撃を与え、経営危機に陥る者も現れるようになった」。

 日本側にとって、ほんとうに困った問題であった。だが、この「日本の漁船拿捕・船員抑留事件は、中国沿岸部への日本漁船の殺到、濫獲といった」中国側の深刻な問題があり、「その背景には、戦前以来の日本遠洋漁業の膨張的性格が大きく影響している。日本は、戦前期に帝国主義的な発展と歩調をあわせるように、遠洋漁業の漁場も次第にその範囲を拡大していった。日本の漁船団が中国の沿岸部で濫獲して資源を廃頽させたことや、濫獲によって得た大量の漁獲物を中国に密輸出し、中国市場の魚価を暴落させたことなどが、記憶として戦後の中国国民の中に残っている。そのため、中国は日本漁業に対する強い警戒心を抱かせるようになったといえる」。現在、このことを知っている日本人は少ない。

 本書の目的は、この「深刻な対立」を解決すべく、日中がどのように対峙したのかをあきらかにすることで、つぎのように「はしがき」でまとめられている。「本書では、1955年に日中両国の民間漁業団体によって締結された日中民間漁業協定に着眼し、国交回復以前の日中関係を論じる。その目的は、半世紀以上前の日中漁業問題及び日中民間漁業交渉の実態を明らかにすることにより、「漁業をめぐる問題」の根底に横たわる今日的な課題の歴史的な背景を浮き彫りにし、日中共通認識の形成に寄与することである」。

 本書に頻繁に出てくる「以西漁業」は、章末の註で、つぎのように説明されている。「主に東シナ海・黄海を漁場とする底曳網漁業で、その許可水域は政令で北緯25°以北、東経130°以西(ただし北緯36°以北の日本海を除く、1952年10月以降は東経128°30′である)と規定されている。漁獲の対象は底魚であり、主力漁船はトロール漁船と底曳網漁船である」。

 本書では、「戦後の日本漁船が中国沿岸部に殺到した背景」として、「占領期における日本漁業の問題点について」、「次の三つの視覚から分析を行って」いる。「第一は、日本政府の漁業政策における以西底曳網漁業の位置づけである」。「第二は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の漁業政策である」。「第三は、以西漁業における競争環境の形成と、経営・雇用関係のあり方が与えた影響である」。

 さらに、「日中民間漁業協定の漁業史上における意義を考えるにあたっては、次の視角を重視したい」という。「第一に、日米加漁業条約との比較である。日米加漁業条約は1951年12月に仮署名、講和条約発効直後に締結された条約である」。「第二に、日本側の民間漁業団体が交渉の主体となったことの意義である」。

 本書は、序、全3章、結などからなる。本文3章は時系列で、第一章「戦前日本の遠洋漁業と以西漁業」は、「戦前期日本における遠洋漁業及び以西漁業の形成・発展の歴史を整理するものになっている。戦前の日中漁業問題及び、日本の遠洋漁業は野放図な漁場拡大政策によって発展してきたことと、その政策を無規制の公海自由原則が支えていたことについて、従来の研究よりも詳しく分析したつもりである」。

 第二章「占領期の以西漁業と講和問題」は、「占領期における以西漁業の実態を分析するものである。GHQと日本政府の漁業政策、以西漁業の企業経営と労使関係の特質、講和を進める中での漁業問題の扱いを検討し、日本漁船がマッカーサーラインを意識的に越えて操業するようになる背景を考察するものである」。

 第三章「民間交渉と漁業協定」は、「中国側による漁船拿捕・船員抑留の実態と、日中民間漁業協定締結までのプロセスを分析するものである。漁船拿捕の現場と抑留船員の生活を詳細に扱われており、民間漁業交渉・協定実施をめぐる日本側の漁業関係者動向や日本政府の姿勢などを浮き彫りにするものである」。

 そして、「結」では、「日中漁業問題と民間漁業協定の形成過程」を追って、まとめた後、「日中民間漁業協定の意義」について、つぎのようにまとめている。まず、「この交渉過程で注目すべき点は、日本側が、戦前以来堅持してきた無規則の公海自由原則を放棄したことである。具体的には、以西漁業における操業を、操業秩序維持、濫獲の防止実現のために自主規制したことである」と述べている。

 「さらに重要なこと」として、つぎのように「結」を締めくくっている。「日中民間漁業協定にみるような、公海における操業の自主規制は、国際漁業制度史の面からみても画期的なことであった。とりわけ、公海自由概念の変遷からみてみると、1890年代には、米、英、露3ヵ国が北洋海域のラッコ・オットセイの捕獲条約を締結(1891年)するなど、資源保護の目的で公海自由原則を規制しようとする国際協力がすでに始まっていた。しかし、日中民間漁業協定第一条、附属書第一号(六つの制限漁区)のように、公海において紛争を避け、操業秩序を維持する目的で規制を設けたのは歴史上初めてのことであった。さらに、民間漁業協定の交渉過程をみても明らかなように、当初公海における操業に規制をくわえることは日本側の内部に強い異論があった。しかし、中国側に対する妥協の一つとはいえ、日本側が公海における操業規制を容認したことは、東シナ海・黄海における戦後の国際漁業に一つの活気をもたらしたのである」。

 現在の日本の漁業は、本書で議論したときとは立場が逆転して、中国・台湾、韓国・北朝鮮など近隣諸国に漁場を奪われ、守勢いっぽうになっている。だからこそ、かつての日本の帝国主義的略奪漁業を精査し、今後の漁業資源のあり方を近隣諸国に向かって提起する必要がある。過去を糾弾されることを覚悟のうえに。そのためには、中国だけでなく、台湾、韓国・北朝鮮からの「糾弾」も必要である。日本からみた「日本漁業発展史」ではなく、地域の漁業史を理解したうえで、今後の漁業資源を考える必要がある。

 本書を読んで救われたのは、中国での「抑留中の生活もよかった」「日常必需品は何一つ不自由することもなく、特に衣食住には御配慮くだされ」たと書かれていることである。


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