五十嵐誠一『東アジアの新しい地域主義と市民社会-ヘゲモニーと規範の批判的地域主義アプローチ』勁草書房、2018年1月20日、407頁、5200円+税、ISBN978-4-326-30264-2
「既存研究の欠落に真っ向から挑む」という威勢のいい宣言の後、つぎのように問題意識を説明している。「市民社会アクターは、東アジア、あるいはその下位地域である東南アジアや東北アジアという地域の形成過程において、いかなる理念と目標を掲げて活動を展開し、地域のアジェンダや政策にいかなる影響を与えているのか。この疑問を、理論的・実証的に分析することを本書は最大の狙いとする。かような課題に体系的に取り組んだ研究は、国内外を問わず皆無に等しい。そればかりか、地域主義と市民社会との関係性自体が、既存の地域主義研究では半ば等閑に付されてきた。このような先行研究の現状を打破し、市民社会アクターの可能性と限界をより正確に把握するには、二次資料のみならず一次資料をも渉猟しながら、その活動の実態を丹念に読み解く作業が欠かせない。同時に、従来の国家中心的な分析概念や理論枠組みの限界を認識し、市民社会をより重視した新たな理論アプローチを彫琢することが要求されよう」。
既存の研究を批判するためには、用意周到に既存の研究成果を分析する必要がある。著者は、つぎのような手順で議論を進めることを説明している。「本書に入る前に、ここでは本研究の背景、本研究の位置づけ、本書の構成を提示する。まず、研究の背景を捉えるために、東アジアの地域主義の発展の軌跡を素描し、そこで半ば等閑視されてきた市民社会の視座を掘り起こす。その上で、先行研究の整理を行いながら、本書の分析視座を国際関係論と地域主義研究の中に位置づけて確認する。最後に、本書の構成を示す」。
本書は、序章「本書の課題と分析視角」、全6章、終章「東アジアにおける共同体の隘路と活路」からなる。第1章「批判的地域主義アプローチに向けて」では、「理論的考察を行い、本書の理論的枠組みを提示する。ここでの主たる作業は4つある。第1に、リベラルとラディカル双方の思想的潮流を下敷きに、市民社会が持つ多様な位相を地域(主義)という文脈に引き寄せながら探り出す。第2に、市民社会の成長を踏まえて、国家中心的なきらいがある地域に関わる諸概念を脱構築し、市民社会アクターによる「下」からの地域主義という分析視角を導入する。第3に、既存の理論アプローチを合理主義、省察主義、社会構成主義に分けて整理し、それぞれの分析の死角を明らかにする。以上の作業を踏まえて第4に、地域の形成に関わる市民社会の独自の志向性と影響力を捉えた分析を行うために、批判的国際関係論のヘゲモニーと批判的社会主義構成主義の規範という概念に注目したCRA[批判的地域主義アプローチ]を提示する」。
「第2章からは事例編となる。第2章[ASEAN共同体と市民社会]ではASEAN共同体の形成過程を取り上げる。第3章[人権と市民社会]では人権、第4章[移民労働と市民社会]では移民労働に注目する。両章は、東アジアを分析対象とするが、地域レベルの市民社会アクターの関与については東南アジアのASEANに注目する。第5章[持続可能な発展と市民社会]では持続可能な発展、第6章[紛争予防と市民社会]では紛争予防をそれぞれ取り上げる。両章では、東北アジアが主たる分析対象となる」。
そして、「終章では、本書全体の考察を通観し、各章の内容に若干の考察を加えながら全体の整理を行う。また、「上」からの地域主義と「下」からの地域主義との志向性の違いをまとめ、規範の地域適合化の見取り図を示す。最後に、東アジアの地域主義と共同体の展望に関する知見を述べる」。
終章「1.本書のまとめ」の最後では、「東アジアにおけるグローバル規範の地域適合化と異種系統入力パターン」と題して、以上の考察を表にしてまとめ、つぎの3点が導き出されたと結論している。「第1に、東アジアでは、いずれのイシュー(人権、移民労働、持続可能な発展、紛争予防)においても、ハードローの形成は困難であり、せいぜい宣言か共同声明が採択されているにすぎない。欧州と異なり「上」からの地域主義では、拘束力を付与することへの強い抵抗が依然として存在する。地域機構が存在する東南アジアでは、ASEAN方式としての主権規範が堅持されている」。
「第2に、「上」からの「国家中心的地域主義」とそこで支持される「新自由主義型地域主義」とは異なる志向性を持つ「下」からの市民社会による地域主義の発達が、いずれの分野においても著しい。市民社会による「オルタナティブ地域主義」が実体化しつつある。このような「下」からの地域主義の成長が、規範の内容をめぐるヘゲモニー闘争を惹起している。市民社会を分析に含めることで、地域主義の新たな位相が浮かび上がった」。
「第3に、東アジアではグローバルな規範の独自な解釈、すなわち規範の地域適合化が各イシューで観察される。しかも、地域適合化の内容は、主体によって異なりうる。各主体による多様な解釈を通じて、グローバルな規範の地域流の受容と構築が進められている」。
本書は、「序章」「終章」で議論の内容とまとめがよく整理されているので、ひじょうにわかりやすい。終章では「1.本書のまとめ」につづいて、「2.本書の課題と今後の研究」がまとめられている。課題の最後に、つぎのように指摘している。「以上の課題が、分析対象の「水平方向」への拡大に関わるものであるとすれば、「垂直方向」への研究対象の拡張も課題として残された。東アジアでは、市民社会による「下」からの地域主義に加えて、もう1つ看過できない現象が進んでいる。サブ・リージョナリズム(下位地域主義)あるいはミクロ・リージョナリズム(小地域主義)と呼ばれる現象である」。そして、この節をつぎのようなパラグラフで終えている。「こうしたサブ/ミクロ・リージョナリズムの発展は、国境を跨いだ新たな社会・政治・文化・経済空間の出現による国家の再編と解体を意味する。新しい社会単位としてのサブ/ミクロ地域の出現は、国家中心的な既存の主流理論では十分に捉えきれない現象である。サブ/ミクロ地域は、CRAを提示する本書にとって格好の素材ともなりうる。多様なサブ/ミクロ地域の形成は、より上位の東南アジアと東北アジア、さらには広義の東アジアの地域主義と関わりながら発展を遂げていく。こうした東アジアの地域主義の動態は、地域主義の重層化の分析という新たな研究課題をわれわれに突き付ける」。
著者は、「あとがき」で政治学に対してだけでなく、地域研究への批判と重要性を、つぎのように述べている。「「まずは現地に行こう」という地域研究者にありがちな発想を、本書をまとめる過程で見直さなければならないこともわかった。今ある大量の材料で政治学的に「分析」する。そこで課題を明らかにし、明確な目的を持った上で、満を持して現地に赴く。時には禁欲的にあえて現地に赴かない期間を設けることも必要であろう」。いっぽうで、「相変わらず現地調査は、私たちの知的好奇心を掻き立て、本や論文を読むだけでは捉えきれない現地の実像を露にし、時には既存の理論アプローチに修正を迫るような知見をわれわれに与えてくれる。とりわけ市民社会の実証研究は、巷間広く流布した文献に依存するだけではなしえないところに難しさとやりがいがある。現地に赴き、関係者に聞き取り調査を行わなければ、市民社会の多様な主体の活動を正確に把握することは困難である」。
果敢に既存の研究に挑み、文献を渉猟してまとめた本書は、今後の研究の礎となるだろう。それは、著者が文献にこだわりながらも、その限界を理解し、地域研究的手法を取り入れた成果でもあるからである。これを礎に、地域研究の限界から政治学的手法を取り入れたら、どのような研究が可能になるだろうか。「下」からの意味も、ずいぶん違って見えてくるだろう。
既存の研究を批判するためには、用意周到に既存の研究成果を分析する必要がある。著者は、つぎのような手順で議論を進めることを説明している。「本書に入る前に、ここでは本研究の背景、本研究の位置づけ、本書の構成を提示する。まず、研究の背景を捉えるために、東アジアの地域主義の発展の軌跡を素描し、そこで半ば等閑視されてきた市民社会の視座を掘り起こす。その上で、先行研究の整理を行いながら、本書の分析視座を国際関係論と地域主義研究の中に位置づけて確認する。最後に、本書の構成を示す」。
本書は、序章「本書の課題と分析視角」、全6章、終章「東アジアにおける共同体の隘路と活路」からなる。第1章「批判的地域主義アプローチに向けて」では、「理論的考察を行い、本書の理論的枠組みを提示する。ここでの主たる作業は4つある。第1に、リベラルとラディカル双方の思想的潮流を下敷きに、市民社会が持つ多様な位相を地域(主義)という文脈に引き寄せながら探り出す。第2に、市民社会の成長を踏まえて、国家中心的なきらいがある地域に関わる諸概念を脱構築し、市民社会アクターによる「下」からの地域主義という分析視角を導入する。第3に、既存の理論アプローチを合理主義、省察主義、社会構成主義に分けて整理し、それぞれの分析の死角を明らかにする。以上の作業を踏まえて第4に、地域の形成に関わる市民社会の独自の志向性と影響力を捉えた分析を行うために、批判的国際関係論のヘゲモニーと批判的社会主義構成主義の規範という概念に注目したCRA[批判的地域主義アプローチ]を提示する」。
「第2章からは事例編となる。第2章[ASEAN共同体と市民社会]ではASEAN共同体の形成過程を取り上げる。第3章[人権と市民社会]では人権、第4章[移民労働と市民社会]では移民労働に注目する。両章は、東アジアを分析対象とするが、地域レベルの市民社会アクターの関与については東南アジアのASEANに注目する。第5章[持続可能な発展と市民社会]では持続可能な発展、第6章[紛争予防と市民社会]では紛争予防をそれぞれ取り上げる。両章では、東北アジアが主たる分析対象となる」。
そして、「終章では、本書全体の考察を通観し、各章の内容に若干の考察を加えながら全体の整理を行う。また、「上」からの地域主義と「下」からの地域主義との志向性の違いをまとめ、規範の地域適合化の見取り図を示す。最後に、東アジアの地域主義と共同体の展望に関する知見を述べる」。
終章「1.本書のまとめ」の最後では、「東アジアにおけるグローバル規範の地域適合化と異種系統入力パターン」と題して、以上の考察を表にしてまとめ、つぎの3点が導き出されたと結論している。「第1に、東アジアでは、いずれのイシュー(人権、移民労働、持続可能な発展、紛争予防)においても、ハードローの形成は困難であり、せいぜい宣言か共同声明が採択されているにすぎない。欧州と異なり「上」からの地域主義では、拘束力を付与することへの強い抵抗が依然として存在する。地域機構が存在する東南アジアでは、ASEAN方式としての主権規範が堅持されている」。
「第2に、「上」からの「国家中心的地域主義」とそこで支持される「新自由主義型地域主義」とは異なる志向性を持つ「下」からの市民社会による地域主義の発達が、いずれの分野においても著しい。市民社会による「オルタナティブ地域主義」が実体化しつつある。このような「下」からの地域主義の成長が、規範の内容をめぐるヘゲモニー闘争を惹起している。市民社会を分析に含めることで、地域主義の新たな位相が浮かび上がった」。
「第3に、東アジアではグローバルな規範の独自な解釈、すなわち規範の地域適合化が各イシューで観察される。しかも、地域適合化の内容は、主体によって異なりうる。各主体による多様な解釈を通じて、グローバルな規範の地域流の受容と構築が進められている」。
本書は、「序章」「終章」で議論の内容とまとめがよく整理されているので、ひじょうにわかりやすい。終章では「1.本書のまとめ」につづいて、「2.本書の課題と今後の研究」がまとめられている。課題の最後に、つぎのように指摘している。「以上の課題が、分析対象の「水平方向」への拡大に関わるものであるとすれば、「垂直方向」への研究対象の拡張も課題として残された。東アジアでは、市民社会による「下」からの地域主義に加えて、もう1つ看過できない現象が進んでいる。サブ・リージョナリズム(下位地域主義)あるいはミクロ・リージョナリズム(小地域主義)と呼ばれる現象である」。そして、この節をつぎのようなパラグラフで終えている。「こうしたサブ/ミクロ・リージョナリズムの発展は、国境を跨いだ新たな社会・政治・文化・経済空間の出現による国家の再編と解体を意味する。新しい社会単位としてのサブ/ミクロ地域の出現は、国家中心的な既存の主流理論では十分に捉えきれない現象である。サブ/ミクロ地域は、CRAを提示する本書にとって格好の素材ともなりうる。多様なサブ/ミクロ地域の形成は、より上位の東南アジアと東北アジア、さらには広義の東アジアの地域主義と関わりながら発展を遂げていく。こうした東アジアの地域主義の動態は、地域主義の重層化の分析という新たな研究課題をわれわれに突き付ける」。
著者は、「あとがき」で政治学に対してだけでなく、地域研究への批判と重要性を、つぎのように述べている。「「まずは現地に行こう」という地域研究者にありがちな発想を、本書をまとめる過程で見直さなければならないこともわかった。今ある大量の材料で政治学的に「分析」する。そこで課題を明らかにし、明確な目的を持った上で、満を持して現地に赴く。時には禁欲的にあえて現地に赴かない期間を設けることも必要であろう」。いっぽうで、「相変わらず現地調査は、私たちの知的好奇心を掻き立て、本や論文を読むだけでは捉えきれない現地の実像を露にし、時には既存の理論アプローチに修正を迫るような知見をわれわれに与えてくれる。とりわけ市民社会の実証研究は、巷間広く流布した文献に依存するだけではなしえないところに難しさとやりがいがある。現地に赴き、関係者に聞き取り調査を行わなければ、市民社会の多様な主体の活動を正確に把握することは困難である」。
果敢に既存の研究に挑み、文献を渉猟してまとめた本書は、今後の研究の礎となるだろう。それは、著者が文献にこだわりながらも、その限界を理解し、地域研究的手法を取り入れた成果でもあるからである。これを礎に、地域研究の限界から政治学的手法を取り入れたら、どのような研究が可能になるだろうか。「下」からの意味も、ずいぶん違って見えてくるだろう。
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