湖中真哉・太田至・孫暁剛編『地域研究からみた人道支援-アフリカ遊牧民の現場から問い直す』昭和堂、2018年3月30日、290+v頁、6400円+税、ISBN978-4-8122-1711-5
本書の概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「世界最貧困地帯の一つ、東アフリカ遊牧民社会。飢餓・紛争・テロなど絶え間ない人道的危機に直面する人々に国際社会は支援の手を差し伸べてきた。その現場では何が起こっていて今何が求められているのか。地域研究者と援助の実務家が協働し人道支援のあり方に根源的な転回を迫る」。
本書は、5年間の共同研究の「最終成果」である。この研究が目指したものは、つぎのように説明されている。「まず遊牧社会に焦点を当てた従来の研究から、人道的支援と在来の遊牧文化の両者が組み合わさる領域(接合領域)に視点を移行させる試みを始めた。それによって、遊牧民が受動的に人道支援や開発・援助を受け入れ社会変容しているのではなく、自分たちの社会・文化に適合できるように人道支援を利用・改変し、危機からの脱出と生活の再建を試みている実情が見えてきた。そのうえ、各研究者は現地調査によるひとつひとつの事例の積み上げを通して、人道支援の現場での適用可能性を考慮したより具体性をともなった提言を目指した。さらに、より広い視野で比較研究を行うために、構成メンバーにアフリカの狩猟採集民や農耕民を研究対象とする研究者も参加している」。
本書のねらいは、「地域研究の立場から、同じ人間として、ただし、実際には大きく異なる多様な人間の問題として、人道支援の問題に新たな光を当てること」とし、つぎのように説明している。「通常、日本に暮らす私たちの多くは、支援の向こう側にある世界を十分に想像することなく、いつの間にか当たり前のように支援する側に立ち、支援する側からしかものごとをみなくなってしまう。かくいう私も恥ずかしながら現場に身を置く以前にはそうであった。しかし、ここで必要なのはコペルニクス的転回である。それとは反対側の、支援を受ける側の地域住民の側から、人道支援をもう一度とらえ直してみることはできないだろうか。人間を考えるにあたって私たち地域研究者は、無色透明な人間ではなく、常にある特定の地域の特定の環境の中で生きる具体的な人間を想定し、さまざまな顔を思い浮かべる。私が今これを書きながら思い浮かべているのは、東アフリカ遊牧社会で人道的危機に直面した一人ひとりの顔だ。本書は人道支援のローカライゼーションという課題を扱うが、ここでの「ローカライゼーション」とはたんに普遍的なものを各地域に適合するように改良する機械的作業を意味しない。具体的な特定の地域の脈略の中で特定の生を営んできた人びとの観点から、私たちのものの見方の前提を問い直すことなのである」。
本書のキーワードのひとつに「接合領域」がある。その概念は「古典的な文化の概念とは異なって」おり、つぎのように説明している。「古典的な文化の概念においては、文化は純粋で、伝統的で、首尾一貫していて、変化がなく、明確な境界を持ち、常に同質的な特徴を持つとされてきた。これに対して、接合領域の概念は、混成的で、不連続的で、首尾一貫しておらず、常に変化し、明確な境界をもたず、異質性を特徴としている。それゆえ、私たちがここでいう文化的多様性へのローカライゼーションとは、あくまで、こうした意味における異質性を含み混んだ不定形な文化の多様性へのローカライゼーションであり、決して、古典的な文化概念がいうような確固たる同質的な体系性を備えた文化の多様性へのローカライゼーションのことではない」。
本書は、まえがき、序章「人道支援におけるグローバルとローカルの接合」、2部各部6章全12章、終章「東アフリカ遊牧社会の現場からみた新しい人道支援モデルに向けて」、あとがき、からなる。第Ⅰ部「支援の現場から人道支援を再考する-食糧・物資・医療・教育」では、「人道支援を考えるにあたって不可欠な構成要素である食糧・物資・医療・教育について、東アフリカ遊牧民を対象とした臨地地調査成果に基づく六本の論考が収められている」。第Ⅱ部「政治的・文化的・社会的脈略のなかで人道支援を再考する」では、「第Ⅰ部のような人道支援の基礎的構成要素別の取り上げ方ではなく、政治的・文化的・社会的等の多岐にわたる諸側面から人道支援のあり方を掘り下げていく」。そして、終章では、「東アフリカ遊牧民に対する人道支援のローカライゼーションに関して、人的、時間的、空間的な三つの枠組みからなるモデルが提示される。そして、湖中は、本書の各議論を総括した到達点から「内的シェルター支援モデル」を打ち出すことを試みている。最後に、地域研究の立場から、「普遍的普遍主義」に基づく人道支援のあり方を展望することで本書を締め括っている」。
「内的シェルター」とは、「救援食糧のトウモロコシの袋やテントや緊急医薬品のようにはっきりと目に見えるわけではない」。「非常に儚く、壊れやすく、柔軟な特徴を持っているが、その一方で危機には強く、その意味でまさにレジリエントである。それは古典的な人類学者が好んで使いがちな伝統文化や社会構造ではなく、それらが被災後の変化によって生み出した変異体で」ある。それは、たとえば編者のひとり、湖中が「発見」した「最小限のもののセット」で、「家畜の乳容器、家畜の皮の敷物、椅子など、貨幣価値に換算すると決して高価とはいえないものばかりで」、「たとえ全家畜が失われても」、「人びとはそれを起点として身体イメージの広がりを回復させ、やがて自尊心を取り戻すことができるかもしれない。その役割は決して人道支援によって配給されるテントや鍋が代替することのできないものなのである」。
そして、つぎのように結論している。「本書が試みた接合領域接近法による人道支援のローカライゼーションの研究は、まさに、この「普遍的普遍主義」への具体的なステップとして位置づけられる。この意味において、地域研究の立場からそれぞれの地域に即した人道的支援のローカライズを模索する本書の試みは、各地域の伝統文化に回帰することを主張する偏狭な党派主義とは異なる。逆説的に聞こえるかも知れないが、本書が試みたことは、人道支援という普遍的とされてきたもののローカライゼーションを検討することによって、西洋的な規範を唯一正しい規範とみるような現在の普遍主義のあり方を、非西洋地域も包摂できるような、真の意味で普遍的なものの考え方へと解き放っていくことなのである。そのなかでは、西洋的な規範はもちろんあってよいが、あくまで世界各地に存在する多様な規範の一つとして理解されなければならない」。
要は、人間中心の生活者の目線で考えるということだろう。だが、それは容易に実現できるわけではない。制度が有効に働く農耕民社会と違い、移動性の激しい遊牧民社会は流動性のなかでどう臨機応変に対処するかが問題となる。あるところで成功したことが、別のところで成功するとは限らない。そんな現場で、最終的結論は「人道支援」を必要とする事態にならないように未然に対応するしかない。しかし、現実には「人道支援」が必要な事態が起こる。本書は、5年間の共同研究の「最終成果」であるが、けっして「最終報告」ではない。ほんの出だしの「中間報告」にすぎないことが、本書を通じて伝わってくる。
人道支援を受ける側を主体に考えるということは、植民支配下の人びとを無力な存在ではなく主体的に生きた人びとと考えることと、相通ずるものがあるように感じた。だが、「西洋的な規範」で教育を受けた者は、上から目線で、なかなか「下」の人びとが主体的に生きてきたことに気づかない。本書で、それに気づく人が増えることを期待する。
本書は、5年間の共同研究の「最終成果」である。この研究が目指したものは、つぎのように説明されている。「まず遊牧社会に焦点を当てた従来の研究から、人道的支援と在来の遊牧文化の両者が組み合わさる領域(接合領域)に視点を移行させる試みを始めた。それによって、遊牧民が受動的に人道支援や開発・援助を受け入れ社会変容しているのではなく、自分たちの社会・文化に適合できるように人道支援を利用・改変し、危機からの脱出と生活の再建を試みている実情が見えてきた。そのうえ、各研究者は現地調査によるひとつひとつの事例の積み上げを通して、人道支援の現場での適用可能性を考慮したより具体性をともなった提言を目指した。さらに、より広い視野で比較研究を行うために、構成メンバーにアフリカの狩猟採集民や農耕民を研究対象とする研究者も参加している」。
本書のねらいは、「地域研究の立場から、同じ人間として、ただし、実際には大きく異なる多様な人間の問題として、人道支援の問題に新たな光を当てること」とし、つぎのように説明している。「通常、日本に暮らす私たちの多くは、支援の向こう側にある世界を十分に想像することなく、いつの間にか当たり前のように支援する側に立ち、支援する側からしかものごとをみなくなってしまう。かくいう私も恥ずかしながら現場に身を置く以前にはそうであった。しかし、ここで必要なのはコペルニクス的転回である。それとは反対側の、支援を受ける側の地域住民の側から、人道支援をもう一度とらえ直してみることはできないだろうか。人間を考えるにあたって私たち地域研究者は、無色透明な人間ではなく、常にある特定の地域の特定の環境の中で生きる具体的な人間を想定し、さまざまな顔を思い浮かべる。私が今これを書きながら思い浮かべているのは、東アフリカ遊牧社会で人道的危機に直面した一人ひとりの顔だ。本書は人道支援のローカライゼーションという課題を扱うが、ここでの「ローカライゼーション」とはたんに普遍的なものを各地域に適合するように改良する機械的作業を意味しない。具体的な特定の地域の脈略の中で特定の生を営んできた人びとの観点から、私たちのものの見方の前提を問い直すことなのである」。
本書のキーワードのひとつに「接合領域」がある。その概念は「古典的な文化の概念とは異なって」おり、つぎのように説明している。「古典的な文化の概念においては、文化は純粋で、伝統的で、首尾一貫していて、変化がなく、明確な境界を持ち、常に同質的な特徴を持つとされてきた。これに対して、接合領域の概念は、混成的で、不連続的で、首尾一貫しておらず、常に変化し、明確な境界をもたず、異質性を特徴としている。それゆえ、私たちがここでいう文化的多様性へのローカライゼーションとは、あくまで、こうした意味における異質性を含み混んだ不定形な文化の多様性へのローカライゼーションであり、決して、古典的な文化概念がいうような確固たる同質的な体系性を備えた文化の多様性へのローカライゼーションのことではない」。
本書は、まえがき、序章「人道支援におけるグローバルとローカルの接合」、2部各部6章全12章、終章「東アフリカ遊牧社会の現場からみた新しい人道支援モデルに向けて」、あとがき、からなる。第Ⅰ部「支援の現場から人道支援を再考する-食糧・物資・医療・教育」では、「人道支援を考えるにあたって不可欠な構成要素である食糧・物資・医療・教育について、東アフリカ遊牧民を対象とした臨地地調査成果に基づく六本の論考が収められている」。第Ⅱ部「政治的・文化的・社会的脈略のなかで人道支援を再考する」では、「第Ⅰ部のような人道支援の基礎的構成要素別の取り上げ方ではなく、政治的・文化的・社会的等の多岐にわたる諸側面から人道支援のあり方を掘り下げていく」。そして、終章では、「東アフリカ遊牧民に対する人道支援のローカライゼーションに関して、人的、時間的、空間的な三つの枠組みからなるモデルが提示される。そして、湖中は、本書の各議論を総括した到達点から「内的シェルター支援モデル」を打ち出すことを試みている。最後に、地域研究の立場から、「普遍的普遍主義」に基づく人道支援のあり方を展望することで本書を締め括っている」。
「内的シェルター」とは、「救援食糧のトウモロコシの袋やテントや緊急医薬品のようにはっきりと目に見えるわけではない」。「非常に儚く、壊れやすく、柔軟な特徴を持っているが、その一方で危機には強く、その意味でまさにレジリエントである。それは古典的な人類学者が好んで使いがちな伝統文化や社会構造ではなく、それらが被災後の変化によって生み出した変異体で」ある。それは、たとえば編者のひとり、湖中が「発見」した「最小限のもののセット」で、「家畜の乳容器、家畜の皮の敷物、椅子など、貨幣価値に換算すると決して高価とはいえないものばかりで」、「たとえ全家畜が失われても」、「人びとはそれを起点として身体イメージの広がりを回復させ、やがて自尊心を取り戻すことができるかもしれない。その役割は決して人道支援によって配給されるテントや鍋が代替することのできないものなのである」。
そして、つぎのように結論している。「本書が試みた接合領域接近法による人道支援のローカライゼーションの研究は、まさに、この「普遍的普遍主義」への具体的なステップとして位置づけられる。この意味において、地域研究の立場からそれぞれの地域に即した人道的支援のローカライズを模索する本書の試みは、各地域の伝統文化に回帰することを主張する偏狭な党派主義とは異なる。逆説的に聞こえるかも知れないが、本書が試みたことは、人道支援という普遍的とされてきたもののローカライゼーションを検討することによって、西洋的な規範を唯一正しい規範とみるような現在の普遍主義のあり方を、非西洋地域も包摂できるような、真の意味で普遍的なものの考え方へと解き放っていくことなのである。そのなかでは、西洋的な規範はもちろんあってよいが、あくまで世界各地に存在する多様な規範の一つとして理解されなければならない」。
要は、人間中心の生活者の目線で考えるということだろう。だが、それは容易に実現できるわけではない。制度が有効に働く農耕民社会と違い、移動性の激しい遊牧民社会は流動性のなかでどう臨機応変に対処するかが問題となる。あるところで成功したことが、別のところで成功するとは限らない。そんな現場で、最終的結論は「人道支援」を必要とする事態にならないように未然に対応するしかない。しかし、現実には「人道支援」が必要な事態が起こる。本書は、5年間の共同研究の「最終成果」であるが、けっして「最終報告」ではない。ほんの出だしの「中間報告」にすぎないことが、本書を通じて伝わってくる。
人道支援を受ける側を主体に考えるということは、植民支配下の人びとを無力な存在ではなく主体的に生きた人びとと考えることと、相通ずるものがあるように感じた。だが、「西洋的な規範」で教育を受けた者は、上から目線で、なかなか「下」の人びとが主体的に生きてきたことに気づかない。本書で、それに気づく人が増えることを期待する。
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