ヘレン・N・メンドーサ著、澤田公伸訳『戦争の思い出 日本占領下で生き抜いたフィリピン少女の物語』メディアイランド、2018年4月20日、190頁、1800円+税、ISBN978-4-904678-86-2

 顔も名前も、フィリピン大学などで見かけたなじみのある人が、少女時代にこんな体験をしていたのかを知り、あらためてフィリピン人との付きあいを考えさせられた。口に出さなくても、わたしが日本人とわかると、それぞれ個人として、家族の一員として、地域社会の一員として、そしてフィリピン国民として、日本人のわたしを見ているのだろう。わたしの知っていたかの女は、フィリピン大学で英文学・比較文学を専門とする研究者・教育者としてだけであった。
 著者は、「はじめに」でつぎのように述べている。「この本には、日本がフィリピンを侵略した時に私の家族が経験したことや、日本の占領下、そして第二次世界大戦の末期に送った生活について書きました。フィリピンの歴史の重要な時期に、フィリピン人が経験したことのほんの一部でも垣間見てもらいたかったからです。それ以上に、本書を通じて、戦争という「諸国家の崩壊」〔イギリスの詩人・作家であるトーマス・ハーディの詩 "In Time of 'The Breaking of The Nations'" からの引用と思われる〕の時代にあった、人類の違った一辺から見た物語を伝えたかったからです」。「戦争とは、一体何なのでしょう。犠牲者と侵略した側の双方にもたらされた破壊、戦争が引き起こす非人間性をぜひ知っていただきたく思います」。
 「日本占領下のフィリピン」研究の第一人者のフィリピン大学のリカルド・トロタ・ホセが、「本書によせて」で本書の特徴をつぎのように述べている。「ヘレンさんは感受性の強い、まだ希望と好奇心にあふれた、若い少女の時に戦争を体験したからです。「無秩序」の真ん中で暴力の恐ろしさに囲まれながら成長していく少女の姿が物語になっているからです。ヘレンさんの記憶は鮮明で、語り口もさわやかです。登場人物は無表情の人物ではなく、名前を持つ実際の人物として生き生きと描かれています。日本人も典型的な「敵」としてではなく、「人間」として描かれています。ヘレンさんの友達の何人かは(そして彼女自身も)ハンサムで礼儀正しい数人の日本人に恋心を抱きました。ヘレンさんの回想は、自分を取り巻く世界が瓦解してゆく時代にあっても、正しい行動や人の誠実さを見ることができる、そんな若者の記録なのです」。
 そして、日本を代表する「日本占領下のフィリピン」研究者のひとり、永井均は「解説 日本占領下の「日常」と「非日常」-フィリピンのティーンエイジャーが見た戦争-」で、つぎのように「本書が持つ魅力や意義」を3つあげている。「第一に本書の刊行によって、日本人には見えにくいフィリピンの一般市民、家族の戦争体験を知る手がかりが与えられた」。「ヘレンの回想録は、パナイ島とルソン島という複数の島を転々としつつ、子供、そして家族の視点から日本占領時代を描いたユニークなものだ。ヘレンが過ごした戦前の自由な生活環境は、戦争を境に一変した。本書からは、戦争によって日常生活が突然遮断され、自由が浸食されていく様子が読み取れる。同時に、そんな「非日常」の中でもパーティーを開き、ダンスや音楽などで自分たちの「日常」を少しでも取り戻し、豊かにしようとするフィリピン人のたくましさも感じられる」。
 「第二に、本書により、戦争中、フィリピン人が直面した厳しい現実が改めて浮き彫りになった。日本軍の占領下はフィリピン人にとって概して統制と抑圧という窮屈な時代であった。しかも、多くのフィリピン人が日本軍への「協力」と「抵抗」の狭間で厳しい選択を迫られた。日本軍から抗日的、あるいは親米的と疑われてしまうと、命さえ脅かされた」。「逆に、日本軍に過度に接近し、交流を深めてしまうと、今度はゲリラから「対日協力者」として襲われる危険性もあった」。
 「第三に、本書において、多くのフィリピン人に恐れられた日本兵の人間的な側面にもまなざしが向けられ、戦時下の他者像の多様性を認識する回路が開かれている点も重要である。ヘレンは日本人を顔と名前を持った個人として描いており、これらの心の内を理解しようとさえした」。「彼女の柔軟性、しなやかさが、善悪の二分法を超える戦時下の日本人像を記録に残させたのかもしれない。こうした点でも、本書はフィリピン人の戦争経験の多様さ、奥深さを理解する上で貴重な資料となるだろう」。
 日本人が書いたいわゆる「戦記もの」は、フィリピン関係だけで千数百ある。だが、ヘレンが日本人を見たように、フィリピン人を見ることができた日本人は、はたして何人いただろうか。本書を読んだだけでも、フィリピン人が「戦争が引き起こす非人間性」を理解し、戦争中の「日常」を生き抜く術をもっていたことがわかってくる。日本占領下を生き抜いたフィリピン人から、日本人が学ぶことは実に多い。