髙嶋伸欣・関口竜一・鈴木晶『旅行ガイドにないアジアを歩く 増補改訂版 マレーシア』梨の木舎、2018年2月15日(初版、2010年)、190頁、2000円+税、ISBN978-4-8166-1801-7
こんな本が欲しかった! 日本軍の戦跡を訪ねる旅をしている人は、だれもがそう思うだろう。この本は、1983年以来2017年8月で43回目となった「東南アジアに戦争の傷跡を訪ねる旅」で得た知識と情報にあふれている。教育関係者を主とする旅は、その成果が教育現場にフィードバックされることから、本書の記述にも細心の注意が払われ、正確で信頼できる。また、主著者、髙嶋伸欣が自ら運転してまわった経験から、運転手の目線で現場にたどり着けるよう微に入り細に入り説明されている部分がある。
本書の執筆を可能にしたのは、なによりも主著者の強い問題意識とそれに応えた現地の人びとの協力があったからで、2010年の初版「はじめに」では、つぎのように書かれている。「これまで100回以上訪問したが、その中でで(ママ)さまざまなことがあった。遺族や目撃者たちからののしられたり、殴られそうになったり、石を投げられたり、数時間のつるしあげにあったりした。でも必ず、「こんな日本人もいるのだから」と、とりなしてくれる人がいて、ことなきを得てきた」。
この43回の旅の発端と、その成果と意味は、つぎのように語られている。「私たちの取り組みの発端は、日本軍(皇軍)による東南アジアでの加害の事実について、日本人は無関心すぎる、との批判を現地の人びとから受けたことだった。以来、私たちはそうした事実の掘り起こしや関連情報の拡散と定着を主要なテーマとしてきた」。
「その結果『マレーシア』編で示した住民虐殺の事実が、今では中学・高校の歴史教科書の大半に記述されるに至っている。これに対して日本の侵略や加害の事実を追及することに批判的な側からの反論は、ほとんどない」。
「私たちの取り組みを批判する側は、苦しまぎれに「自虐史観」などの造語によるレッテル貼りを試みてもいる。だがそこには、事実と人権思想に基づいた論理はほとんど見当たらないことを、本書が証明している。そのことがまた教科書に東南アジアでの加害記述を定着させ、初版本の販売を後押しする反面教師的効果を生み出してきた」。
本書は、「批判する側」のことも充分承知していて、日本軍による虐殺の根拠を示す証言も現地側から得ている。これは、長年の著者たちと現地側の証言者の信頼関係を示すもので、「批判する側」に「有利」な証言を含めて総合的に理解しようとしていることをあらわしている。証言者のひとりは、つぎのように語っている。「「これまで村の長老たちから口止めされていたが、あなた方は信頼できるので、本当のことを言う。確かに日本軍が来る直前、抗日軍が山から降りて来て、父たちと接触したのを目撃している」。「同氏と初めて会ったのは1984年8月だった。以来20年目にようやく聞くことができた証言だった」。
総合的に考えるという点では、「戦跡を訪ねる旅」ではわからない現地の事情も考える必要があるだろう。マレーシアにはクアラ・ルンプルはじめ各地にイギリス植民地政府が建てた第一次世界大戦で犠牲になった人びとを追悼する記念碑や墓地がある。これらに第二次世界大戦の犠牲者が加わり、さらに独立後祖国のために犠牲になった人びとが加わっている。泰緬鉄道の犠牲者を加えているものもある。これらのなかには、いまでもイギリスやオーストラリアなどからの参列者を迎えて、式典がおこなわれているところがある。
多民族国家マレーシアでは、民族による考えかた、意見も違い、日本の占領期を語ることは民族分断を助長する恐れがあると危惧する見方もあり、統一した歴史認識には至っていない。シンガポールのように、占領当時民族を超えて団結しなかったことから、歴史を団結にいかそうとする動きに、マレーシアは至っていない。本書に登場する中国系の人びとの動きを止めることはしないが、賛同もしない人びとがいる。マレーシアの歴史教科書では、対日協力者と抗日指導者をともに、「ナショナリスト」として好意的に描いている。積極的に若い世代に戦争を伝えようとしている中国系の人びとだけでなく、日本占領期をやや「好意的」にみたり、無関心であったりする中国系以外のマレーシア人を含めて、マレーシア社会のなかでの日本の占領を考える必要があるだろう。泰緬鉄道工事に従事し犠牲となったインド系の人びとなどを語る記念碑はあまりみかけない。なにより外国人として、マレーシアの国情を理解し、尊重しなければならない。地方の歴史として、あるいは特定の集団の歴史として語る自由はあるが、国の歴史として語ることは許されない「マレーシア・ジレンマ」がある。
旧日本軍側にも、とくに中国人を虐殺した理由として、それまで中国戦線で戦い多くの戦友を失った日本兵が、中国本土を支援していた華僑・華人に強い敵意をもっていたことがある。それでも、多くの女性や子どもを含む市民を虐殺したことから、戦後償いに努めてきた旧日本兵やその気持ちはあってもどうしていいかわからず今日まで苦しみ続けていつ人びともいる。
広い視野でみようとすると、充分に理解できないこともでてくる。しかし、細部に正確であろうとすることと、同様にあるいはそれ以上に重要なことに気づくようになる。それは自分たちと違う考えの人からも学ぼうという姿勢につながり、「仲間」を増やすことになる。教育の現場でも、戦争についてさまざまな考えかたがある。本書のタイトルだけをみて読みはじめて、自分たちが求めていたものと違うと感じ、反発した人もいるだろう。そういう人たちの理解を得るために、さまざまなことをしてきただろうが、これからも地道にするしかない。
本書の執筆を可能にしたのは、なによりも主著者の強い問題意識とそれに応えた現地の人びとの協力があったからで、2010年の初版「はじめに」では、つぎのように書かれている。「これまで100回以上訪問したが、その中でで(ママ)さまざまなことがあった。遺族や目撃者たちからののしられたり、殴られそうになったり、石を投げられたり、数時間のつるしあげにあったりした。でも必ず、「こんな日本人もいるのだから」と、とりなしてくれる人がいて、ことなきを得てきた」。
この43回の旅の発端と、その成果と意味は、つぎのように語られている。「私たちの取り組みの発端は、日本軍(皇軍)による東南アジアでの加害の事実について、日本人は無関心すぎる、との批判を現地の人びとから受けたことだった。以来、私たちはそうした事実の掘り起こしや関連情報の拡散と定着を主要なテーマとしてきた」。
「その結果『マレーシア』編で示した住民虐殺の事実が、今では中学・高校の歴史教科書の大半に記述されるに至っている。これに対して日本の侵略や加害の事実を追及することに批判的な側からの反論は、ほとんどない」。
「私たちの取り組みを批判する側は、苦しまぎれに「自虐史観」などの造語によるレッテル貼りを試みてもいる。だがそこには、事実と人権思想に基づいた論理はほとんど見当たらないことを、本書が証明している。そのことがまた教科書に東南アジアでの加害記述を定着させ、初版本の販売を後押しする反面教師的効果を生み出してきた」。
本書は、「批判する側」のことも充分承知していて、日本軍による虐殺の根拠を示す証言も現地側から得ている。これは、長年の著者たちと現地側の証言者の信頼関係を示すもので、「批判する側」に「有利」な証言を含めて総合的に理解しようとしていることをあらわしている。証言者のひとりは、つぎのように語っている。「「これまで村の長老たちから口止めされていたが、あなた方は信頼できるので、本当のことを言う。確かに日本軍が来る直前、抗日軍が山から降りて来て、父たちと接触したのを目撃している」。「同氏と初めて会ったのは1984年8月だった。以来20年目にようやく聞くことができた証言だった」。
総合的に考えるという点では、「戦跡を訪ねる旅」ではわからない現地の事情も考える必要があるだろう。マレーシアにはクアラ・ルンプルはじめ各地にイギリス植民地政府が建てた第一次世界大戦で犠牲になった人びとを追悼する記念碑や墓地がある。これらに第二次世界大戦の犠牲者が加わり、さらに独立後祖国のために犠牲になった人びとが加わっている。泰緬鉄道の犠牲者を加えているものもある。これらのなかには、いまでもイギリスやオーストラリアなどからの参列者を迎えて、式典がおこなわれているところがある。
多民族国家マレーシアでは、民族による考えかた、意見も違い、日本の占領期を語ることは民族分断を助長する恐れがあると危惧する見方もあり、統一した歴史認識には至っていない。シンガポールのように、占領当時民族を超えて団結しなかったことから、歴史を団結にいかそうとする動きに、マレーシアは至っていない。本書に登場する中国系の人びとの動きを止めることはしないが、賛同もしない人びとがいる。マレーシアの歴史教科書では、対日協力者と抗日指導者をともに、「ナショナリスト」として好意的に描いている。積極的に若い世代に戦争を伝えようとしている中国系の人びとだけでなく、日本占領期をやや「好意的」にみたり、無関心であったりする中国系以外のマレーシア人を含めて、マレーシア社会のなかでの日本の占領を考える必要があるだろう。泰緬鉄道工事に従事し犠牲となったインド系の人びとなどを語る記念碑はあまりみかけない。なにより外国人として、マレーシアの国情を理解し、尊重しなければならない。地方の歴史として、あるいは特定の集団の歴史として語る自由はあるが、国の歴史として語ることは許されない「マレーシア・ジレンマ」がある。
旧日本軍側にも、とくに中国人を虐殺した理由として、それまで中国戦線で戦い多くの戦友を失った日本兵が、中国本土を支援していた華僑・華人に強い敵意をもっていたことがある。それでも、多くの女性や子どもを含む市民を虐殺したことから、戦後償いに努めてきた旧日本兵やその気持ちはあってもどうしていいかわからず今日まで苦しみ続けていつ人びともいる。
広い視野でみようとすると、充分に理解できないこともでてくる。しかし、細部に正確であろうとすることと、同様にあるいはそれ以上に重要なことに気づくようになる。それは自分たちと違う考えの人からも学ぼうという姿勢につながり、「仲間」を増やすことになる。教育の現場でも、戦争についてさまざまな考えかたがある。本書のタイトルだけをみて読みはじめて、自分たちが求めていたものと違うと感じ、反発した人もいるだろう。そういう人たちの理解を得るために、さまざまなことをしてきただろうが、これからも地道にするしかない。
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