濱下武志『華僑・華人と中華網-移民・交易・送金ネットワークの構造と展開』岩波書店、2013年11月27日、331頁、5500円+税、ISBN978-4-00-025929-3

 本書は、著者、濱下武志がこれまで進めてきた「東アジア・アジア広域地域史を考える主要な三つの領域の研究」、「朝貢システム」「海域アジア」そして「華僑ネットワーク」の3つ目にあたる。
 本書は、序章、総論、全9章、終章からなる。もっとも古い論考の初出は1984年で、80年代3、90年代5、2000年代3、もっとも新しいものが2010年である。1997年の香港の中華人民共和国への返還前のことがでてきて戸惑ったりするが、本書が今日でも充分に役立つのは、つぎの説明からわかる。「本書は一九七〇年代後半から二〇一〇年代初めまでのおよそ三〇年間に及ぶ、中国東南沿岸、香港、東南アジアとりわけマレーシア・シンガポール・タイにおける訪問調査並びに資料調査の過程で発表した論文を中心とし、それらを改訂しつつ新たな文章を加えて編集したものである。刊行の契機は、これまでの華僑・華人に関する歴史サイクルがこの三〇年間において一巡したと感じ、これからのいわゆる新華僑の研究とは一線を画する切り替えが必要であると感じたからである」。
 「まえがき」冒頭で、「これまで華僑・華人・華裔という三世代転換論によって議論されてきた」のが、「一九九〇年代以降はいわゆる新華僑と呼ばれる新たな移民潮流が加わ」ったことで変わったことを、つぎのように説明している。「これまでの華人世代のネットワークと華人世界のグローバル性とが結合し、両者が重層的に複合した世界として「中華網」「中華ネットワーク」と呼ぶに相応しい状況を示している。本書を通底する主題のひとつにこの「中華網」があり、この概念を本書の表題に用いた理由もここにある。また、この中華は、それがグローバルであることによって、あるいはそのように位置づけられることによって、一方ではこれまでの華人ナショナリズムが拡延されてグローバル化する側面を持つと同時に、他方では「世界市民」としての華人を形成する可能性を包含するという課題も提起している。あるいは少なくともそのような要素と可能性を強く伏在させているといえる」。「ひとりひとりの「華僑」「華人」から見て、「華」であり同時に「僑」であるという結合は、現在ますます成り立ち難い状況にある」。
 「いまひとつ本書の各章に跨って特徴的な点は、華僑・華人に関する分析をネットワーク概念を多用することによって分析しようとしていることである。分析の過程で使用されるネットワーク概念が含む範囲は、現在では大きく広がっており、今後一方ではこのネットワーク概念をより分析的にまた機能的に検証可能な方法的視点としていくことが求められていると同時に、さらに概念的に位置づけ、制度・組織・契約などにおけるネットワーク概念の応用と比較などを進める必要があると考えられる。そこにおける基本的な視点は、従来不確定・不安定・過渡的・融通無碍など、否定的なまた消極的な側面が強調されてきたことに対して、グローバル化した世界ならびに社会において、ネットワークならびにネットワーク化が発揮する作用は、むしろ、組織や制度などよりもより一層関係性を形成・維持したり、時には強制するという作用を発揮する場合があるという条件が増大することが予想される。その意味でネットワークは、ある概念や関係性の体系として、相対的に独自の役割を果たすことがより本格的に検討される必要があると考えられる」。
 方法的には、つぎの4つのネットワーク概念を使用している。「第一に、交通概念transportationとしてのネットワークは、道路・鉄道・航運などのものやひとが動く手段としての交通・運輸である。第二に、情報の往来communicationに関するネットワークである。電信電話や郵便などによる情報の往来のネットワークは、情報化社会においてはより重要な役割を果たしている。第三には、モノや人の移動circulationに関連するネットワークがある。ものの移動・流通やひとの移動・移民に関するネットワークである。第四に、社会的な紐帯とその変容transformationを意味するネットワークである」。
 また、ネットワーク概念が重要になってきたことにかんして、つぎのように説明している。「いわゆる近代主権国家の枠の中でのみ経済を見るのではなく、いわばそこを越えた領域としても考えられる。さらに、いわば国の下位にある小さな地域としてそれらが複数の国に跨って相互に結びつくという地域連関も考えることが必要であろう」。「このような、グローバリゼーションとローカリゼーションの両方向への分岐という問題が、すなわち、これまで国家の中に組み込まれていた部分が両方向に分岐しているところに、現在改めてアジア経済をどのように考えるかという課題が出されている」。
 なお、著者が、このようなネットワーク概念に注目した背景について、「あとがき」冒頭で、つぎのように述べている。「筆者がいわゆる華僑問題に触れたきっかけは、中華街への訪問や苦力貿易に記される華僑移民資料ではなく、香港上海銀行の送金資料の中から浮かび上がる華僑像からである。しかも、これは、華僑・華人そのものが登場するのではなく、華僑送金をめぐって登場した華僑像からであった。その後、香港・シンガポール・マレーシア・タイを絶えず訪問することになるが、ある意味では、送金業務をめぐる様々な活動や地域間のつながりを実際に追いながらも、香港上海銀行資料に現れた送金網や華僑像を各地の華人送金業者である銀信業の観察を通して検証することに重きが置かれてきたと言える」。
 このように国家を越えたり、国家の下位を結ぶネットワークを形成してきたのは、東南アジア側からみれば近世以来、現地化した中国をオリジンとする人びと、プラナカンであると考えられるのだが、本書にプラナカンということばは登場しない。別のことばで言えば、定着農耕民社会であった中国を離れ、流動性の激しい海域社会である東南アジアに適応し、その流動性を利用してネットワークを築いてきた人びとである。このネットワークに、イギリスが近代的なヒト、モノ、カネ、情報などを載せてきたということがいえるかもしれない。そのネットワークのなかで生活してきた人びとの視点でみると、また違った「華僑像」があらわれてくる。