椙本歩美『森を守るのは誰か-フィリピンの参加型森林政策と地域社会』新泉社、2018年7月20日、321+xviii頁、3000円+税、ISBN978-4-7877-1811-2
本研究は、大成功である。それは、「あとがき」の「一つの問いに取り組むと、いくつもの新たな問いが生まれてくる」という文章からわかる。ひとつの問いにたいして解決の糸口が見えてくると、新たな問いがつぎつぎと生まれ、考察が深まっていく。それが、学術研究というものだ。
本書は、序章、全6章、終章と3つのフィールドエッセイからなる。「序章 森林政策をめぐる「対立」を問い直す」の最後で、本書の構成がつぎのように整理されている。「第1章[フィリピンの森林政策と地域住民]では、フィリピンにおける森林政策史を振り返り、森林をめぐる国家と住民の関係をまとめる。森林史のなかで、近年の参加型森林政策が、住民の森林利用にどのような影響を与えるものであったのかも言及する。第2章[森をめぐる現場の制度を捉える視点]では、本書の課題に取り組むための概念枠組みを提示する。森林政策と地域社会を論じるうえで、関連する概念を整理した後、形式知と暗黙知の交流という概念枠組みや調査地選定など、本書の独自性を提示する」。「第3章から第6章は、フィリピンでのフィールドワークをもとにしたM村の事例研究である」。
第2章「4 本書の枠組み」冒頭で、本書の課題がつぎのように書かれている。「フィリピンの参加型森林政策の現場で、政策の意図とは異なる制度が生成されるメカニズムを分析する」。「現場の制度生成を捉えるために、本書では「形式知と暗黙知」と「ストリート・レベルの官僚制」の概念を用いる」。
この第2章は、つぎの文章で終わっている。「住民の生業のあり方は多様だが、多くの住民の暮らしにとって、森林・低地・農地・居住地は一体的な存在として認識されている。そうなると、森と人との関係だけに焦点を当てることは、かえって住民や地域社会にとっての森林政策の位置づけから離れてしまう」。「そこで、高地森林と低地農地が交わる立地にあるタルラック州M村を調査地に選んだ。第3章から第6章はフィールドワークによる事例分析である。M村の詳細については次章に譲るが、低地農業や居住地での生業活動や住民関係を含めて、より多面的、包括的に地域社会を捉えるなかで、森林政策の議論を展開していく。この点も概念枠組みに加えて、本書の独自性と考えている」。
2つのキー概念「形式知と暗黙知」と「ストリート・レベルの官僚制」については、まず「形式知と暗黙知」について、つぎのように説明されている。「国家と住民(または政策と地域社会の制度)が出あい、混じり合うなかで、どのように地域に固有の森林管理制度が生まれるのか。インタラクティブな制度のあり方を捉えるために、本書では、両者の異なる制度の背景にある「知」という概念に着目する。表2-2は、政策に関わる主体や制度の違いを知の概念に基づいて整理した。一般的に、国家と形式知、住民と暗黙知の結びつきが強いとされ、両者の差異や対立を生み出す要因と考えられてきた。形式知とは、客観的、論理的で言語によって他者と共有できる知識である。対して暗黙知は、主観的、身体的で言語化できない経験知である。両者の間で異なる知に着目することで、誰がどのように関わり、制度を生み出されていくのか、制度生成の多様性、複雑性、混沌性を捉えることができる」。
つぎに「ストリート・レベルの官僚制」については、つぎのように説明されている。「現場の行政職員たちの行動は、どのような要因によって規定されていくのだろうか。リプスキーは、現場の行政職員に特徴的な組織行動をストリート・レベルの官僚制(第一線の官僚制)として理論化した」(略)。これは、警察官、教師、ケースワーカーなど対象者と直に接しながら、日々の職務を遂行している行政職員を指す。現場の職員たちは、住民の日常的な福利に関するサービスをつくり出しているため、クライエントである住民よりも強い立場になるがゆえに、むしろクライエントの依存を強制させるクライエント支配がみられるという(略)。行政職員は、限られた時間と資源のなかで業務を遂行しなければならず、常に優先順位を決めて、限りある資源を振り分ける。役割や責任が増すにつれ、現場の職員たちは自らの仕事の決定に関して自由な裁量を持つことができるようになるという。このような環境にいる現場の職員は、広い裁量の余地と組織的権威からの自律性を持ち、必ずしも中央行政の指示どおりには行動していない。このように現場の第一線にいる行政職員が、住民の個別事情や自身を取り巻く状況に合わせて法適用の範囲を変えることを、リプスキーは法適用の裁量と呼ぶ(略)」。
本書の結論は、「あとがき」の冒頭につぎのように書かれている。「『森を守るのは誰か』と題した本書は、フィリピンの住民参加型森林政策において、現場レベルで新たな制度が生み出されるメカニズムとその可能性について分析したものである。参加型森林政策は、住民による共同森林管理を目指すものであるが、実際に現場を訪れてみるとその実態はつかみにくい。政策は住民主体を掲げているものの、住民とは誰のことなのか、どこをどのように管理・利用しているのかなど、森林管理の実態がよくわからないのである。書類上の権利者や計画書は存在しても、実際は異なる人物が個別に利用していることもある。政策が国家戦略に位置づけられ、多くの国際援助が投入されてきたことと、政策不在にも見える現場の温度差はあまりに大きい。そこで現場での政策実施の実態を理解するために、権利の主体は誰か、管理・利用できる空間はどこか、どのように利用されているのかという点について、それらの決定プロセスを分析した。したがって本書は、「誰が森を守るべきなのか」を問うものではなく、それを誰がどのように問うているのかを議論するものである」。
本書で書かれている暗黙知は、流動性が激しく臨機応変に対応する海域世界の論理と結びつき、思いやりのある社会共同体をめざすアセアンウェイにも通じる。問題は、各国政府、援助機関などが、そのことを充分に認識しているかどうかである。また、暗黙知が悪用されないかということである。
本書は、博士学位論文を「大幅に加筆修正」したものであるが、もうひとつ「索引」を加筆してほしかった。索引を作成することで、文章の整理ができ、より洗練された議論ができる学術書になる。
本書は、序章、全6章、終章と3つのフィールドエッセイからなる。「序章 森林政策をめぐる「対立」を問い直す」の最後で、本書の構成がつぎのように整理されている。「第1章[フィリピンの森林政策と地域住民]では、フィリピンにおける森林政策史を振り返り、森林をめぐる国家と住民の関係をまとめる。森林史のなかで、近年の参加型森林政策が、住民の森林利用にどのような影響を与えるものであったのかも言及する。第2章[森をめぐる現場の制度を捉える視点]では、本書の課題に取り組むための概念枠組みを提示する。森林政策と地域社会を論じるうえで、関連する概念を整理した後、形式知と暗黙知の交流という概念枠組みや調査地選定など、本書の独自性を提示する」。「第3章から第6章は、フィリピンでのフィールドワークをもとにしたM村の事例研究である」。
第2章「4 本書の枠組み」冒頭で、本書の課題がつぎのように書かれている。「フィリピンの参加型森林政策の現場で、政策の意図とは異なる制度が生成されるメカニズムを分析する」。「現場の制度生成を捉えるために、本書では「形式知と暗黙知」と「ストリート・レベルの官僚制」の概念を用いる」。
この第2章は、つぎの文章で終わっている。「住民の生業のあり方は多様だが、多くの住民の暮らしにとって、森林・低地・農地・居住地は一体的な存在として認識されている。そうなると、森と人との関係だけに焦点を当てることは、かえって住民や地域社会にとっての森林政策の位置づけから離れてしまう」。「そこで、高地森林と低地農地が交わる立地にあるタルラック州M村を調査地に選んだ。第3章から第6章はフィールドワークによる事例分析である。M村の詳細については次章に譲るが、低地農業や居住地での生業活動や住民関係を含めて、より多面的、包括的に地域社会を捉えるなかで、森林政策の議論を展開していく。この点も概念枠組みに加えて、本書の独自性と考えている」。
2つのキー概念「形式知と暗黙知」と「ストリート・レベルの官僚制」については、まず「形式知と暗黙知」について、つぎのように説明されている。「国家と住民(または政策と地域社会の制度)が出あい、混じり合うなかで、どのように地域に固有の森林管理制度が生まれるのか。インタラクティブな制度のあり方を捉えるために、本書では、両者の異なる制度の背景にある「知」という概念に着目する。表2-2は、政策に関わる主体や制度の違いを知の概念に基づいて整理した。一般的に、国家と形式知、住民と暗黙知の結びつきが強いとされ、両者の差異や対立を生み出す要因と考えられてきた。形式知とは、客観的、論理的で言語によって他者と共有できる知識である。対して暗黙知は、主観的、身体的で言語化できない経験知である。両者の間で異なる知に着目することで、誰がどのように関わり、制度を生み出されていくのか、制度生成の多様性、複雑性、混沌性を捉えることができる」。
つぎに「ストリート・レベルの官僚制」については、つぎのように説明されている。「現場の行政職員たちの行動は、どのような要因によって規定されていくのだろうか。リプスキーは、現場の行政職員に特徴的な組織行動をストリート・レベルの官僚制(第一線の官僚制)として理論化した」(略)。これは、警察官、教師、ケースワーカーなど対象者と直に接しながら、日々の職務を遂行している行政職員を指す。現場の職員たちは、住民の日常的な福利に関するサービスをつくり出しているため、クライエントである住民よりも強い立場になるがゆえに、むしろクライエントの依存を強制させるクライエント支配がみられるという(略)。行政職員は、限られた時間と資源のなかで業務を遂行しなければならず、常に優先順位を決めて、限りある資源を振り分ける。役割や責任が増すにつれ、現場の職員たちは自らの仕事の決定に関して自由な裁量を持つことができるようになるという。このような環境にいる現場の職員は、広い裁量の余地と組織的権威からの自律性を持ち、必ずしも中央行政の指示どおりには行動していない。このように現場の第一線にいる行政職員が、住民の個別事情や自身を取り巻く状況に合わせて法適用の範囲を変えることを、リプスキーは法適用の裁量と呼ぶ(略)」。
本書の結論は、「あとがき」の冒頭につぎのように書かれている。「『森を守るのは誰か』と題した本書は、フィリピンの住民参加型森林政策において、現場レベルで新たな制度が生み出されるメカニズムとその可能性について分析したものである。参加型森林政策は、住民による共同森林管理を目指すものであるが、実際に現場を訪れてみるとその実態はつかみにくい。政策は住民主体を掲げているものの、住民とは誰のことなのか、どこをどのように管理・利用しているのかなど、森林管理の実態がよくわからないのである。書類上の権利者や計画書は存在しても、実際は異なる人物が個別に利用していることもある。政策が国家戦略に位置づけられ、多くの国際援助が投入されてきたことと、政策不在にも見える現場の温度差はあまりに大きい。そこで現場での政策実施の実態を理解するために、権利の主体は誰か、管理・利用できる空間はどこか、どのように利用されているのかという点について、それらの決定プロセスを分析した。したがって本書は、「誰が森を守るべきなのか」を問うものではなく、それを誰がどのように問うているのかを議論するものである」。
本書で書かれている暗黙知は、流動性が激しく臨機応変に対応する海域世界の論理と結びつき、思いやりのある社会共同体をめざすアセアンウェイにも通じる。問題は、各国政府、援助機関などが、そのことを充分に認識しているかどうかである。また、暗黙知が悪用されないかということである。
本書は、博士学位論文を「大幅に加筆修正」したものであるが、もうひとつ「索引」を加筆してほしかった。索引を作成することで、文章の整理ができ、より洗練された議論ができる学術書になる。
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