小島毅『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』ちくま学術文庫、2014年7月10日、254頁、1000円+税、ISBN978-4-480-09627-2
本書は、「靖国問題をその歴史的・思想的根源の地点から再考する必要を訴えた檄文である」。この文庫版の原版は、2007年4月10日に「ちくま新書として刊行された。文庫化にあたり「第四章 大義」を加え、副題を改めた」。
本書原版が、つぎのような時代背景のもとで書かれたことを、著者小島毅は「文庫版はしがき」で述べている。「折から、第一次安倍晋三内閣の時代で、私は日中歴史共同研究の委員として、微力ながら日中両国民の相互理解、特に歴史認識をめぐる誤解の解消(理解し合うということではなく、他者として違いがあることを認め合う関係の構築)に役立つことを念じていた」。「これに先立つ、二〇〇五年十月十七日、小泉純一郎首相(当時)は靖国神社への参拝を行い、中国や韓国からの批判を招いていた。小泉内閣の継承政権である安倍内閣は、しかし、こうした閉塞状況を打開するため、首相の靖国参拝を封印し、日中・日韓の歴史共同研究事業を進めることで東アジアの緊張緩和を目指していた」。
著者は、本書執筆動機について、つぎのように説明している。「靖国問題が昭和の御代の「不幸な歴史」にのみ結びつけて語られること、そして、それが東アジアにおける国際問題として論じられることに対する、私の異議申し立てとして書かれた。「中国や韓国にとやかく言われる以前に、そもそも、この神社創建の由来は偏った日本史の認識に基づいているのだ」。
また、原版「はじめに」では、「同じちくま新書から出た高橋哲哉氏の『靖国問題』(二〇〇五年)」を意識して書いたことを、つぎのように説明している。「高橋氏の議論-そして、同様にほとんどの靖国関連本が-「このあいだの戦争」、人によって十五年戦争・日中戦争・アジア太平洋戦争・大東亜戦争を名称を異にして呼ばれている、あの戦争の問題をもっぱら扱っている。たしかに靖国に祭られている「英霊」のほとんどは、「あの戦争」での戦死者・刑死者だ。しかし、靖国神社の歴史は「あの戦争」で始まったわけではない。問題の本質を見失わないためには、「哲学」だけでなく、「歴史」への目が必要なのである。本書はあえて高橋氏の著書を意識し、『靖国史観』と題してその問題を論じていく」。
著者は、「おわりに」の冒頭で、本書原版の3つの章のタイトルとなったキーワードを絡めて、つぎのように説明している。「本来あるべき正しい「国体」の回復。それが「維新」の事業であった。その過程で命を落としたのが「英霊」である」。「こうして復古した「国体」は護持せられねばならぬ。「維新」の大業を継承するために。そのために、新たな「英霊」が生じていく」。そして、加筆された「大義」とのかかわりを、「第四章 大義」の最後で、つぎのように述べている。「靖国の「英霊」は「国体」を護り輝かせるべく、「大義」のために死んだ戦士たちである。しかし、そもそも「維新」とそれ以降の歴史に「大義」はあったのだろうか」。「靖国神社とは、近代日本がたどった「不幸な歴史」を象徴する宗教施設なのである」。
そして、「史観」からつぎのようにまとめて、「おわりに」を結んでいる。「百四十年前の戦争を、その勝者の立場から捉えることによって成立した施設と私が個人的に和解するのはかなり難しい。近代西洋的な言説で-それが法理論であれ政治学であれ-「彼ら」を納得させることができないのと同様、「維新」を歴史の道理に適うものとみなして疑わない感性には、私は納得できない。ただそれだけである」。「しかし、「それだけ」の事柄の重要性を、声を大にして言いたいのだ。その施設が創建される前からすでに問題なのだということを。「前史」を見ること無くして議論しても上滑りになってしまうことを。これまで「モダンな人」たちがしてきたのとは違う次元で議論していく必要があるということを」。
文庫化にさいし、与那覇潤による「解説 靖国なき「国体」は可能か-戦後言論史のなかの「小島史観」」が加わり、裏表紙につぎのようにまとめられている。「司馬遼太郎をはじめ、今や誰もが1867年の「革命」(=明治維新)を肯定的に語る。けれども、そうした歴史評価は価値中立的ではない。なぜか。内戦の勝者である薩長の立場から近代をとらえた歴史観にすぎないからだ。「靖国史観」もそのひとつで、天皇中心の日本国家を前提にしている。本書は靖国神社創設の経緯をひもときながら、文明開化で儒教が果たした役割に光をあて、明治維新の独善性を暴きだす。気鋭の歴史学者が「日本」の近代史観に一石を投じる檄文。「国体」「英霊」「維新」の三章に、文庫化に際して新章「大義」を増補。今日的課題に切り込む!」。
今年は、明治維新150年にあたる。内閣官房「明治150年」関連施策推進室なるものもあり、全国各地でおこなわれているイベントを紹介している。また、NHK大河ドラマでは「西郷どん」が放送されているが、元号が慶応から明治に改められた10月23日におこなわれた政府の記念式典が永田町の憲政記念館で開かれたことを知る国民は少ないだろう。出席者は、国会議員や各界の代表者ら、わずか350人ほどだった。長州出身で維新の英雄のひとり、高杉晋作の「晋」の字を父とともに名にもつ安倍首相は、朝日新聞デジタルによると、式辞で「明治の人々が勇気と英断、たゆまぬ努力、奮闘によって、世界に向けて大きく胸を開き、新しい時代の扉を開けた」と強調し、「若い世代の方々にはこの機会に、我が国の近代化に向けて生じた出来事に触れ、光と影、様々な側面を貴重な経験として学びとって欲しい」と述べたという。安倍の祖父岸信介の弟、佐藤栄作内閣のもとで開かれた明治100年のときは昭和天皇と香淳皇后が出席したが、「政府からお声がけがなかった」として今回は天皇、皇后は出席しなかった。近代日本の基礎を築いたとされる「明治維新」とはいったいなんだったのだろうか。曖昧なまま、そのときに創建された神社が東アジアの国際関係の火種になっている。
本書原版が、つぎのような時代背景のもとで書かれたことを、著者小島毅は「文庫版はしがき」で述べている。「折から、第一次安倍晋三内閣の時代で、私は日中歴史共同研究の委員として、微力ながら日中両国民の相互理解、特に歴史認識をめぐる誤解の解消(理解し合うということではなく、他者として違いがあることを認め合う関係の構築)に役立つことを念じていた」。「これに先立つ、二〇〇五年十月十七日、小泉純一郎首相(当時)は靖国神社への参拝を行い、中国や韓国からの批判を招いていた。小泉内閣の継承政権である安倍内閣は、しかし、こうした閉塞状況を打開するため、首相の靖国参拝を封印し、日中・日韓の歴史共同研究事業を進めることで東アジアの緊張緩和を目指していた」。
著者は、本書執筆動機について、つぎのように説明している。「靖国問題が昭和の御代の「不幸な歴史」にのみ結びつけて語られること、そして、それが東アジアにおける国際問題として論じられることに対する、私の異議申し立てとして書かれた。「中国や韓国にとやかく言われる以前に、そもそも、この神社創建の由来は偏った日本史の認識に基づいているのだ」。
また、原版「はじめに」では、「同じちくま新書から出た高橋哲哉氏の『靖国問題』(二〇〇五年)」を意識して書いたことを、つぎのように説明している。「高橋氏の議論-そして、同様にほとんどの靖国関連本が-「このあいだの戦争」、人によって十五年戦争・日中戦争・アジア太平洋戦争・大東亜戦争を名称を異にして呼ばれている、あの戦争の問題をもっぱら扱っている。たしかに靖国に祭られている「英霊」のほとんどは、「あの戦争」での戦死者・刑死者だ。しかし、靖国神社の歴史は「あの戦争」で始まったわけではない。問題の本質を見失わないためには、「哲学」だけでなく、「歴史」への目が必要なのである。本書はあえて高橋氏の著書を意識し、『靖国史観』と題してその問題を論じていく」。
著者は、「おわりに」の冒頭で、本書原版の3つの章のタイトルとなったキーワードを絡めて、つぎのように説明している。「本来あるべき正しい「国体」の回復。それが「維新」の事業であった。その過程で命を落としたのが「英霊」である」。「こうして復古した「国体」は護持せられねばならぬ。「維新」の大業を継承するために。そのために、新たな「英霊」が生じていく」。そして、加筆された「大義」とのかかわりを、「第四章 大義」の最後で、つぎのように述べている。「靖国の「英霊」は「国体」を護り輝かせるべく、「大義」のために死んだ戦士たちである。しかし、そもそも「維新」とそれ以降の歴史に「大義」はあったのだろうか」。「靖国神社とは、近代日本がたどった「不幸な歴史」を象徴する宗教施設なのである」。
そして、「史観」からつぎのようにまとめて、「おわりに」を結んでいる。「百四十年前の戦争を、その勝者の立場から捉えることによって成立した施設と私が個人的に和解するのはかなり難しい。近代西洋的な言説で-それが法理論であれ政治学であれ-「彼ら」を納得させることができないのと同様、「維新」を歴史の道理に適うものとみなして疑わない感性には、私は納得できない。ただそれだけである」。「しかし、「それだけ」の事柄の重要性を、声を大にして言いたいのだ。その施設が創建される前からすでに問題なのだということを。「前史」を見ること無くして議論しても上滑りになってしまうことを。これまで「モダンな人」たちがしてきたのとは違う次元で議論していく必要があるということを」。
文庫化にさいし、与那覇潤による「解説 靖国なき「国体」は可能か-戦後言論史のなかの「小島史観」」が加わり、裏表紙につぎのようにまとめられている。「司馬遼太郎をはじめ、今や誰もが1867年の「革命」(=明治維新)を肯定的に語る。けれども、そうした歴史評価は価値中立的ではない。なぜか。内戦の勝者である薩長の立場から近代をとらえた歴史観にすぎないからだ。「靖国史観」もそのひとつで、天皇中心の日本国家を前提にしている。本書は靖国神社創設の経緯をひもときながら、文明開化で儒教が果たした役割に光をあて、明治維新の独善性を暴きだす。気鋭の歴史学者が「日本」の近代史観に一石を投じる檄文。「国体」「英霊」「維新」の三章に、文庫化に際して新章「大義」を増補。今日的課題に切り込む!」。
今年は、明治維新150年にあたる。内閣官房「明治150年」関連施策推進室なるものもあり、全国各地でおこなわれているイベントを紹介している。また、NHK大河ドラマでは「西郷どん」が放送されているが、元号が慶応から明治に改められた10月23日におこなわれた政府の記念式典が永田町の憲政記念館で開かれたことを知る国民は少ないだろう。出席者は、国会議員や各界の代表者ら、わずか350人ほどだった。長州出身で維新の英雄のひとり、高杉晋作の「晋」の字を父とともに名にもつ安倍首相は、朝日新聞デジタルによると、式辞で「明治の人々が勇気と英断、たゆまぬ努力、奮闘によって、世界に向けて大きく胸を開き、新しい時代の扉を開けた」と強調し、「若い世代の方々にはこの機会に、我が国の近代化に向けて生じた出来事に触れ、光と影、様々な側面を貴重な経験として学びとって欲しい」と述べたという。安倍の祖父岸信介の弟、佐藤栄作内閣のもとで開かれた明治100年のときは昭和天皇と香淳皇后が出席したが、「政府からお声がけがなかった」として今回は天皇、皇后は出席しなかった。近代日本の基礎を築いたとされる「明治維新」とはいったいなんだったのだろうか。曖昧なまま、そのときに創建された神社が東アジアの国際関係の火種になっている。
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