蔀勇造『物語 アラビアの歴史-知られざる3000年の興亡』中公新書、2018年7月25日、386頁、1100円+税、ISBN978-4-12-102496-1

 副題に「知られざる」、帯の背に「はじめての本格的通史」とある。なにが「知られざる」で「はじめて」なのか。著者、蔀勇造は、「おわりに」冒頭で、つぎのように説明している。「アラビアの約三千年にわたる歴史を通観してきたが、大きな節目となるイスラームの勃興は、その半ばをやや過ぎたころに起こっている。わが国ではそれ以前のアラビア史について概説した書がないという情況に鑑み、その時代についてより詳しく記述した。イスラーム時代については時代別・地域別の記述はそれぞれの専門家によって行われているが、アラビア全体を俯瞰した著作は、特に近年は見受けられないように思う。アラブ・イスラーム史の専門家はいても、アラビア史プロパーの研究者はいないと言ってよいのではないか」。
 しかし、これまでに書かれなかったことには、それなりの理由がある。容易に想像できるのは、資料がないということだ。だが、砂漠地域は、高温多湿な熱帯地域に比べれば、遺物の保存状態がはるかによく、まだまだ宝が埋まっている可能性があり、いまわからなくても、将来わかる可能性がある。著者が本書を書けたのも、近年の考古学的発掘の成果を利用できたからともいえるが、その偏在について、つぎのように説明している。「先イスラーム期の記述が南アラビア中心になったのは、ひとえに史料の偏在のゆえである。同時代にアラビアの他の地域でも、当然それぞれの歴史が展開・進行しているのであるが、その実態を我々に教えてくれる確かな史料が乏しい。したがってそれらの地域で記述するに足る事柄がある場合でも、何故それが起こったのかを示唆する史料が欠けているために、事実のみを記して因果関係の説明はないか、あっても憶測の域を出ていない場合が多くなった」。
 そして、書き上げたものを「シェバの女王伝説から「アラブの春」まで」のタイトルの下に、200字にまとめると、表紙見返し、帯の裏のようになる。「アラブについて記された最初の石碑は紀元前九世紀に遡る。メソポタミア・エジプト両文明の影響を受けた地に誕生した諸国家は交易と遊牧と農業で栄え、互いにしのぎを削り、エチオピアやインドとも交渉を持った。西暦七世紀にはこの地にイスラームが誕生し、世界史に大きな影響を与える。二十世紀以降は石油資源をもとに近代化を進めるが、政治的安定からはほど遠い。古代文明から現代まで、中東の核心地域の三千年を追う」。
 通史では、自らの研究を踏まえて独自の仮説を提示できるものはほんのわずかで、多くはその分野分野で第一人者が書いた「通説」を参考に書くことになる。だが、この第一人者が書いた「通説」も、すべて原資料にあたって書いたわけではないので、結構間違いがあり、それを参照して書いた「通史」は「間違いだらけ」ということになる。出版するやいなや、「自らの研究を踏まえ」た専門家から、明らかな間違いから不適切な表現まで、いろいろ指摘される。だが、そういう欠点はあっても、ひとりの研究者が通史を書く意義は大きい。その分野の第一人者が書いた「通説」が間違う原因のひとつは、より広い視野で「自らの研究を踏まえ」た成果を、ほかの研究成果とあわせて「相互に関連づけて整合的に理解するのはむずかしい」からである。
 本書のハイライトとして、読者が期待するのは7世紀のイスラームの誕生であろう。そして、それがいかにアラビアだけでなく世界に大きな影響を及ぼしたかであろう。だから、これまでのアラビアの通史は、イスラームの誕生以降に重点を置いてきた。だが、本書では、全8章のなかでイスラームが登場するのは、本書全体の半ばを過ぎた第5章である。その結果、従来の通史とどこが変わったのか。
 著者は、まずイスラームの誕生をつぎのように評価している。「中東史に限らず世界史的に見ても、イスラームの勃興が歴史の大きな画期となったことは間違いない。アラビア史にとってもそれは自明の理であることに疑いを差し挟む者はほとんどいないであろう。ただもう少し子細に見ていくと、アラビア史の場合には地域や分野によってイスラーム化の影響に濃淡のあることに気付かされる」。「宗教や文化の面においてイスラームの勃興が大きな革命であったことは論を俟たない。それ以前からユダヤ教とキリスト教の普及で、アラビアの住民の一神教化が進んでいたことは確かであるが、それでも「アラブのための一神教」としてのイスラームの誕生は画期的であった。政治の舞台でもこれ以降の改革運動や反体制活動は、内実はともかくいずれもイスラームの衣を纏って行われている」。
 「一方で、アラビアの社会や経済がイスラーム化によってどの程度の変化を被ったかは、そう簡単には判断を下せない」として、つぎのように説明している。「家畜の遊牧を生活基盤とするベドウィンの暮らしがイスラーム化によってどう変わったかというと、ほとんど変化はなかったと言えるのではないか。交易活動の盛衰についても、半島周辺の政治情況や交易ルートの変動に左右されることに、イスラーム化の前と後で変わりはなかった。農業もイスラーム暦ではなく、季節の推移に応じた伝統的な農事暦に従って行われている」。
 さらに、つぎのように続けている。「イスラーム誕生の舞台となり一時は新時代到来かと思われたアラビア半島は、大征服の進展により有用人口の多くが北へ流出してしまったため空洞化し、再び過疎の田舎に逆戻りしてしまった。メッカとメディナが位置するヒジャーズ地方だけはイスラーム化の恩恵を被り、巡礼者の増加やイスラーム政権の保護によってそれなりに潤ったものの、それ以外の地の経済や社会はイスラーム化後もそれ以前とほとんど変わらぬ状況が続いた。つまりアラビア半島に限って言えば、イスラームの勃興と普及によっても住民の暮らしや社会のあり方にそれほど本質的な変化は起こらなかったのではないかというのが、本書の原稿を書きながら強く受けた印象である」。イスラーム誕生以前から考察すると、異なったアラビア通史がみえてくるということである。
 3000年というあまりに長く、アラブというあまりに広い地域を扱うため、正確をきすことを考えれば、当然、より専門に近い時代、地域、分野の研究者による分担執筆をしたほうがいいに決まっている。だが、そうすれば、このようにイスラームを相対化することはできなかっただろう。通史を「間違いだらけ」という批判者は、まず自分自身が通史を書くことによって、通史の意義を理解し、より建設的な批判ができるようになるだろう。だが、通史を書くことの難しさを知っている者は、批判すること自体がおのれの未熟さを世間に知らしめることになることに気づいており、建設的でない批判などしない。