今井昭彦『対外戦争戦没者の慰霊-敗戦までの展開』御茶の水書房、2018年5月25日、485+xxiii頁、8800円+税、ISBN978-4-275-02072-7

 神社やお寺、小学校や城跡、公園に行けば、いろいろな名のついた記念碑を見かけることがある。戦争にかんするものでは、「忠魂碑」「招魂碑」「弔魂碑」「彰忠碑」「表忠碑」「誠忠碑」などなどがあるが、どう違うのかさっぱりわからない。著者、今井昭彦は、序章「招魂・靖国・忠魂・忠霊-カミとホトケ」のなかで、つぎのように説明している。「忠魂碑等の当初の建立場所は、神社境内よりも村役場や小学校敷地内が中心であり、その建設には大正期から帝国在郷軍人会(明治四三年一一月三日発足)が関わり始めていった。一方、既述のように戦役紀念碑の建立場所は神社境内が中心で、建立者は主として町村あるいは町村民であり、帝国在郷軍人会による建立は少なかったことがわかる。つまり建立主体の棲み分けがあったようである。ただし明治期の建立に限っていえば、建立主体の明らかな相違を読み取ることはできないのである。このように建碑の全体像は今だにぼやけた部分を有している」。
 本書のタイトルにある「慰霊」ということばも、問題があることが「はしがき」に書かれている。本書は、同著者の『近代日本と戦死者祭祀』(2005年)、『反政府軍戦没者の慰霊』(2013年)につづく3冊目の本格的学術書であるが、2冊目の書評で、「「慰霊」というのは日本独特の伝統的な観念であり、国際的な基準で言い表せる語ではなく、国際的な交流の場では「追悼」という語が理解されやすい」と指摘されたという。
 本書は、はしがき、序章、全4章からなる。第四章「結語-戦没者はカミかホトケか」は短い「終章」に相当する部分で、実質は第一章「明治期の戦役と戦没者慰霊」、第二章「満州・「支那」事変と戦没者慰霊」、第三章「群馬県における戦没者慰霊」の3章からなる。その目次を見ると「忠霊塔」がキーワードであることがわかる。著者は、つぎのように説明している。「内地では昭和期に一般化することになる忠霊塔には納骨が前提とされ、「墳墓」あるいは「墓碑」と規定された。その建設のスローガンとして、「国に靖国、府県に護国、市町村には忠霊塔」が挙げられる。忠霊塔が戦没者の墳墓ということになれば、遺骨を納めぬ忠魂碑とは「大イニ其ノ実感カ違フ」ということになり、当然仏教との関わりが想定され、戦没者は国家が意図・強制したカミであるよりも「ホトケ」として人々に認識されるようになろう。そうすると、スローガンでは忠霊塔が靖国(国家)祭祀体系のなかに包摂されているように見えても、実態としては忠霊塔がこの祭祀体系から逸脱していく可能性を有することになる。また墳墓であるなら、忠霊塔と陸軍墓地や海軍墓地との関係も検討されなければならないだろう。このように忠霊塔は、従来の靖国・護国神社の神式による祭祀体系には含まれない、新たな別枠の慰霊施設ということになるのである」。
 「本書が分析の対象とするのは、こうした屋外での公的な慰霊・祭祀にあり、「家(イエ)」での私的な慰霊・祭祀に関しては殆ど視野に入れていない。戦没者慰霊に関して、先祖祭祀とも絡むイエでの祭祀が欠落していては片手落ちともいえようが、この部分に関しては今後の宿題とし、とりあえず公的な領域における戦没者慰霊のささやかな研究成果として、世に提示するものである」。
 本書で出そうとしている「解答」のひとつは、序章の副題と第4章の主題からカミとホトケの問題であることがわかる。それにたいして、著者は、第4章でつぎのように答えている。「昔から戦没者はカミではなくホトケとして祀るのだという、大多数の国民の根強い信仰を証明するものと考えられよう。民俗学の佐野賢治によれば、現在でも多くの遺族は「忠霊塔にお参りすると、ほっとする」と答えているという。それは戦没者の魂だけを祀り、かつ居住地から遠隔の地にある「巨大な忠魂碑」たる靖国神社とは異なって、戦没者の氏名が明確に刻まれ、あるいは遺骨(遺品)が納められた「共同祭祀の場」である忠霊塔は、日常の生活圏であるムラ社会のなかに建設された。忠霊塔においては、戦没者の魂は遥か遠い「イエ(家)」の先祖まで繋がっていくと考えられ、同時に記憶に新たな戦没者の魂と肉体の双方を祀った「ムラの墓地・聖地」として、人々に認識されていたからであろう。既述のように、村人の本心は何よりも戦没者の「身近での祭祀」を望んでいたのである」。
 その「ムラ」「村人」がいなくなりつつあることを述べて、本書は終わっている。海外に戦友会や遺族が建立したおびただしい数の碑も、無縁化している。靖国神社など顕彰施設としての戦争記念碑だけが残り、慰霊施設が朽ち果てていくなかで、戦争はどう語り継がれていくのだろうか。戦争のことを考え、二度と起こさないようにするためにも、戦没者慰霊・祭祀の問題は重要な問題である。まずは、その認識が必要だろう。