薩摩真介『<海賊>の大英帝国-掠奪と交易の四百年史』講談社選書メチエ、2018年11月9日、317頁、1950円+税、ISBN978-4-06-513732-1
「海賊」と聞くと「掠奪」をともなう犯罪行為と捉える者が多いかもしれない。あるいは、法にとらわれないロマンスを感じる者もいるかもしれない。いずれにせよ、近代法治国家に暮らすわれわれの社会とは縁遠いものに思えるだろう。本書は、そんな「海賊」が社会の一員として、一定の役割を担っていたことを明らかにする。別のことばでいえば、たんに害をもたらす私的掠奪ではなく、公共に利益をもたらしていた側面があったということだ。
本書の要約は、帯の裏につぎのようにまとめられている。「十八世紀以前の時代には、戦争、とりわけ海での戦いは、広い意味での経済的な利益を得る期待と直接的間接的に結びついていた。(中略)前近代のヨーロッパでは、より直接的な形での経済的利益の獲得も戦争の重要な一部分を構成していた。(中略)それどころか海での戦いは、むしろこのような掠奪を通じて富を蓄える機会とみなされていた面もあったのである。このような利益獲得の側面は、長らくイギリスを含むヨーロッパの、(そして、おそらくは人類の)戦争の重要な一側面を構成していたものであった。そのひとつである海上での掠奪の歴史を見ることは、前近代の戦争について我々が持つイメージを塗り替えることにもつながるのである」。
本書は、序章、全7章、終章、あとがきからなる。終章「第一次世界大戦の勃発とパリ宣言体制の崩壊」「3 エピローグ」では、「イギリスと掠奪の関係の変遷の歴史」を振り返り、合法から犯罪行為になる過程をつぎのようにまとめている。「人々のこのような利益獲得の期待と、戦時における敵国の経済の弱体化を狙う政府の思惑に支えられ、掠奪は海軍や私掠者による戦時の拿捕行為という形で十八世紀を通して続いていく。しかし、掠奪の管理化は大規模な海賊行為の発生は防いでも、私掠者や海軍による臨検や拿捕が戦時の中立通商に従事する国との間に摩擦を引き起こすことまでは防げなかった。この交戦国と中立国の利害の衝突は、十八世紀後半から台頭してきた自由貿易思想の追い風も受け、拿捕行為、とくに私掠者による拿捕への批判を生み出す一因となる。この批判は十九世紀半ばの列強の外交的駆け引きとも結びつき、やがて一八五六年のパリ宣言における世界の大半の国での私掠の禁止をもたらした」。
第一次世界大戦後の国際自由貿易の急速な拡大は、安全な通商路としての海上交通が、個々人、国家に利益をもたらすと考えられたことから、「海洋はもはや掠奪を通じて富を奪取する場ではなく」なっていった。だが、私的な利益や自国のみの利益を追求しようとする者が現れたとき、非合法な掠奪がおこることになる。とくに慣習法である国際法に罰則がなく、国内法によってのみ取り締まることができるため、ソマリヤのような破綻国家では無法状態になる。海洋の安全が、グローバル社会の利益につながり、それが国益につながるとわかったとき、非合法な「海賊」はいなくなるはずだが・・・。
本書では、帝国が海を支配するという観点で書かれており、陸から海への視点しかない。海から陸を視る視点は、本書で扱った帝国のヨーロッパ中心史観の400年間では難しいであろう。そのヨーロッパ世界が、海を主体とする海域世界に進出したとき、この陸から海への視点だけで語ることができるだろうか。本国から離れ、私的にアジア貿易などに従事したカントリートレーダーやビーチコーマ-とよばれた人びとの視点で見ると、「海賊」もまた違ったものに見えてくるかもしれない。
本書の要約は、帯の裏につぎのようにまとめられている。「十八世紀以前の時代には、戦争、とりわけ海での戦いは、広い意味での経済的な利益を得る期待と直接的間接的に結びついていた。(中略)前近代のヨーロッパでは、より直接的な形での経済的利益の獲得も戦争の重要な一部分を構成していた。(中略)それどころか海での戦いは、むしろこのような掠奪を通じて富を蓄える機会とみなされていた面もあったのである。このような利益獲得の側面は、長らくイギリスを含むヨーロッパの、(そして、おそらくは人類の)戦争の重要な一側面を構成していたものであった。そのひとつである海上での掠奪の歴史を見ることは、前近代の戦争について我々が持つイメージを塗り替えることにもつながるのである」。
本書は、序章、全7章、終章、あとがきからなる。終章「第一次世界大戦の勃発とパリ宣言体制の崩壊」「3 エピローグ」では、「イギリスと掠奪の関係の変遷の歴史」を振り返り、合法から犯罪行為になる過程をつぎのようにまとめている。「人々のこのような利益獲得の期待と、戦時における敵国の経済の弱体化を狙う政府の思惑に支えられ、掠奪は海軍や私掠者による戦時の拿捕行為という形で十八世紀を通して続いていく。しかし、掠奪の管理化は大規模な海賊行為の発生は防いでも、私掠者や海軍による臨検や拿捕が戦時の中立通商に従事する国との間に摩擦を引き起こすことまでは防げなかった。この交戦国と中立国の利害の衝突は、十八世紀後半から台頭してきた自由貿易思想の追い風も受け、拿捕行為、とくに私掠者による拿捕への批判を生み出す一因となる。この批判は十九世紀半ばの列強の外交的駆け引きとも結びつき、やがて一八五六年のパリ宣言における世界の大半の国での私掠の禁止をもたらした」。
第一次世界大戦後の国際自由貿易の急速な拡大は、安全な通商路としての海上交通が、個々人、国家に利益をもたらすと考えられたことから、「海洋はもはや掠奪を通じて富を奪取する場ではなく」なっていった。だが、私的な利益や自国のみの利益を追求しようとする者が現れたとき、非合法な掠奪がおこることになる。とくに慣習法である国際法に罰則がなく、国内法によってのみ取り締まることができるため、ソマリヤのような破綻国家では無法状態になる。海洋の安全が、グローバル社会の利益につながり、それが国益につながるとわかったとき、非合法な「海賊」はいなくなるはずだが・・・。
本書では、帝国が海を支配するという観点で書かれており、陸から海への視点しかない。海から陸を視る視点は、本書で扱った帝国のヨーロッパ中心史観の400年間では難しいであろう。そのヨーロッパ世界が、海を主体とする海域世界に進出したとき、この陸から海への視点だけで語ることができるだろうか。本国から離れ、私的にアジア貿易などに従事したカントリートレーダーやビーチコーマ-とよばれた人びとの視点で見ると、「海賊」もまた違ったものに見えてくるかもしれない。
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