豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』岩波現代文庫、2012年11月16日、290+5頁、1100円+税、ISBN978-4-00-600273-2

 「日々激変する内外情勢と洪水のように溢れてくる情報をフォローし整理をして本文に組み込んでいくという、文字通り神経のすり減る執筆作業を強いられ」た成果が、本書である。議論の内容は、裏表紙につぎのようにまとめられている。「尖閣諸島問題についてのメディア報道には重大な欠落がある。日中両国の主張を歴史的にどう評価すべきなのか。最も注目すべきは、アメリカが曖昧な姿勢を取り続けていること。アメリカの戦略を解明する点で本書は独自性を持っている。国有化では解決できず、「固有の領土」論が説得力を欠く理由も明らかにする。さらに「北方領土」や竹島問題の解決策も踏まえ、日本外交を転換することで「尖閣問題」を打開する道筋を指し示す渾身の書き下ろし」。
 本書は、序章、全6章、「あとがき」からなる。比較的長い序章「「領土問題」の歴史的構図」の最後の見出しは「「中国の脅威」という問題」で、つぎのように述べている。「本書では、問題の「米国ファクター」を抉りだすとともに、この「中国の脅威」にいかに対処するかという問題をも重要な軸に据えていきたい。なぜなら、「中国の脅威」の問題は、単に領土問題のレベルをこえて、日本外交の今後のあり方を規定するであろう、最も重要な問題に他ならないからである」。
 つづけて、章ごとに本書の内容を素描している。第一章「忘れられた島々」では、「尖閣諸島の領有権をめぐる日本、中国、台湾の主張を再検討し、歴史的にも国際法の上からも同諸島が日本の領土であることを明らかにしていく」。
 第二章「米国の「あいまい」戦略」では、「にもかかわらず、なぜ米国は尖閣諸島の領有権のありかについて「中立の立場」をとってきたのか、その政治的な背景を詳しく分析し、この米国の「あいまい」戦略こそが、「尖閣問題」においてきわめて重要な意味をもっていることを抉りだす」。
 第三章「「尖閣購入」問題の陥穽」では、「石原氏の「尖閣購入」問題について改めて検討を加える。野田政権が本年[2012年]九月一一日に尖閣諸島の「国有化」を決定したことによって、「東京都による購入」については〝一件落着〟をみたようである。しかし、同氏による購入方針のうちあげ以来の〝狂騒曲〟を深く検証しておくことは、「尖閣問題」の今後を考える際に、決定的とも言える重要性を有しているのである」。
 第四章「領土問題の「戦略的解決」を」では、「北方領土」と竹島という、他の二つの領土問題について考察する。それらの歴史的背景と、それらをめぐる諸論争を再検討したうえで、「中国の脅威」に対処するためにも、これら二つの領土問題の「戦略的な解決」を急ぎ、日本外交が「呪縛」から脱するべきことを論ずる」。
 第五章「「無益な試み」を越えて」では、「「尖閣問題」で攻勢を強める中国と、同問題で「中立の立場」をとっている米国との両国関係を分析する。その上で、「尖閣問題」にとって決定的なことは、唯一無二の同盟国たる米国でさえ「領土問題は存在する」という立場をとっていることであり、そうである以上、日本も従来の立場に固執することなく、直ちに中国や台湾との間で資源問題や漁業問題などで実務的な協議に入り、軍事衝突といった最悪のシナリオを避けるべきことを説く」。
 第六章「日本外交の「第三の道」を求めて」では、「領土問題と日米同盟のあり方が密接に関係していることを踏まえ、日本外交の今後の方向性について、より大きな視野から抜本的な検討を加える。具体的には、日米同盟を軍事的に強化していく道か、日本の核武装の道か、という二つの選択肢をこえた日本外交の「第三の道」の可能性を、「安全保障のジレンマ」の概念を軸に据え、深刻きわまりない基地問題に直面している沖縄の地政学上の立ち位置を根底から見直すことを通して探っていく」。
 そして、第六章最後の見出し「「尖閣問題」とは何か」を、つぎのように結んで、結論としている。「米国がその一部を管理下におく無人の島々をめぐって、世界第二位と第三位の経済大国同士が、軍事衝突の危険性を孕みつつ対峙しあうという今日の状況は、まさに「日米関係とは中国問題に他ならない」といわれる本質的な問題が凝縮的に表現されているのである。とすれば、「尖閣問題」とは何かという課題は、つまるところ、戦後日本外交のあり方を根底から見直す必要性を提起している、と言えるのである」。
 著者が強調するのは「抉りだす」ことであるが、本書を読むと政治的解決はないと読めてしまう。社会科学的な考えでいけば、こちらを立てればあちらが立たずで、おさまりどころがない。ならば政治的問題はすべて棚上げにして、今後どうすればいいかを考えざるをえない。石油資源があるならどのように開発するか利益分配をどうするか、漁業その他の資源を持続可能なものにするにはどうすればいいか、環境問題はどうするのか、などなどは、どれも1ヶ国だけで判断、解決できることではない。関係する国ぐにに第三国が加わって、地域、地球の財産としてどう考えるかが重要になるはずだ。そのとき、排他的な考えはどうでもよくなるだろう。なにもしない、させない、サンクチュアリにするのも選択肢のひとつだ。