吉田裕『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』中公新書、2017年12月25日、228頁、820円+税、ISBN978-4-12-102465-7
本書は発行半年で、10版を重ね、10万部を突破した。マスコミでさかんに取りあげる戦争月間である8月を前にしてである。本書は、国家と国家との戦争である近代の戦争を、兵士の体験からその現実を見ようとするものである。戦場の兵士たちについて、具体的に書いてあるだけに臨場感が伝わって、戦争体験者にもそうでない人にも受け入れられたのだろう。本書を読むと、総力戦で一般国民を巻き込む近代戦に、日本という国家が参加する資格がいかになかったかがわかってくる。自国の兵士さえまともに対応できなかった国家が、植民地や占領支配下の住民を人道的に扱ったわけがない。強制連行された労働者や従軍慰安婦、捕虜の扱いなどについて、今日までひきつづく問題があるのも当然であると思えてくる。
本書概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「310万人に及ぶ日本人犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。異常に高い餓死率、30万人を超えた海没死、戦場での自殺と「処置」、特攻、体力が劣悪化した補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏・・・・・・。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験を強いられた現実を描く」。
著者、吉田裕は、「はじめに」で、本書の目的をつぎのように述べている。「本書では従来の議論を踏まえた上で、切り口を大きく変えて次の三つの問題意識を重視しながら、凄惨な戦場の現実を歴史学の手法で描き出してみたい。それは、戦後歴史学を問い直すこと、「兵士の目線」で「兵士の立ち位置」から戦場をとらえ直してみること、そして、「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにすることである」。
一つ目の問題意識は、「戦後歴史学の原点は、悲惨な敗北に終わった無謀な戦争への反省だった。その限りでは、戦後歴史学は戦争を正当化したり美化することとは無縁の存在だった」。「しかし、戦後の歴史研究を担った第一世代の研究者が戦争の直接体験者であったために、平和意識がひときわ強い反面で、軍事史研究を忌避する傾向も根強かった。その結果、ある時期まで軍事史研究は、防衛庁防衛研修所(現・防衛省防衛研究所)などを中心にした旧陸海軍幕僚将校グループによる「専有物」だった」。「このような状況に変化が現われるのは一九九〇年代に入ってからである。戦争体験をまったく持たない戦後生まれの研究者(私もその一人)が、空白の軍事史に関心を向け、社会史や民衆史の視点から戦争や軍隊をとらえ直す研究に本格的に取り組み始めたからである。その結果、軍事史研究は大きな進展をみせるようになった」。
二つ目の問題意識は、「「兵士の目線」重視し、「兵士の立ち位置」から、凄惨な戦場の現実、俳人であり、元兵士だった金(かね)子(こ)兜(とう)太(た)のいう「死の現場」を再構成してみることである」。「戦後の代表的な戦史研究としては、防衛庁防衛研修所戦史室が編纂した『戦史叢書』全一〇二巻(一九六六~八〇年)をあげることができる。刊行中に研修所は研究所に戦史室は戦史部に改組されるが、当時は部外者がほとんど見ることができなかった膨大な量の一次史料に基づく大作であり、労作である」。「しかし、この『戦史叢書』は、旧陸海軍の幕僚将校だった戦史編纂官が書いた戦史、軍中央部の立場からみた戦争指導史という性格を色濃く持っている。また、勇敢に戦った「帝国陸海軍」の将兵を顕彰するという性格も否定できない。実際、第一戦で戦った将兵から見れば、同書の叙述には一方的で恣意的なところがあり、戦場の現実を反映していないという批判が刊行中から存在する」。
「三つ目の問題意識は、「帝国陸海軍」の軍事的特性が「現場」で戦う兵士たちにどのような負荷をかけたのかを具体的に明らかにすることである。兵士たちの置かれた苛酷な状況と「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにすると言い換えてもいい」。「この問題にこだわるのは、「死の現場」の問題をもう少し大きな歴史的文脈のなかに位置付けてみたいと思うからである。こうした分析を通して、アジア・太平洋戦争における凄惨な戦場の実相、兵士たちが直面した過酷な現実に少しでもせまりたい」。
本書は、序章、全3章、終章からなり、頻出する「凄惨」「過酷・苛酷」ということばから「現場」の状況がつぶさにわかる。
そして、終章の最後の見出し「近年の「礼讃」と実際の「死の現場」」で、つぎのように危惧し、本書執筆のきっかけになったと述べている。「端的に言えば、一九九〇年前後から日本社会の一部に、およそ非現実的で戦場の現実とかけ離れた戦争観が台頭してきたからである。その一つが、荒唐無稽な新兵器を登場させることによって戦局を挽回させたり、「もしミッドウェー海戦で日本海軍が勝利していたら」など、さまざまな「イフ」を設定することによって、実際の戦局の展開とは異なるアジア・太平洋戦争を描く「架空戦記」、「仮想戦記」ブームである」。
これにたいして著者は、「日本軍の戦闘力に対する過大評価とある種の思い入れがある。そして、そんな風潮が根強く残っているからこそ、戦場の凄惨な現実を直視する必要がある」と力説している。
また、「あとがき」で、つぎのようにもうひとつの本書執筆のきっかけを述べている。「二一世紀に入る前後から、会員の死去や高齢化にともなって全国組織を持つ戦友会の解散が相次いだ。一つの時代の終わりを告げる象徴的な出来事である。その頃から、無残な死を遂げた兵士たちの死のありようを書き残しておきたい気持ちが自分自身のなかで次第に強くなっていった。また、一九九九年に靖国偕行文庫が開室し、多くの部隊史や兵士の回想記を閲覧できるようになったことも、書き残したいという思いをいっそう強くした」。靖国偕行文庫に加えて、昭和館図書室、奈良県立図書情報館戦争体験文庫に、戦記ものがまとまって所蔵されている。各県立図書館にも、地元出身兵士や地元の空襲体験の「死の現場」の証言を集めたものあったりする。「死の現場」が身近であったことがわかる。また、戦争体験者が亡くなったことを契機に、遺品から新たな資料が見つかることがある。捨てるに捨てられなかったものから、われわれはなにを読み解くか。本書の延長線上の歴史はいくらでもある。
日本は、国民の生命をないがしろにして、近代総力戦を戦う資格がなかった。では、充分な配慮をして万全を期して臨めば、資格があったのか。否である。戦争はゲームではなく、生身の人間が戦うのである。物質的なものだけでなく、こころがある。万全を期すれば、対応できるものではない。戦争をはじめるとき、同時にやめるときのことを考えなければならない。だが、初めはわかっても、終わりのタイミングは誰にもわからない。「勝ったときが終わりだ」などという者は、まさに愚の骨頂である。つまり、誰も戦争をはじめることなどできないということだ。
本書概要は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「310万人に及ぶ日本人犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。異常に高い餓死率、30万人を超えた海没死、戦場での自殺と「処置」、特攻、体力が劣悪化した補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏・・・・・・。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験を強いられた現実を描く」。
著者、吉田裕は、「はじめに」で、本書の目的をつぎのように述べている。「本書では従来の議論を踏まえた上で、切り口を大きく変えて次の三つの問題意識を重視しながら、凄惨な戦場の現実を歴史学の手法で描き出してみたい。それは、戦後歴史学を問い直すこと、「兵士の目線」で「兵士の立ち位置」から戦場をとらえ直してみること、そして、「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにすることである」。
一つ目の問題意識は、「戦後歴史学の原点は、悲惨な敗北に終わった無謀な戦争への反省だった。その限りでは、戦後歴史学は戦争を正当化したり美化することとは無縁の存在だった」。「しかし、戦後の歴史研究を担った第一世代の研究者が戦争の直接体験者であったために、平和意識がひときわ強い反面で、軍事史研究を忌避する傾向も根強かった。その結果、ある時期まで軍事史研究は、防衛庁防衛研修所(現・防衛省防衛研究所)などを中心にした旧陸海軍幕僚将校グループによる「専有物」だった」。「このような状況に変化が現われるのは一九九〇年代に入ってからである。戦争体験をまったく持たない戦後生まれの研究者(私もその一人)が、空白の軍事史に関心を向け、社会史や民衆史の視点から戦争や軍隊をとらえ直す研究に本格的に取り組み始めたからである。その結果、軍事史研究は大きな進展をみせるようになった」。
二つ目の問題意識は、「「兵士の目線」重視し、「兵士の立ち位置」から、凄惨な戦場の現実、俳人であり、元兵士だった金(かね)子(こ)兜(とう)太(た)のいう「死の現場」を再構成してみることである」。「戦後の代表的な戦史研究としては、防衛庁防衛研修所戦史室が編纂した『戦史叢書』全一〇二巻(一九六六~八〇年)をあげることができる。刊行中に研修所は研究所に戦史室は戦史部に改組されるが、当時は部外者がほとんど見ることができなかった膨大な量の一次史料に基づく大作であり、労作である」。「しかし、この『戦史叢書』は、旧陸海軍の幕僚将校だった戦史編纂官が書いた戦史、軍中央部の立場からみた戦争指導史という性格を色濃く持っている。また、勇敢に戦った「帝国陸海軍」の将兵を顕彰するという性格も否定できない。実際、第一戦で戦った将兵から見れば、同書の叙述には一方的で恣意的なところがあり、戦場の現実を反映していないという批判が刊行中から存在する」。
「三つ目の問題意識は、「帝国陸海軍」の軍事的特性が「現場」で戦う兵士たちにどのような負荷をかけたのかを具体的に明らかにすることである。兵士たちの置かれた苛酷な状況と「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにすると言い換えてもいい」。「この問題にこだわるのは、「死の現場」の問題をもう少し大きな歴史的文脈のなかに位置付けてみたいと思うからである。こうした分析を通して、アジア・太平洋戦争における凄惨な戦場の実相、兵士たちが直面した過酷な現実に少しでもせまりたい」。
本書は、序章、全3章、終章からなり、頻出する「凄惨」「過酷・苛酷」ということばから「現場」の状況がつぶさにわかる。
そして、終章の最後の見出し「近年の「礼讃」と実際の「死の現場」」で、つぎのように危惧し、本書執筆のきっかけになったと述べている。「端的に言えば、一九九〇年前後から日本社会の一部に、およそ非現実的で戦場の現実とかけ離れた戦争観が台頭してきたからである。その一つが、荒唐無稽な新兵器を登場させることによって戦局を挽回させたり、「もしミッドウェー海戦で日本海軍が勝利していたら」など、さまざまな「イフ」を設定することによって、実際の戦局の展開とは異なるアジア・太平洋戦争を描く「架空戦記」、「仮想戦記」ブームである」。
これにたいして著者は、「日本軍の戦闘力に対する過大評価とある種の思い入れがある。そして、そんな風潮が根強く残っているからこそ、戦場の凄惨な現実を直視する必要がある」と力説している。
また、「あとがき」で、つぎのようにもうひとつの本書執筆のきっかけを述べている。「二一世紀に入る前後から、会員の死去や高齢化にともなって全国組織を持つ戦友会の解散が相次いだ。一つの時代の終わりを告げる象徴的な出来事である。その頃から、無残な死を遂げた兵士たちの死のありようを書き残しておきたい気持ちが自分自身のなかで次第に強くなっていった。また、一九九九年に靖国偕行文庫が開室し、多くの部隊史や兵士の回想記を閲覧できるようになったことも、書き残したいという思いをいっそう強くした」。靖国偕行文庫に加えて、昭和館図書室、奈良県立図書情報館戦争体験文庫に、戦記ものがまとまって所蔵されている。各県立図書館にも、地元出身兵士や地元の空襲体験の「死の現場」の証言を集めたものあったりする。「死の現場」が身近であったことがわかる。また、戦争体験者が亡くなったことを契機に、遺品から新たな資料が見つかることがある。捨てるに捨てられなかったものから、われわれはなにを読み解くか。本書の延長線上の歴史はいくらでもある。
日本は、国民の生命をないがしろにして、近代総力戦を戦う資格がなかった。では、充分な配慮をして万全を期して臨めば、資格があったのか。否である。戦争はゲームではなく、生身の人間が戦うのである。物質的なものだけでなく、こころがある。万全を期すれば、対応できるものではない。戦争をはじめるとき、同時にやめるときのことを考えなければならない。だが、初めはわかっても、終わりのタイミングは誰にもわからない。「勝ったときが終わりだ」などという者は、まさに愚の骨頂である。つまり、誰も戦争をはじめることなどできないということだ。
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