阿部純一郎『<移動>と<比較>の日本帝国史-統治技術としての観光・博覧会・フィールドワーク』新曜社、2014年4月14日、386頁、4200円+税、ISBN978-4-7885-1359-4
「帝国」研究は、ひと昔前に終わった。それは、近代の帝国研究である。いま、新たにポストモダンの「帝国」研究がおこなわれているのか。「比較」研究も、単純な二項対立的な比較は終わったはずだ。すると、本書の主題のもうひとつのキーワードである「移動」がポイントとなるのか。帯には、「移動の時代、3つの比較が膨張する植民地帝国を支えた」とある。
著者、阿部純一郎は、意外な序章のタイトル「はじまりの拉致」で本書をはじめ、つぎのように説明している。「こうした原住民の拉致は、ヨーロッパ人と植民地住民との出会いのなかでは、ありふれたものであった。スペインに代わって次世代の海洋国家を担ったイギリスの航海者たちも、珍しい動植物や収集品とともに、現地の人間を、実に多種多様な理由で〝持ち帰っている〟。たとえば通訳や情報提供者として、安価な労働力として、貴族のステータス・シンボルとして、未知なる世界の物的証拠として、宮廷内の娯楽あるいは商業的な見世物(フリークス)として、さらには愛する子供へのプレゼントとして」。「我々は、これらの移動する原住民の存在を、近代史における単なる偶発的なエピソードとして扱うべきではない。むしろそれは「近代」に、そのはじまりから不可分に組み込まれてきたものなのだ」。
つづけて、著者は本書の主題を、つぎのように述べている。「近代のグローバリゼーションとナショナリズムの展開にともなう原住民の<移動=転地>の経験、ならびにそれを取り巻く学知と政策の歴史である。その主な舞台は、一九世紀後半以降の日本とその最初の植民地である台湾に設定される。本書は、これらの島々を舞台にして繰り広げられた人々の移動と遭遇、特に観光・博覧会・フィールドワークという三つの「植民地的出会い」に焦点をあてる」。
その「第一は、原住民の見世物化の問題である」。「第二に注目したいのは、日本人と原住民との接触、あるいは原住民の移動を「管理management」しようとする政策的思考である」。「第三の関心は、帝国期日本の人類学とフィールドワークの問題」である。そして、「観光・博覧会・フィールドワーク-。このいまだ萌芽的に現れているにすぎない三つの点を繋ぎ合わせたとき、一体いかなる「日本帝国」の輪郭が浮かび上がってくるか。本書は、日本人と植民地住民とが対峙したこれらの三つの「植民的出会い」に焦点をあて、日本帝国史を再構成する試みである」とまとめている。
「本書は、一九世紀後半に加速するグローバルな人の<移動>と<接触>という前提から出発し、日本の植民地帝国の成立・存続にとって、日本人と原住民の<移動>と<接触>の管理こそが決定的な重要性をもっていたと主張する。そのためにはまず、「ナショナリズム」と「グローバリゼーション」を分析的に対立させる思考法や「国民国家」時代の後に続くものとして「グローバリゼーション」時代を位置づけるような段階論的な歴史観を刷新しなくてはならない」。
以上のことを念頭に、本書は、序章、全9章、結語からなる。章ごとのまとめは、序章の後半でおこなっている。「第一章[理論視角-移動・比較・ナショナリズム]では、B・アンダーソンのナショナリズム論を手がかりにして、近代の輸送・通信ネットワークの発達とそれに基づく現実的/仮想的な<移動=転地>の経験が、ナショナリズムという新たなイマジネーションを成立させるうえで鍵となる役割を果たしたことを明らかにする」。
「第二章[「人類」から「東洋」へ-坪井正五郎の旅と比較]・第三章[フィールドワークにおける「リスク」と「真正性」-鳥居龍蔵の台湾・西南中国調査]の主題は、人類学の<比較>の実践である。第二章では、坪井正五郎と鳥居龍蔵という日本人類学の学問的制度化の原点となる二人の人物を取り上げる」。「第三章では、鳥居の閉域化された「フィールド」理解がいかにして生みだされたかを、実際の調査の現場から検証する。
「第四章[フィールドとしての博覧会-明治・大正期日本の原住民展示と人類学者]からは、学知の領域から博覧会そして観光の領域へと少しずつ焦点を移していく。第四章では、日本の人類学史ならびに博覧会史上に刻まれる負の歴史のひとつである<原住民展示>の問題を取り上げる」。「第五章[「台湾」表象をめぐる帝国の緊張-第五回内国勧業博覧会における台湾館事業と内地観光事業]では、博覧会という<比較>の空間を植民地サイドの視点から捉えかえす」。
「第六章[「比較」という統治技術-明治・大正期の先住民観光事業]・第七章[「比較」を管理する-霧社事件以後の先住民観光事業]では、観光という<比較>の実践が、植民地住民に対する統治技術としてどのように利用されたかを詳細に論じる」。
「第八章[フィールドワークとしての観光、メディアとしての民族-小山栄三の観光宣伝論と日本帝国の国際観光政策]では、日本帝国内部の民族運動の高まりや国際的な対日世論の悪化にともない、一九三〇年代以降の日本政府の政策において、観光が一種の世論操作・プロパガンダ活動として民族政策に接続されていく過程を追う」。
「第九章[「日本化」と「観光化」の狭間で-『民俗台湾』と日本民芸協会の台湾民芸保存運動]では、日中戦争下の台湾で発行された『民俗台湾』という雑誌の活動、特に台湾民芸品の保護活動を取り上げる」。
そして、つぎのようにまとめている。「本書は、以下の二つの理由で、現代の視点から書かれた歴史書である。第一に、本書で扱うのは、現代と同じく、グローバリゼーションとナショナリズムが同時進行していた世界である。第二に、本書は、当時支配的だった価値観のなかでは看過されてきた出来事を扱うという意味において、現代の視点から書かれている。すなわち本書は、かつては周辺的とみなされてきたが、脱植民地化やグローバリゼーションの進展にともなう言説空間の再編のなかで新たな意味を獲得しつつある。そんな歴史的経験に光をあてる。しかしそれは言いかえれば、本書が対象とする時代と現代の言説空間とが大きく異なるということを意味する。したがって本書は、現在の視点から当時の研究者の「未熟さ」や政策実践の「暴力性」を非難するような歴史分析からは自覚的に距離をとろうと努めた(本書が多くの章で一九九〇年代以降の日本のポスト・コロニアリズム研究を俎上に載せているのはこのためである)。本書が目指しているのは、今日の基準からみればあまりにも「未熟」で「暴力的」にさえ映る帝国期の言説実践の意味を、それらが生まれてきた歴史的な<場>のなかで内在的に理解し、帝国期を生きた人々の社会的現実-植民地的想像力-に迫ること、である」。
そして、著者は「結語 比較と植民地的想像力」で、つぎのようにまとめている。「観光・博覧会・フィールドワークという三つの領域は、当時の日本人にとって、植民地の暮らしや文化、そして生身の人間に直接触れることのできる、貴重な「植民地的出会い」の場であった。また、それらはいずれも諸文化・諸社会の「比較」を可能にするものでもあった。その意味で、今日では個別に研究されているこれら三つの領域は、帝国期の学知や政策的思考のなかで、単なる比喩にとどまらず、実質的に重なり合っていたのである」とし、その結果、「本書の目的はむしろ、これら三つの領域を互換可能にした想像力の源泉を問い、帝国期の社会的現実を浮き彫りにすることであった」と結んだ。
見ることは見られることでもある。見ることと見られることの両方が揃って、「比較」ができる。台湾の博物館を見ると、いまだに日本人研究者の功績を高く評価している。見られた台湾が展示してある。では、台湾は見ている日本をどう見たのか。この「比較」研究を裏返してみると、また別の日本帝国が姿を現してくるかもしれない。
すでに「終わった」研究に、新たな視点を注ぎ込むことによって、終わったはずの研究がまったく別の意味をもつ研究に再生される。すでに「終わった」研究だから一定の結論が出ていて学びやすい。それは同時に「終わった」研究の盲点を見つけやすいことを意味する。当時気づかなかったことにも、すこし時間が経てば気づくことがある。学会などで定期的に「回顧と展望」をするのも、新たな発見のためである。
著者、阿部純一郎は、意外な序章のタイトル「はじまりの拉致」で本書をはじめ、つぎのように説明している。「こうした原住民の拉致は、ヨーロッパ人と植民地住民との出会いのなかでは、ありふれたものであった。スペインに代わって次世代の海洋国家を担ったイギリスの航海者たちも、珍しい動植物や収集品とともに、現地の人間を、実に多種多様な理由で〝持ち帰っている〟。たとえば通訳や情報提供者として、安価な労働力として、貴族のステータス・シンボルとして、未知なる世界の物的証拠として、宮廷内の娯楽あるいは商業的な見世物(フリークス)として、さらには愛する子供へのプレゼントとして」。「我々は、これらの移動する原住民の存在を、近代史における単なる偶発的なエピソードとして扱うべきではない。むしろそれは「近代」に、そのはじまりから不可分に組み込まれてきたものなのだ」。
つづけて、著者は本書の主題を、つぎのように述べている。「近代のグローバリゼーションとナショナリズムの展開にともなう原住民の<移動=転地>の経験、ならびにそれを取り巻く学知と政策の歴史である。その主な舞台は、一九世紀後半以降の日本とその最初の植民地である台湾に設定される。本書は、これらの島々を舞台にして繰り広げられた人々の移動と遭遇、特に観光・博覧会・フィールドワークという三つの「植民地的出会い」に焦点をあてる」。
その「第一は、原住民の見世物化の問題である」。「第二に注目したいのは、日本人と原住民との接触、あるいは原住民の移動を「管理management」しようとする政策的思考である」。「第三の関心は、帝国期日本の人類学とフィールドワークの問題」である。そして、「観光・博覧会・フィールドワーク-。このいまだ萌芽的に現れているにすぎない三つの点を繋ぎ合わせたとき、一体いかなる「日本帝国」の輪郭が浮かび上がってくるか。本書は、日本人と植民地住民とが対峙したこれらの三つの「植民的出会い」に焦点をあて、日本帝国史を再構成する試みである」とまとめている。
「本書は、一九世紀後半に加速するグローバルな人の<移動>と<接触>という前提から出発し、日本の植民地帝国の成立・存続にとって、日本人と原住民の<移動>と<接触>の管理こそが決定的な重要性をもっていたと主張する。そのためにはまず、「ナショナリズム」と「グローバリゼーション」を分析的に対立させる思考法や「国民国家」時代の後に続くものとして「グローバリゼーション」時代を位置づけるような段階論的な歴史観を刷新しなくてはならない」。
以上のことを念頭に、本書は、序章、全9章、結語からなる。章ごとのまとめは、序章の後半でおこなっている。「第一章[理論視角-移動・比較・ナショナリズム]では、B・アンダーソンのナショナリズム論を手がかりにして、近代の輸送・通信ネットワークの発達とそれに基づく現実的/仮想的な<移動=転地>の経験が、ナショナリズムという新たなイマジネーションを成立させるうえで鍵となる役割を果たしたことを明らかにする」。
「第二章[「人類」から「東洋」へ-坪井正五郎の旅と比較]・第三章[フィールドワークにおける「リスク」と「真正性」-鳥居龍蔵の台湾・西南中国調査]の主題は、人類学の<比較>の実践である。第二章では、坪井正五郎と鳥居龍蔵という日本人類学の学問的制度化の原点となる二人の人物を取り上げる」。「第三章では、鳥居の閉域化された「フィールド」理解がいかにして生みだされたかを、実際の調査の現場から検証する。
「第四章[フィールドとしての博覧会-明治・大正期日本の原住民展示と人類学者]からは、学知の領域から博覧会そして観光の領域へと少しずつ焦点を移していく。第四章では、日本の人類学史ならびに博覧会史上に刻まれる負の歴史のひとつである<原住民展示>の問題を取り上げる」。「第五章[「台湾」表象をめぐる帝国の緊張-第五回内国勧業博覧会における台湾館事業と内地観光事業]では、博覧会という<比較>の空間を植民地サイドの視点から捉えかえす」。
「第六章[「比較」という統治技術-明治・大正期の先住民観光事業]・第七章[「比較」を管理する-霧社事件以後の先住民観光事業]では、観光という<比較>の実践が、植民地住民に対する統治技術としてどのように利用されたかを詳細に論じる」。
「第八章[フィールドワークとしての観光、メディアとしての民族-小山栄三の観光宣伝論と日本帝国の国際観光政策]では、日本帝国内部の民族運動の高まりや国際的な対日世論の悪化にともない、一九三〇年代以降の日本政府の政策において、観光が一種の世論操作・プロパガンダ活動として民族政策に接続されていく過程を追う」。
「第九章[「日本化」と「観光化」の狭間で-『民俗台湾』と日本民芸協会の台湾民芸保存運動]では、日中戦争下の台湾で発行された『民俗台湾』という雑誌の活動、特に台湾民芸品の保護活動を取り上げる」。
そして、つぎのようにまとめている。「本書は、以下の二つの理由で、現代の視点から書かれた歴史書である。第一に、本書で扱うのは、現代と同じく、グローバリゼーションとナショナリズムが同時進行していた世界である。第二に、本書は、当時支配的だった価値観のなかでは看過されてきた出来事を扱うという意味において、現代の視点から書かれている。すなわち本書は、かつては周辺的とみなされてきたが、脱植民地化やグローバリゼーションの進展にともなう言説空間の再編のなかで新たな意味を獲得しつつある。そんな歴史的経験に光をあてる。しかしそれは言いかえれば、本書が対象とする時代と現代の言説空間とが大きく異なるということを意味する。したがって本書は、現在の視点から当時の研究者の「未熟さ」や政策実践の「暴力性」を非難するような歴史分析からは自覚的に距離をとろうと努めた(本書が多くの章で一九九〇年代以降の日本のポスト・コロニアリズム研究を俎上に載せているのはこのためである)。本書が目指しているのは、今日の基準からみればあまりにも「未熟」で「暴力的」にさえ映る帝国期の言説実践の意味を、それらが生まれてきた歴史的な<場>のなかで内在的に理解し、帝国期を生きた人々の社会的現実-植民地的想像力-に迫ること、である」。
そして、著者は「結語 比較と植民地的想像力」で、つぎのようにまとめている。「観光・博覧会・フィールドワークという三つの領域は、当時の日本人にとって、植民地の暮らしや文化、そして生身の人間に直接触れることのできる、貴重な「植民地的出会い」の場であった。また、それらはいずれも諸文化・諸社会の「比較」を可能にするものでもあった。その意味で、今日では個別に研究されているこれら三つの領域は、帝国期の学知や政策的思考のなかで、単なる比喩にとどまらず、実質的に重なり合っていたのである」とし、その結果、「本書の目的はむしろ、これら三つの領域を互換可能にした想像力の源泉を問い、帝国期の社会的現実を浮き彫りにすることであった」と結んだ。
見ることは見られることでもある。見ることと見られることの両方が揃って、「比較」ができる。台湾の博物館を見ると、いまだに日本人研究者の功績を高く評価している。見られた台湾が展示してある。では、台湾は見ている日本をどう見たのか。この「比較」研究を裏返してみると、また別の日本帝国が姿を現してくるかもしれない。
すでに「終わった」研究に、新たな視点を注ぎ込むことによって、終わったはずの研究がまったく別の意味をもつ研究に再生される。すでに「終わった」研究だから一定の結論が出ていて学びやすい。それは同時に「終わった」研究の盲点を見つけやすいことを意味する。当時気づかなかったことにも、すこし時間が経てば気づくことがある。学会などで定期的に「回顧と展望」をするのも、新たな発見のためである。
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