ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子『大航海時代の日本人奴隷-アジア・新大陸・ヨーロッパ』中公叢書、2017年4月25日、201頁、ISBN978-4-12-004978-1
2003年のNHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」は、たしか日本人が奴隷として売られていくシーンではじまったと記憶している。藤木久志『雑兵たちの戦場-中世の傭兵と奴隷狩り』(朝日新聞社、1995年)などを読めば、日本人が海外に奴隷として売られていくことは、珍しいことでもなんでもなかったことがわかる。秀吉の朝鮮出兵にさいして、自分の子どもの遊び相手にするために、朝鮮人の子どもをさらってきたり買ってきたりした日本の武将もいた。そんなことから、本書のきっかけがメキシコに渡った日本人「奴隷」がいたことが、2013年に新聞で「いくぶんセンセーショナル」に報道され、「一般の人には新鮮に受け取られた」ということが、ピンとこなかった。奴隷や海賊、頭蓋骨(考古学調査で発掘される)など、マスコミがセンセーショナルに報道する、いくつののキーワードがある。しかも、それらは珍しいからではなく、日常的でありふれたものだからである。
本書はポルトガルで2014年に出版されたものの第1~2章で、日本人読者向けに改稿・翻訳したものである。ポルトガル語の書籍の3分の1であるという。
本書の目的は、「緒言」の最後でつぎのように記されている。「本書では、我々が知る偉大な探検者たちの「大航海時代」とは異なる、この時代に生き、大きな歴史の流れに埋もれて人知れず生涯を終えた人々の「大航海」に光を当て、イベリア勢力の世界進出の陰の一面を描き出すことを目的としている」。
日本人奴隷の存在が、これまで「一般にはほとんど知られておらず、南蛮貿易やキリシタン史の専門的な研究でも、この問題の細部にまで立ち入ったものはなかった」理由を、著者は2つあげている。「第一の理由に、一六世紀や一七世紀の国内外の史料に、南蛮貿易の「人身売買」について言及したものが、きわめて少ないことが挙げられる。これは何も日本に限ったことではなく、日本人よりも数量的には、はるかに多く取引されたであろうインド人や東南アジア島嶼部の人々に関しても同様である。記録が残りにくい理由は、世界各地で人身売買を盛んにおこなったポルトガル人商人にとって、その行為はあまりに日常的であったのと同時に、ポルトガル国王やそのインド領国の総督ら、政治的権力者によって表向きには何度も禁じられた「違法商売」であったことにある」。
「第二に、総体的に史料が少ないことにもまして、いかなる人が、どういう経路で日本から海外へ渡り、彼らの生活がどのようなものであったのかを具体的に示す事例に欠けていたことが挙げられる。冒頭に挙げた史料は、個別の事例を具体的に示すものというだけではなく、日本人奴隷が一人称で語る、裁判所での「証言記録」であった。漠然とした「人身売買」のイメージは、彼自身の体験が語られることで、よりリアルに再現可能なものとなり、人々の関心を引いたのだと思う」。
本書は、緒言、はじめに、序章「交差するディアスポラ-日本人奴隷と改宗ユダヤ人商人の物語」、全3章、おわりに、あとがき、からなる。本文3章は「アジア」「スペイン領中南米地域」「ヨーロッパ」の地域ごとにまとめられており、「第一章 アジア」はさらにマカオ、フィリピン、ゴア、「第二章 スペイン領中南米地域」はメキシコ、ペルー、アルゼンチン、「第三章 ヨーロッパ」はポルトガル、スペインに分けて事例を紹介し、論じている。
そして、裏表紙で、全体をつぎのようにまとめている。「戦国時代の日本国内に、「奴隷」とされた人々が多数存在し、ポルトガル人が海外に連れ出していたことは知られていた。しかし、その実態は不明であり、顧みられることもほとんどなかった。ところが近年、三人の日本人奴隷がメキシコに渡っていたことを示す史料が見つかった。「ユダヤ教徒」のポルトガル人に対する異端審問記録に彼らに関する記述が含まれていたのだ。アジアにおける人身売買はどのようなものだったのか。世界の海に展開したヨーロッパ勢力の動きを背景に、名もなき人々が送った人生から、大航海時代のもう一つの相貌が浮かび上がる」。
近代になって国際的に奴隷は非合法になっていったが、買売春や強制労働など実態として残り、日本でもフィリピン人やタイ人などが「じゃぱゆきさん」として風俗で働くことを強要されたり、研修生という名の奴隷的労働を強いられたりした実態が明らかになった。16~17世紀の日本人奴隷が語られない理由と同じものが、いまの日本にも存在している。センセーショナルに語られることによって、逆説的に非合法な存在が黙認されてきたということもできる。そう考えると、本書はきわめて今日的な問題として読むこともできる。
本書はポルトガルで2014年に出版されたものの第1~2章で、日本人読者向けに改稿・翻訳したものである。ポルトガル語の書籍の3分の1であるという。
本書の目的は、「緒言」の最後でつぎのように記されている。「本書では、我々が知る偉大な探検者たちの「大航海時代」とは異なる、この時代に生き、大きな歴史の流れに埋もれて人知れず生涯を終えた人々の「大航海」に光を当て、イベリア勢力の世界進出の陰の一面を描き出すことを目的としている」。
日本人奴隷の存在が、これまで「一般にはほとんど知られておらず、南蛮貿易やキリシタン史の専門的な研究でも、この問題の細部にまで立ち入ったものはなかった」理由を、著者は2つあげている。「第一の理由に、一六世紀や一七世紀の国内外の史料に、南蛮貿易の「人身売買」について言及したものが、きわめて少ないことが挙げられる。これは何も日本に限ったことではなく、日本人よりも数量的には、はるかに多く取引されたであろうインド人や東南アジア島嶼部の人々に関しても同様である。記録が残りにくい理由は、世界各地で人身売買を盛んにおこなったポルトガル人商人にとって、その行為はあまりに日常的であったのと同時に、ポルトガル国王やそのインド領国の総督ら、政治的権力者によって表向きには何度も禁じられた「違法商売」であったことにある」。
「第二に、総体的に史料が少ないことにもまして、いかなる人が、どういう経路で日本から海外へ渡り、彼らの生活がどのようなものであったのかを具体的に示す事例に欠けていたことが挙げられる。冒頭に挙げた史料は、個別の事例を具体的に示すものというだけではなく、日本人奴隷が一人称で語る、裁判所での「証言記録」であった。漠然とした「人身売買」のイメージは、彼自身の体験が語られることで、よりリアルに再現可能なものとなり、人々の関心を引いたのだと思う」。
本書は、緒言、はじめに、序章「交差するディアスポラ-日本人奴隷と改宗ユダヤ人商人の物語」、全3章、おわりに、あとがき、からなる。本文3章は「アジア」「スペイン領中南米地域」「ヨーロッパ」の地域ごとにまとめられており、「第一章 アジア」はさらにマカオ、フィリピン、ゴア、「第二章 スペイン領中南米地域」はメキシコ、ペルー、アルゼンチン、「第三章 ヨーロッパ」はポルトガル、スペインに分けて事例を紹介し、論じている。
そして、裏表紙で、全体をつぎのようにまとめている。「戦国時代の日本国内に、「奴隷」とされた人々が多数存在し、ポルトガル人が海外に連れ出していたことは知られていた。しかし、その実態は不明であり、顧みられることもほとんどなかった。ところが近年、三人の日本人奴隷がメキシコに渡っていたことを示す史料が見つかった。「ユダヤ教徒」のポルトガル人に対する異端審問記録に彼らに関する記述が含まれていたのだ。アジアにおける人身売買はどのようなものだったのか。世界の海に展開したヨーロッパ勢力の動きを背景に、名もなき人々が送った人生から、大航海時代のもう一つの相貌が浮かび上がる」。
近代になって国際的に奴隷は非合法になっていったが、買売春や強制労働など実態として残り、日本でもフィリピン人やタイ人などが「じゃぱゆきさん」として風俗で働くことを強要されたり、研修生という名の奴隷的労働を強いられたりした実態が明らかになった。16~17世紀の日本人奴隷が語られない理由と同じものが、いまの日本にも存在している。センセーショナルに語られることによって、逆説的に非合法な存在が黙認されてきたということもできる。そう考えると、本書はきわめて今日的な問題として読むこともできる。
コメント