長濱博文『フィリピンの価値教育-グローバル社会に対応する全人・統合アプローチ』九州大学出版会、2014年3月31日、301頁、4000円+税、ISBN978-4-7985-0124-6

 本書の目的は、「はじめに」冒頭でつぎのように書かれている。「フィリピンの価値教育と価値教育を内包する統合科目の分析を通して、フィリピンにおける国民的アイデンティティの在り方に、価値教育がどのように作用しているかを明らかにすることである」。
 その必要性を、つづけてつぎのように説明している。「現在、これまでの道徳教育の名称に代わり、価値教育や人格教育、または社会科の要素を含む市民性教育の導入が世界的な潮流となっている。それは従来の道徳心を育む教育に加えて、グローバル化による急速な社会変容に伴う多様な価値観が、どの国民国家の中においても並存する状況に対して、レジリエンス(困難な状況にもしなやかに適応する力)のある内発的な心の教育が求められているからである」。
 著者、長濱博文がフィリピンを選んだ理由は、同じく「はじめに」でつぎのように述べられている。「現在のフィリピンの学力水準は日本と比較できるものではないかもしれない。しかし、様々な社会の矛盾の中で、高い自己肯定感や幸福感を持つフィリピンから学ぶことは少なくないのではないか」。
 本書の研究内容は、研究目的、問題意識に沿って、つぎの3つにまとめられている。「まず①統合科目における価値教育がどのような特質を持つかを考察し、それを受けて②フィリピンの価値教育の特質を有する統合科目が、異教徒の子どもたちの国民的アイデンティティの形成にどのような影響を持っているかを現地調査に基づいて検証する。さらに、③分析した価値教育の特質が実践においてどのように反映していると評価できるかについて考察する」。
 そして、著者は、フィリピンを通して、つぎのように日本の教育について考えている。「本研究はフィリピンの価値教育の研究であるが、それはフィリピンにおける価値教育の可能性を分析することだけでなく、その経験と知見を援用することにより、日本の子どもたちがグローバル化する社会において「生きる力」を発揮し、同時に健全な国民意識の育成を可能とする示唆を抽出できるのではないかとの問題意識に根ざしている。長きにわたり植民地化され、近代化も国民国家の形成も思うに任せなかったフィリピンであるからこそ、その苦難の歴史から投影される試みには、物質的繁栄の裏でいまだ克服し得ない国民意識の超克すべき課題と「生きる力」の形成に関する日本への示唆が見出せるのではないか。我々が途上国への偏見や先入観を克服した時に、フィリピンの価値教育は全く新しい「価値」を持って日本の学校教育の課題の処方箋として作用すると考える」。
 本書は、はじめに、序章「本研究の課題設定と分析の枠組み」、全6章、終章「総括と今後の課題」、あとがき、などからなる。各章の要約は、序章の最後でおこなっている。 第1章「マルコス政権とアキノ政権下の価値教育の展開」では、「価値教育の成立過程についてマルコス、アキノ政権の価値教育に関わる展開を考察する」。第2章「フィリピンの統合科目における価値教育の理念」では、「統合科目における価値教育の理念について分析する」。第3章「価値教育の全人・統合アプローチによる展開」では、「教授法である全人・統合アプローチの分析とそれに基づく現地において観察した授業実践について分析を加え、統合科目において価値教育がどのように教授されているかについて考察する」。第4章「意識調査にみる子どもの価値認識」では、「本研究の分析フィルターである革命の歴史からの分析と宗教と地域性に着目した分析について、現地での意識調査の成果を基に考察していく」。第5章「価値教育の理念から実践への展開」では、「第4章の意識調査の分析結果を基に、本研究において定義づけた価値意識の観点から、フィリピンの子どもたちの伝統、学校教育、選好に関わる意識調査の分析を再検討する」。第6章「市民性教育との比較考察と教育改革の動向」では、「フィリピンの価値教育の展開と比較考察するため、市民性教育を推進してきたオーストラリアの価値教育導入過程について論及する」。そして、「終章では、本研究で得られた知見を概括し、価値教育の国民的アイデンティティ形成への影響を明らかにするとともに、異教徒間対話を促進する可能性について考察する。そして、価値教育の可能性と教育実践における留意事項についてまとめるとともに、最後に、今後の課題について述べる」。
 その終章では、まず第6章を除いて章ごとに要約して議論を発展させ、「価値多元社会における価値教育の可能性」について探り、フィリピン価値教育の課題をつぎのように総括している。「常に過去との対話によって形成され、その過去との対話が未来につながるフィリピン像に投影される。フィリピンの価値教育におけるナショナリズムの涵養は、定点に留まることなく、常に未来への飛躍を目指す教育実践なのである」。
 最後に、今後の課題として、つぎの3つをあげて終章を終えている。「第1に、今後の研究の課題として考えられるのは、現地調査を継続し、ミンダナオのムスリム・ミンダナオ自治区(後のバンサモロ)を中心とした地域でどのような授業実践がなされているかを考察・分析することである」。「第2に、個々の価値を成立させている概念的背景からの理解と考察である」。「第3に、マニラとミンダナオにおける教員養成課程の比較検討である」。
 「価値教育」は教育学界では一般的かもしれないが、一般にはなじみのないことばである。本書は、「はじめに」で道徳教育にかわるもののひとつであることが説明され、なんとなくわかった気になって読むことができるが、読み進むにつれ「定義」のようなものがほしくなった。だが、どう定義されようが、結局は現場で個々の教員がどう応用させていくかにかかっていることがわかってきた。また、統合することによってより具体的に実践させることができることもわかってきた。つまり、教員教育にかかっている。
 本書では、カトリックとイスラーム、マニラとミンダナオとを2項対立的に比較し、わかりやすくなっている。この単純化からどう発展させていくかが、今後の研究の鍵になるだろう。多様性を特徴とするフィリピンの事例研究をいくつすればいいのか、するたびに差異が見つかる。本書表紙の2枚の教室の写真にともに掲げられている調査時点での大統領のアロヨは、後に選挙法違反、公金不正流用で逮捕された。キリスト教聖職者の性犯罪も後を絶たない。この「価値教育」と政治家や聖職者の犯罪行為は相容れないものである。だからこそ、議論の場を国内ではなく、ユネスコでおこなったともいえる。子どもたちは、教育されることと現実とが矛盾することを知っている。
 フィリピンの教員の給料だけで一家を養っていけないことは、だれもが知っていた。それを補うためのサイドビジネスをすると「聖職」としての教師に相応しくないことも起きる。アキノ政権で、充分ではないとはいえ、教員の給料が大幅に増えた。教員の質の向上、教室不足の解消など、フィリピンの教育は基本的な問題を多々抱えてきた。本書でも紹介されたASEANとの協調による教育改革が、その突破口になるかもしれない。