重松伸司『マラッカ海峡のコスモポリス ペナン』大学教育出版、2012年3月20日、147頁、1800円+税、ISBN978-4-86429-118-7

 2008年にマラッカとともに世界遺産に登録されたペナンの中心地ジョージタウンに、「他の多くの世界遺産が誇るような、巨大な建築遺構や宗教施設、あるいは独特な文化史跡といったものは存在しない」。にもかかわらず、「世界文化遺産の三つの基準に適合すると認定された」のは、「それは目に見える形としての建築・技術・デザイン・景観だけではなく、むしろ多種多様な人々が日常的な営みの中で紡ぎ出した無形の生活遺産ではないかと思える」と著者、重松伸司は語る。
 本書の意図は、「はじめに」の最後でつぎのように語られている。「本書はその足で稼いだ原地調査、フィールドワークの一部であるが、ただ旅行ガイドや世界遺産案内を目的としたものではない。大学で講義していると、専門的論議は別として、ベンガル湾やマラッカ海峡の面白さを解説する一般書や啓蒙書の類が思いのほか少ないことに気づく。そこで、できるだけわかりやすい形で、ほとんど知られていない東南アジアの小島ペナンを対象にして、多くのエスニックが共存してきたアジアの近代という時代、そして様々な人々がたどってきた歴史のカタチについてまとめてみようと考えた。本書の意図はこの点にある」。
 本書は、はじめに、全7章、おわりに、からなる。全7章は、テーマごとで、つぎのタイトルからなる:「第一章 ビンロウと植民者」「第二章 アジールの島」「第三章 コスモポリス誕生」「第四章 移民マフィアの時代」「第五章 日本人町、彼南市の興亡」「第六章 アルメニア商人の海峡世界」「第七章 ベンガル湾のインド人海商」。
 「ジョージタウンという市街の成り立ちと、それを形作った人々の三〇〇年にわたる社会・生活史を概説」した本書を、まとめることは容易ではない。そのかわりに著者は、「おわりに」で「本書執筆中にぶつかった課題」、つぎの3つをあげている。
 「その一つは、本来この島の「当主」であるはずの、マレー人についての記述を十分に書けなかったことである。記録資料が少ないという問題も確かにある。だが、記録文書のほかに、マレー人が残した様々な伝承や非文献資料などを利用する研究方法や、マレー人の視点での歴史観を掘り下げる必要があったことを痛感している」。
 「第二に、本書では、インド系やアルメニア系の人々の記述が不十分なことである。アルメニア人については、今後まとめたいと考えているのだが、インド系の集団については、きっと私家文書や族誌は存在するはずであるから、それらの記録資料を掘り起こす必要がある」。
 「第三に、ペナン定住の中国系の人名や史跡の読み方の問題である。出身地ごとに-たとえば、福建・広東・海南・客家など-発音が異なり、さらにまたマレー語に発音が転写され、あるいは当時の西欧人がローマ字表記した際の表記が多様であり、それらをまたカタカナで表記する場合に、いったい何が正当な(あるいは妥当な)表記なのか確証が得られなかったのである」。
 著者は、類書がないというが、上記の3つの課題だけで、その理由はよくわかる。本書が書けたのも、著者の飽くなき追求心で、資料でも現地調査でも、決して諦めなかったからである。それを20年以上つづけた成果が本書である。この3つの課題をクリアするためには、日本人の1研究者だけではどうにもならない部分がある。現地の人びとの関心と、地元出身者によるローカルヒストリーの充実が必要である。日本史が、テーマによって粗密はあるものの、洗練された学問領域に達したのも広い底辺が支えているからである。本書のテーマは、底辺がないに等しい。
 ただ1点、これだけ博捜しても漏れるものがあることがわかった。「明治四二年施餓鬼供養」をおこなった僧言証は、島原の太師堂の創建者、広田言証で、倉橋正直氏の研究『島原のからゆきさん-奇僧・広田言証と太師堂』(共栄書房、1993年)で詳細が明らかになっている。