シナン・レヴェント『石油とナショナリズム-中東資源外交と「戦後アジア主義」』人文書院、2022年9月30日、358頁、4500円+税、ISBN978-4-409-52090-1

 「驚き」の一語である。まだ30代のトルコ人が日本語文献を駆使して、本書を執筆している。著者は博士課程に入学したとき、英語履修コースだった。

 英語履修が日本の大学でもできるようになってから、日本語をまったく学習しようとせず、自国のことや自国と日本の関係を学ぶ学生が日本にやってくるようになった。日本語が読めると言っても、専門書を読むためには日本語能力試験1級でもかなりの高得点をとらなければならないが、2級程度で博士論文を書く者も珍しくない。

 そんななかで、著者のシナン・レヴェントは、母国トルコを「本研究の対象国としない」。そして、日本語文献を読みこなしていることは、「序章」「3 研究の視角:民族石油資本と戦後「アジア主義」」の冒頭のつぎの記述から明らかである。「経済大国でありながら資源小国であり、かつ米国一辺倒であった戦後日本は、石油危機をきっかけに西側陣営から「アラブ寄り外交」、自主的な「中東外交」をとろうとしたと評された。しかしながら、戦後日本外交が資源・エネルギーへの渇望、あるいは日米同盟からの脱却観点からだけではなく、中東をどのような「地域」として認識し、資源外交のイデオロギー戦略としてどう対峙しようとしたのかは、十分考察されてこなかった」。「戦後日本外交の中東政策分析が石油資源保障論と日米同盟というリアリズムに偏っているのは、単に戦後の日本外交そのものに内在していたバイアスによるものだけではない。筆者は中東という「地域」を外交戦略の中で認識し位置づける営為の観点から意識し、それを意識的に行った政治主体を析出するという分析視角が、これまでの日本外交史研究になかったからではないかと考える」。ここまで言い切ることができるのは、よほど日本外交史研究の専門書を読みこなしたからだろう。

 本書の「4 課題と目的」は、冒頭でつぎのようにまとめられている。「石油を中心にした対中東外交を通じて政・民の関係を究明することによって、戦後政治の中で中東外交に積極的であった保守派の思想・イデオロギーを探り、その影響力を具体的に明らかにすることが出来ると考える。より具体的には、資源派財界人と政治家との関係・人脈が対中東石油確保のためにいかに活かされたか、またどのような政治家が後ろで支援したのか、さらには官僚側の立場はいかなるものであったかなどの問いへの答えを探し求めてみたい。政と民が「中東」という地域をどのように認識し、いかなる資源保障論を持っていたか、またナショナリズムや世界戦略の観点からどのように資源外交を行っていたかについてもあわせて考察していきたいと考える。特に、戦前と戦後のイデオロギー的連続性・断絶性を政治思想の側面から明らかにすることは、ほとんどなされていない重要な研究である」。

 本書は、序章、全5章、終章、補論などからなる。「序章 戦後日本における中東:その定義と概念」で、問題意識、先行研究、研究の視角、課題と目的、方法論、本書の構成を確認した後、それぞれ1章を割いて出光佐三(いでみつさぞう)、山下太郎、田中清玄(せいげん)、杉本茂の4人の「資源派財界人」を扱い、最後に政治家ブレーンとなった中谷武世(なかたにたけよ)を取りあげている。終章でまとめ、民間人主体に議論した本書を補う意味で、「補論 通商産業省と石油の自主開発政策」を考察している。

 「第一章 出光佐三とイラン石油」では、「まず戦後石油産業の発展過程を概説し、次に対中東外交の黎明期に自主的資源確保のために動き出した出光佐三に焦点を当てる」。「第二章 山下太郎とサウジアラビア・クウェート石油」では、「戦後日本における石油開発業界の進展を概観する上で、戦後「アラビア太郎」と言われた山下太郎とアラビア石油会社の中東における石油開発事業の実情を検証する」。「第三章 田中清玄とアブダビ石油」と「第四章 杉本茂とアブダビ石油」では、「山下太郎のアラビア石油株式会社の次に中東の油田開発事業に成功した第二の日本企業であるアブダビ石油株式会社の資源確保活動を論述する」。

 「第五章 中谷武世と中東」では、「戦後日本の対中東民間外交の主役の一人として知られる日本アラブ協会の創立者、中谷武世を取り上げる。中谷武世は岸信介、福田赳夫、中曽根康弘などの保守政治家が対中東外交に関して意見を求めた人物であり、冷戦期日本政府から中東に派遣された主たる外交ミッションのほとんどに参加したメンバーの一人でもあった」。

 「終章」では、「本書の分析から得られた知見を大きく二つに分けてまとめ」ている。「第一の知見としては、戦後の日本・中東関係、特に一九七〇年代半ばまでの黎明期において、政府よりも民間が対中東資源外交を先導・主導したことがある」。「資源派財界人及び民族系資本による対中東外交の分析を通じて得られたもう一つの知見は、石油とイデオロギーが密接な関係性を有していたということである」。

 そして、つぎのパラグラフで「終章」を終えている。「最後に、戦後日本ではこうした民族主義は資源派財界人という民間経済人によって先導・主導され、彼らのこの民族主義思想が戦前アジア主義と同じく、「万世一系」の天皇崇拝と皇室の教えを原理とする日本的宗教倫理と表裏一体を成していた。その意味において、資源派財界人の政治的関係と思想、そして民族系資本の経営理念からは戦後日本の対中東民間外交には、「戦後アジア主義」とも呼べる民族主義が強く影響していたと言うことができる」。

 「日本的宗教倫理」がイスラームと呼応するなら、戦前のイスラームとのかかわりも再考できるかもしれない。戦前と戦後をつないだ意味は大きい。ならば、戦前・戦中に後のノーベル受賞者まで生んだ技術者は、どうだったのだろうか。石油だけでなく、鉱物資源開発において、技術者の役割は大きい。戦前・戦中の技術開発は、戦後にどうつながったのだろうか。

 石油利権に絡む問題はいろいろおもしろいと、以前から聞いていたが、研究が進めば進むほど書けないことが多くなるとも聞いた。本書が書けたのは、戦前の「アジア主義」を研究してきた著者だから、「右翼」と一言で片付けられない人物像を浮かびあがらせることができたからだろう。

 こういう外国人研究者がいると、日本における英語履修の独自性が出てくる。日本で英語履修する意味(特徴と限界)がわかっていない学生に、著者のことを紹介したい。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。