ベンジャミン・ウチヤマ著、布施由紀子訳『日本のカーニバル戦争:総力戦下の大衆文化 1937-1945』みすず書房、2022年8月16日、385+23頁、4200円+税、ISBN978-4-622-09523-1

 本書のキーワードは「カーニバル」である。だが、「カーニバル戦争」とは、聞きなれないことばである。著者、ウチヤマは「カーニバルという概念」を「序章」で、つぎのように説明している。「ロシアの文学理論家ミハイル・バフチンは、「カーニバル」とは、ある社会的・文化的状況で突如として沸き起こり、既存の秩序を転倒させて、破壊し、再生へ導きさえする社会的な力であると定義している。それは、コミュニティの通常のルールが一時的に適用されなくなり、既存の階級構造が打ち壊されて平準化される過渡的な瞬間を指す。そのような安定を欠いた状況下では、新しい文化的実践が生まれて、強者を貶め、あざけり、パロディ化する一方、弱者、凡人、奇怪な者を、コミュニティの新しい「王」に祭りあげ」、「大衆に、鬱積した不満を吐き出すセラピー効果のある通気口を提供」した。

 「その象徴的な存在として本書が取り上げるのは、①「スリル・ハンター」となった従軍記者、②高給取りの軍需工場の職工、③兵隊(帰還した傷病兵を含む)、④映画スター(総力戦のチアリーダーも務めた)、⑤少年航空兵(戦争末期には特攻隊員に)」であるが、けっして「網羅的なリストではない。戦時日本にはほかにも、たとえば従軍看護婦や、軽蔑の的であった闇市の「ブローカー」、怪人赤マントなど、あいまいな文化的概念が存在し、絶えず大衆の想像力を刺激していた」。本書は、これら5つにそれぞれ1章をあてた全5章と序章、終章からなる。

 「本書では、一九三七年から一九四五年までの日本人の日常生活に対するわれわれの認識を再構築することにより、大衆文化が、「祝祭戦争」とわたしが名づけるものへと進化した過程をたどっていく。アジア・太平洋戦争は国が社会全体に支配をおよぼす機会を生み出したが、同時に、日本人の自己意識を多元化させ、本書で論じるように、カーニバル戦争ととらえればもっとも的確に理解できる文化的枠組みのなかにこれを広める結果も招いた。カーニバル戦争には、スポットライトを浴びて燦然と輝く「公式」の文化と、影のなかにひそむ「非公式」の文化の両方が包摂される」。

 さらに、「本書では、日本がアジア・太平洋地域を侵略・占領していた時期の帝国主義と大衆文化との関わりをみていくなかで、日本の一般大衆が、すべてを国に捧げる忠実な帝国臣民としての役割と、犠牲より欲望を優先するコスモポリタンな大衆文化の消費者としての役割とを演じ分けていた実態を描き出す」。

 そして、著者は、「序章」でつぎのように結論めいたことを述べている。「本書は、大衆を抑圧し、威圧し、鼓舞さえして、挙国一致に近い状態を生み出していった、戦時日本国家の恐るべき権力やイデオロギー装置を完全には否定しない。しかし、研究者が社会的平等と調和の実現に関心を固定すれば、このような均質化が社会にもたらした分断や「不平等」を無視することになる。つまり、政策と目標と、公式発表のみをみることになり、総力戦下の文化的な実践や、多数の人々の「生きられた経験」に目をつぶることになるのだ。突き詰めて言えば、国家権力や強制的な社会調和の拡大をめぐる言説は、物語の半分にすぎない。日本の戦時動員を詳細にみていくと、それは「体制」ではなく、行き当たりばったりのプロセスであったことがわかるからだ」。

 そして、「序章」をつぎのパラグラフで締め括っている。「どのカーニバル王も、総力戦の「影」の部分をスポットライトの下に引きずり出した。銃後にくすぶる亀裂、齟齬、怒りを。警官のそばで賑わうサーカス・フリークを。その起原は、一九三七年、日本が中国への侵略を開始したころにさかのぼる。カーニバル戦争は、最初は徐々にはじまり、やがて声高に殺戮を求める大合唱になり、残虐と狂気の旋風になった。それに続いたメディアの熱狂はほどなく沈静化したものの、すでに日本の戦前大衆社会はカーニバルの興奮を際限なく消費したがる国内線戦へと変容していたのである。このすさまじい暴力と快楽のコンサートに、指揮者として立ったのは、「スリル・ハンター」であった従軍記者、最初のカーニバル王だった」。

 「終章」では、つぎのようにまとめている。「本書では、日本の戦時大衆文化は「カーニバル戦争」というレンズを通して見ることでもっとも深く理解できると論じてきた。「カーニバル戦争」では、メディアによるグロテスクやナンセンスの礼讃と、国に統制された過度に規律正しい日常生活とのあいだを、文化的構成要素が振り子のように揺れ動いていた。本書で取りあげたメディアの五つの構成概念は、それぞれ別個のものでありながら、たがいに接点をもっていた。そして、総力戦の暴力、消費、モダニティが、カーニバル戦争を経て、変動する多面的な文化的実践にさまざまなかたちで組みこまれていった過程を解明する手がかりをあたえてくれる」。

 つづけて、つぎのように明らかになったことを述べている。「カーニバル戦争論は、日本の戦時史にまつわるふたつの通念に異議を申し立てる。そのひとつは、戦時の国家イデオロギーが日本の社会を支配し、一九二〇年代以来ふつふつと煮えたぎっていたモダニティや社会的興奮を効果的に抑えこんだとする見解である。いまひとつは、大衆が生死にかかわる問題に向き合い、これを理解し、消化する基本的な道筋を、国がつねに明確に示すことができたとする、より固定的な見方である。カーニバル戦争論はまた、総力戦が為政者としての日本人、帝国臣民・大衆消費者としての日本人のあいだに、モダンライフに対する抑圧的なふるまい、享楽的なふるまいの両方を引き起こした実態も明らかにする」。

 そして、つぎのパラグラフで、「終章」を終えている。「銃後には欲求と犠牲があり、幻想と悪夢があり、美と恐怖があった。これらのたがいに相矛盾する文化的実践のすべてがあいまって、戦時の日本人の日常体験を形づくっていった。このダイナミクスを認めることで、はじめてわたしたちは、なぜ日本が戦争をしたのか、さらには、なぜモダンな大衆社会が、第二次世界大戦中の他国民に対する凄惨な暴力や残虐行為を許したのかが理解できるのだ。そしてやがては、一部の国家が-総力戦とは異なる形態であるにせよ-大衆社会の抑制をほとんど受けずに近代的な戦争をつづけている。われわれの時代についても考察をはじめることができるだろう」。

 われわれは往々にして、権力者側の意図にもとづいて語りがちである。それは、権力者側がその意図を資料として残していること、権力者が強いたことを強いられたほうが根にもって覚えていることなどによるだろう。だが、実態はどうであったのか、人びとの日常からうかがい知ることができるはずだ。本書の「原注」から、著者が新聞から多くの情報を得ていたことがわかる。残念ながら、掲載された新聞の頁は書かれていない。1面や2面ではなく、三面記事が多かったのではないだろうか。同じ新聞記事を使うにしても、1面や2面をおもに使う学術的成果と「三面」をおもに使うものではまったく違ったものになる。「カーニバル戦争」とは、「三面」的性格のものだったのではないか。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。