江澤誠『「大東亜共栄圏」と幻のスマトラ鉄道-玉音放送の日に完成した第二の泰緬鉄道』彩流社、2018年9月21日、414頁、4500円+税、ISBN978-4-7791-2498-3

 「大東亜戦争」中に建設された鉄道としては、泰緬鉄道があまりにも有名で、ほかの鉄道について語られることはほとんどない。本書の副題に「第二の泰緬鉄道」とあるのも、泰緬鉄道の有名さにあやかってのことだろう。だが、本書の主題、副題とも、読者に誤解を与えることばが含まれている。主題の「幻」から完成されなかった、あるいは利用されなかった印象を受ける。副題にあるとおり8月15日に完成されており、本書に書かれているとおり1946年3月26日まで列車は走っていた。「幻」とは、「知られざる」あるいは「忘れ去られた」という意味だろう。副題の「第二の泰緬鉄道」の「第二」から泰緬鉄道と密接にかかわったような印象を受けるが、日本軍が必要に応じて建設した鉄道のひとつで、現在のインドネシアだけでもスマトラだけでなく、ジャワ、ボルネオ、セレベス島に建設された。「第二」とは泰緬鉄道につぐ大規模な鉄道建設だったという意味だろうか。  帯にあるとおり、「敗戦の日に完成したこの鉄道建設で、多くの捕虜やロームシャが犠牲になった」「巨大鉄道」が、著者の江澤誠の「膨大な資料の渾身の発掘・分析と現地でのていねいな聞き取り調査により、歴史の闇に埋もれていた幻の鉄道の全貌が初めて明らかに」なった。  これまで、スマトラ鉄道が「幻」であった理由を、著者はつぎのようにまとめ、(本文より)として帯の裏に掲載されている。「そして(中略)、重要なことは「地政学的に周縁」とともに「意識上の周縁」とも言うべき点に思いをいたさなければならないということである」。「多くの犠牲者を出したスマトラ横断鉄道に関して戦後72年が経ってもその詳細が明らかになっていないのは、本来責任をとるべき日本国、軍、国鉄、建設会社などが責任を回避して意図的に沈黙してきたことも大きな要因である。戦争責任、戦後責任の認識を政府はじめ組織・団体、関係者の多くが持ち合わせていないのである。ほとんどの日本人はスマトラ横断鉄道という存在すら知らず、そのような意識の上での「周縁化」によって、スマトラ横断鉄道建設問題は埋もれてしまったと言える」。  著者は2015年に「スマトラ横断鉄道建設問題に本格的に取り組み始め」、1992年に一度「発見」された「スマトラ新聞」が行方不明になっていたのを「再発見」した。復刻した1943年10月1日から44年1月20日までの94号(全体では1943年6月から45年の敗戦時まで約650号発行)のなかに、スマトラ横断鉄道にかんする記事は2つしかなかった。日本軍政下で発行された東南アジア各地の新聞にも、鉄道にかんするものはほとんどない。鉄道は、軍事的に重要な機密事項で、とくに資源開発と絡んでいたため、検閲がかかってほとんど報道されなかった。  著者は、「あとがき」をつぎのように締めくくっている。「本文でも述べたがスマトラ横断鉄道の研究はインドネシア、オランダ、日本とほとんど独自に進められており、情報共有と共同研究が求められている。そのためにも本書が広範な人々に読まれ、可能であれば速やかにインドネシア語、オランダ語、英語へ翻訳されることを希望する次第である」。日本語の「スマトラ新聞」が発行される前から、マレー語のSumatora SinbunやKita-Sumatora- Sinbunが発行されていたが、これらも読まれていないのだろう。  その必要性は、同じく「あとがき」にあるつぎの文章からもよくわかる。「「玉音放送の日」後のスマトラ島に入ったRAPWI[ラプウィ:連合軍俘虜及び抑留者救援隊]ジェイコブズ少佐の抱いた言い知れぬ恐怖の対象は、鉄道建設で使役された捕虜やロームシャの凄惨な状況であったが、それにとどまるものではなかった。ジェイコブズは日本軍の持つ「何をしでかすかわからない狂気の塊」に怖気を振るったのである。普通の日本人が個としての存在から集団の一員になった時に現れる狂気は、いつ蘇るかわからないという点において、被害者のみならず加害者側の我々自身が恐れなければならない対象である」。  そのことにまったく気づいていない日本人の多くが、本書からその「狂気」を感じとってくれることを望む。  索引の頁がぐちゃぐちゃになっているのが残念である。出版事情の厳しいなか、出版社によっては編集者が原稿を読む余裕がないままに出版されることもあるという。誤字脱字が多くなるのも当然で、索引までこのような状況で出版されている。内容はいいのに、このような編集の不手際で読者離れがさらにすすむという悪循環にならなければいいのだが。