東栄一郎著、飯島真里子・今野裕子・佐原彩子・佃陽子訳『帝国のフロンティアをもとめて-日本人の環太平洋移動と入植者植民地主義』名古屋大学出版会、2022年6月15日、345+76頁、5400円+税、ISBN978-4-8158-1092-4
気になっていた本だが、英文の原著を読むのを後まわしにしていた。東南アジア、とくにフィリピンのことが言及されていなかったからである。「本書の射程は日本人の環太平洋での越境現象全般」と書かれていながら、「東進」と「北進」の繋がりはわかっても、「南進」との関係はわからない。とくにアメリカ合衆国の植民地であり、戦前3万人の日本人が暮らし、そのうちの2万人が家族とともに入植地ダバオに居を構えていたフィリピンが書かれていないことで、すぐに読む必要性を感じなかった。アメリカと日本の「間帝国」の歴史的文脈のなかのフィリピンはみえず、アメリカ本土を中心とした「語り」だと思っていた。
本書の目的は、序章「日本帝国の入植者植民地主義と環太平洋移動」にちりばめられている。たとえば、先行研究にたいしては、つぎのような疑問を抱いている。「本書は、日本の「海外発展」の旗印の下、太平洋を縦横無尽に越境した人々の忘れられた歴史を明らかにする。日米両帝国の植民地空間を横断し生き抜いてきた彼らの背景や経験は特筆すべきものであり、既存の日本帝国史研究や日系アメリカ人史研究が前提としてきた枠組みや解釈全体に疑問を投げかけるものである」。
さらに具体的に、つぎのように述べている。「本書の射程は日本人の環太平洋での越境現象全般であり、その意味で、移民・植民者のアイデンティティや主体性のみを課題としているのではない。それ以外にも、植民地主義の理念や教訓、農業関係の専門知識、科学技術、労働者の管理方法、そして投資資本なども含めた諸々の、アメリカ日系社会と日本帝国の間における移動や循環のプロセスを精査することも、本書の重要な目的になっている」。
本書は、序章、4部、各部2章全8章、エピローグ、日本語版へのあとがき、訳者解説、などからなる。序章の最後の節「日本型入植者植民地主義の多様性と歴史的変遷」では、各部がつぎのように要約されている。第Ⅰ部「太平洋地域進出の展望 一八八四-一九〇七年」は、「一八八〇年代半ばから二〇世紀初頭にかけて、カリフォルニアとハワイにおける日系社会の形成に寄与した移民先駆者に焦点をあて、日本型入植者植民地主義の複雑な原点とその軌跡を辿る」。
第Ⅱ部「海外発展の最盛期 一九〇八-二八年」では、「一九〇八年から二八年の間の日本の入植者植民地主義の歴史的展開に焦点を置き、海外各地における移植民事業での官民の区別がいかに曖昧となり融合していったかを検証し、そこに現れた多層的なプロセスをひもとく」。
第Ⅲ部「入植者植民地主義の先兵 一九二四-四五年」は、「日本帝国の入植者植民地主義において、アメリカ日系一世の地位を国策植民開拓のロールモデルにまで向上させた、環太平洋・間帝国の再移民現象についてみていくこととする。日本帝国が一般農民を国内農村部から植民地各地へ移住させようと尽力していた時、アメリカからの再移民や在米の起業家たちは、日本統治下の東アジアや南洋群島における入植者植民地建設において、政府や独占資本に対して必要不可欠な支援をもたらした。彼らが独占していたアメリカ式科学農業の実体験や知識は、植民地官僚や資本家に高く評価された」。
第Ⅳ部「正史と未来の創造 一九三二-四五年」は、「日本帝国が一九三一年に満洲を軍事的に占領した後、越境的入植者帝国を建設するために用いたさまざまな政治イデオロギー的取り組みについて掘り下げて考察する。これらの公的取り組みにおいて、日系アメリカ人一世とアメリカ生まれの二世は、日本民族および国家の膨張主義的な過去、現在、未来の、実質的かつ比喩的な象徴としての重要な役割を担った」。
そして、序章をつぎのように締め括っている。「無数のフロンティア越境者たちの記憶、そしてアメリカ日系社会と戦前の膨張する日本帝国が紡いだ複雑で深いつながりは、既存の研究書や歴史的叙述にはほとんどみることができない。もしあるとしたら、新世界のフロンティアにおける日本人移民社会の先駆者が、それぞれの移民先の国民国家史のなかで、「アメリカ人」、「カナダ人」、「ブラジル人」などのエスニック・グループの第一世代として記憶されているだけである。本書は、日本帝国の入植者植民地主義とそれに付随する抑圧的支配構造に対する日本人越境者の迎合と共犯性を描きだすとともに、彼らの埋もれた記憶、失われた語り、複雑なアイデンティティを掘り起こすものである」。
著者、東栄一郎は、本書で明らかにしたことで真っ先に述べたかったことを、エピローグ「日本型入植者植民地主義のゆくえ」の冒頭で、つぎのようにまとめている。「本書は、太平洋戦争以前に日本帝国が国内外において入植者植民地主義を展開するにあたりアメリカ日系社会が果たした、これまで知られてこなかった役割について明らかにした。この複雑な歴史的過程を描くに際して、本書では間帝国という分析枠組みを使用した。それは、白人支配による北米・太平洋地域の形成を目指したアメリカ帝国主義と、民族主義にもとづいたフロンティア開拓を通じて帝国の拡大を目指した日本による適応型入植者植民地主義に焦点をあてた枠組みである。また間帝国的分析は、アメリカ日系社会と日本帝国がいかに植民地主義を媒介につながっていたかを批判的に検討することを可能にしただけではなく、アメリカの白人入植者社会における人種的マイノリティであると同時に、日本帝国における支配者でもあった日本人の立場的相違も明らかにした。アメリカ在住の日本人移民や同国からの再移民は、太平洋を挟んだ両帝国において対照的な立場で日々の生活を送り、そして異なった人種支配空間を移動した。だが彼らの間帝国的移動は、アメリカでの植民地開拓農業を通じて、フロンティア征服者や文明建設者としての実体験や専門知識を携えて日本帝国へ戻るという意味を有してもいた」。そして、「エピローグ」では、戦後のアメリカ日系人社会やブラジルなど南米移民へとつながっていく「帝国日本の入植者植民地主義」が語られている。
だが、著者が、もっとも語りたかったことは、アメリカの学界や歴史観にたいしての異議申し立てであったのだろう。「日本語版へのあとがき」では、「常識」への挑戦であったことを、つぎのように述べている。「本書が対峙した「常識」には、前述のように歴史分野と空間の分断(アジアとアメリカ、西太平洋と東太平洋)や研究方法(移民対植民)などがあるが、もう一つ問題としたものに歴史解釈や語りにおける常識があった。それは、移民たちが日本帝国を物理的に離れた後には、日本帝国主義やその根幹を成した入植者植民地主義の形成や展開には関与せず、「日系アメリカ人」や「日系ブラジル人」として他国の多文化社会の一員となったとする歴史的語りである。このようなナラティブは現在のアメリカ国民史の文脈で、「白人至上主義と闘い、民主主義を発展させた立派なアメリカ人としての日系人」を称える進歩主義的言説にも内在し、さらに人種差別を克服し続け発展する「多文化主義国家アメリカ」という公民権運動以後の「合衆国」ナショナリズムを支えている。本書は在米・在ブラジル移民たちが東アジアの日本帝国主義の歴史に深く関与し、その共犯者的立場にいたことを間帝国の視点から解明しながら、さらにアメリカ多文化主義の起源となったその帝国性と、既存の日系アメリカ人史の語りがもつ独善的ナショナリズムにも疑問を呈するものでもある。もし本書が読者にとって、歴史学者や学術界が作り上げてきた「日本史とはこういうもの」もしくは「アメリカ史とはこういうもの」という常識自体を問い直すきっかけとなったならば、筆者がこの本をまとめた意味があったと考える次第である」。
本書が「常識」を問い直すきっかけになることは間違いがない。そのためにも、戦前の日本帝国が、戦後「帝国」(経済大国)日本として「大東亜共栄圏」に再登場することも、射程を環太平洋におくなら考える必要があるだろう。なぜ、「南進」とくにアメリカ、日本との関係が深いフィリピンが考察の対象にならないのか、訊いてみたい気がする。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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