ルイ・アレン著、笠井亮平監訳・解説、長尾睦也・寺村誠一訳『日本軍が銃をおいた日-太平洋戦争の終焉』早川書房、2022年8月15日、428頁、4000円+税、ISBN978-4-15-210156-3

 ものごとの終わりは、それまでの総決算であり、これからの出発である。終焉を検証することは、未来にとって大切である。にもかかわらず、「太平洋戦争」の物語りは1945年8月15日をもって終わることが多い(第二次世界大戦の終結日は日本が降伏文書に調印した9月2日)。本書が重要なのは、8月15日から数ヶ月の歩みを追っていること、著者自身がその場に立ち会っていたことである。本書は、1976年に原著と訳書がほぼ同時に出版されたものを、改訂・再編集したものである。

 本書の内容は、表紙折り返しに、つぎのようにまとめられている。「1945年8月15日、日本は無条件降伏を受諾し、太平洋戦争は終わった。だが海外各地の数百万の日本軍兵士にとって、それは新たな戦いの始まりだった。錯綜する和平交渉に出口はあるのか。アウンサン、スカルノ、ホー・チ・ミンら民族独立運動の闘士たちといかに切り結ぶべきか。帰還か残留継戦か、決断の刻が迫る-。バンコクで終戦を迎えた後、仏僧に化け潜伏生活に入った参謀・辻政信、「F機関」を率いてインド国民軍創設の立役者となった藤原岩市、満州国で皇帝溥儀の御用掛を務めた吉岡安直など、個性豊かな軍人たちを活写しながら、現代アジアを形成した歴史転換期を克明に描き出す。当時、イギリス軍の語学将校として降伏交渉に身をもってあたった日本研究の第一人者が、数多くのインタビューと日、英、米、仏の膨大な資料を駆使して書きあげた畢生の書」。

 著者は、日本が降伏した前後を扱った意図について、つぎのように「序」で述べている。「この降伏の期間については、そこへいたるまでの外交上の駆け引きや、原爆投下や、阿南陸相の自決や、皇居での反逆等々に関して数えきれないほどの書物が著わされている。私が本書において意図したものはそれとは違う。私は、降伏が外地の日本軍に与えた衝撃を示そうと試みた。その決定は巨大な、だが短命に終わった帝国でいかに受けとめられたか、それは日本人自身にどのような悲劇をもたらしたか、それは戻ってきた連合軍にどのような問題を提起したか、解放が身近に迫るにつれて連合軍の戦争捕虜の心にどのような恐怖が湧いてきたか、そしてわけても、その余波としてそれはいかなる政治的変化を招いたか、である。なぜならば、現代アジアの地図は、日本が降伏した一九四五年八月から一〇月にかけての数カ月間に由来しているからである」。

  いっぽう、著者は、日本側だけでなく、戦争に巻きこまれた現地側の見方も描こうとし、つぎのように述べている。「私は、日本が征服した、あるいは解放した-どちらの動詞を採るかは各自の見解にまかせるが-国々、もしくは日本に協力するよう強いられた国々がいかにして日本とのつながりから脱皮して自らの独立という重荷を引きうけていったかを、ここに示そうと試みたのである」。

 さらに具体的に、著者はつぎのように述べて、「序」を結んでいる。「私は一九四六年サイゴンにおいて、フランス、イギリス、ベトナムの三者の間でもたれた錯綜した交渉の現場に立ち会った。バンコクでは、ある日本人の大佐が仏僧に変装して仏教寺院に隠れているという幻想的としか言いようのない噂を耳にした。だが、その噂は、タイを扱った章から分かるとおり、冷厳なる事実であった。私はまたビルマの新しい政治指導者層が戻ってきた英軍とうまく折り合いをつけてやっていくという企図をもってそれに着手するのを見た。またスバース・チャンドラ・ボースのインド国民軍の流れの分岐を探り、インドの軍部および政治に対するその影響を測ることもできた。私がただ単に一冊の政治史を著わすにとどまらず、個別の物語を通して、大きな歴史的転換期にあたる一時期にまつわる興奮を伝えたいと願った理由はそこにある。私の試みは、決定を下した、あるいはその決定ゆえに苦しみ悩んだ日本人の眼を通して、同時にアジアの新しい指導者たちの-日本による〝新秩序〟の灰の上に自らの夢をうちたてた人たちの-眼を通して、新しいアジアの姿を鮮明に示すことにあった」。

 本書は、謝辞、序、2部全8章、エピローグ、訳者あとがき、監訳者解説、原注などからなる。第一部「東南アジアにおける日本の降伏」は、「ビルマ」、「タイ(シャム)」、「インドネシアの誕生」、「仏印」、「スバース・チャンドラ・ボースとインド国民軍」の5章からなる。第二部「ソ連、中国に対する日本の降伏」は、「朝鮮」、「満州」、「中国」の3章からなる。

 「エピローグ」で、著者は尾を引く余波を語った後、つぎのように本書をまとめて閉じている。「結局、アジアに築いた日本の帝国は史上最も短命なもの-三年半-にとどまった。にもかかわらず、その衝撃は非常に大きかった。日本征服の直接の結果として、また日本がいなくなったあとの配列において、アジアの歴史の型は、再び元に戻せないような決定的な変化をとげた。満州で、日本軍から奪った武器は、毛沢東軍を太らせ、彼にまず満州を、つぎに全中国を奪取することを可能にした。連合国の一六度線におけるベトナムの、三八度線における朝鮮半島の一時的分割は、予見しうる将来に消失のきざしを見せない政治的現実へと固まった。遅くはなったが、ビルマ、ベトナム、インドシナには独立の果実が与えられた。ビルマの戦時の首相バー・モウは、日本がその軍国主義者と彼らの人種的幻想によって裏切られたことについて述べ、もし日本が開戦当時宣言したアジア人のためのアジアの政策に最後まで忠実であったならば、アジアの半分の信頼と感謝を失うことはなかったであろう、と述べている。一九四二年と一九四五年の間の、日本の国民としての過ちがいかようであれ、歴史はこの信頼と感謝を回復するであろう。長期的な見通しとして、ヨーロッパ人にとってこれを認めることがむずかしく、苦々しいことでさえあろうが、アジア数百万の民族をその植民地の過去から解放したことは、日本の永続的な業績である」。

 監訳者の笠井亮平は、「解説」で、つぎのように本書を評価している。「もちろん、各地で事情は大きく異なる。終戦直後の状況を、現地側から見るか、日本軍側から見るか、あるいは旧宗主国側から見るかで、捉え方も当然違ってくる。それぞれの地域の実態を各勢力の視点を踏まえながら詳述しつつ、一冊の書物にまとめることで俯瞰することは、容易ではない。その大仕事が結実したのが、本書『日本軍が銃をおいた日』である」。

 1976年に出版された本書を復刊する意味はどこにあるのか。著者自身が「その場に居合わせた」ことから、本書で描かれたことは、ほんの氷山の一角にすぎないことがわかる。いくら残された資料を精読し、関係者にインタビューしてもわからない微妙な「現場」が、本書の背景にある。しかも、客観的に描いている。シリーズ「人間と戦争」にふさわしい1冊といえる。              


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。