アナ・チン著、赤嶺淳訳『マツタケ 不確定な時代を生きる術』みすず書房、2019年9月17日、441+xxiv頁、4500円+税、ISBN978-4-622-08831-8

 本書の訳者あとがき「マツタケにきく」は、「不思議な本だ。」ではじまる。つづけて行を変えて、つぎのように書かれている。「戦争の記憶に憑かれた人生や森林伐採、気候変動など、決してハッピーエンドな物語が綴られているわけではない。それにもかかわらず、ほんわかとした読後感に浸れるのは何故だろう」。

 著者略歴をみると、文化人類学科教授で、「フェミニズム研究と環境人類学を先導する世界的権威。おもにインドネシア共和国・南カリマンタン州でフィールドワークをおこない、森林伐採問題の社会経済的背景の重層性をローカルかつグローバルな文脈からあきらかにしてきた」とある。文化人類学科の教授であって、文化人類学の教授ではない。その「不思議」さは、文化人類学を超えたところにありそうだ。

 本書の概略は、裏表紙につぎのようにまとめられている。「「本書は、20世紀的な安定についての見通しのもとに近代化と進歩を語ろうとする夢を批判するものではない。…そうではなく、拠りどころを持たずに生きるという想像力に富んだ挑戦に取りくんでみたい。…もし、わたしたちがそうした菌としてのマツタケの魅力に心を開くならば、マツタケはわたしたちの好奇心をくすぐってくれるはずだ。その好奇心とは、不安定な時代を、ともに生き残ろうとするとき、最初に必要とされるものである」」。

 「マツタケをアクターとして、人間と人間以外のものの関係性、種間の絡まりあいをつぶさに論じ、数々の賞に輝いたマルチスピーシーズ民族誌の成果を、ここにおくる」。

 「日本(京都・中部地方)・アメリカ(オレゴン州)・中国(雲南地方)などの共同研究者とのフィールドワークを通して、マツタケの発生から採取、売買・貿易、日本人の食に供されるまでの過程に、著者は多くを観察し、学んでゆく。森林伐採、景観破壊、戦争による東南アジア難民、里山再生、コモディティ・チェーンとサルベージを通じた蓄積など、資本主義がもたらした瓦解からいかに非資本主義的様式が生まれ、両者が絡みあいながら、人間と人間以外のものが種を超えて共生しつつ世界を制作しているのか、コモンズの可能性や学問研究のあり方までを射程に入れ、人間中心主義を相対化した、鮮やかな人類学の書であり、今後の人文・社会科学のひとつの方向性をしるす書である」。

 「「進歩という概念にかわって目を向けるべきは、マツタケ狩りではなかろうか」」。

 「プロローグ」は、つぎのパラグラフで締め括っている。「不安定と過酷な状況に生きることに立ちかえろう。日本の美学と生態史だけではなく、国際関係と資本主義によって、生活は、より波瀾万丈になっているかのようだ。これが本書の内容である。さしあたっては、マツタケを味わうことが重要だ」。

 本書は、「はじめに」にあたる「絡まりあう」、プロローグ「秋の香」、4部全20章、「おわりに」あるいは「エピローグ」にあたる「胞子のゆくえ-マツタケのさらなる冒険」、さらに「マツタケにきく-訳者あとがき」、「本書で引用された文献の日本語版と日本語文献」、「索引」などからなる。第1-3部の最後には「幕間」がある。

 本書は、論理的に構成されていない。その理由を、著者はつぎのように説明している。「本書では、あるキノコを追いながら、そうした物語を提供していきたい。ほかの学術書と異なって以下につづくのは、さまざまなタイプの短い章である。それらの章には、雨後に一気に発生するキノコのようでいてもらいたいものだ。それぞれの章は論理的に構成されているわけではなく、特定の結論を目指さないアッセンブリッジ〔寄りあつまり〕になっていて、章を超えて、たくさんのことを示してくれる。各章は、たがいに関係しあいつつも、ときとして話の腰を折ったりもする。それは、まるでわたしが叙述しようとする、不均質な世界の様子を真似ているかのようだ。そこにもう一本の糸をくわえてみよう。写真はテキストに沿った物語を写しだすことはできるが、直接的にはなにも説明することはない。画像は、わたし自身が言及する光景そのものではなく、議論の気風を提示するためにもちいている」。

 そして、つぎのように調査と研究の過程を述べている。「本書は二〇〇四年から二〇一一年のマツタケのシーズンにアメリカ合衆国、日本、カナダ、中国、フィンランドでおこなったフィールドワークと、科学者、森林関係者、マツタケ業者へのインタビューにもとづいている。インタビューは、デンマークとスウェーデン、トルコでも実施した。わたし自身のマツタケをめぐる歩みは、まだ終わりそうもない。いずれはモロッコや韓国、ブータンにも足をのばさねばならない。以下の章においては、読者のみなさんにも、幾分かの「マツタケ熱」を味わってもらいたい」。

 本書は、「マツタケ世界研究会」の成果である。「マツタケ研究は学問分野を超えるだけでなく、異なる言語、歴史、生態、文化伝統によって形成される社会へといざなってくれる」。また、「本を出版するには、ほかにもたくさんの種類の協働が必要となる」。「知識が狭い範囲で深まり、さらに大きな範囲に広がったことで、得たものがあった」。

 本書に具体的な結論はない。それぞれの読者が、著者のメッセージから自分自身に響くものを「結論」として受けとめればいいだろう。たとえば、第四部「20 結末に抗って-旅すがらに出会った人びと」には、つぎの一説がある。「この本のほとんどを生きている存在に費やしたが、死んだものについて記憶にとどめておくことも有益であろう。死したものもまた、社会生活の一部だからである」。「生きているものと死んだものと、その両方から、マツタケにとっての「よき隣人」を探求するようになった。炭は生きている樹木や菌、土壌微生物と結びついている。いかに隣人-つまり生命力と種の差異をまたがる社会関係-が、よく生きることに必要となるか」。

 そして、エピローグにあたる最後で、つぎのようなことも述べている。「森は繰り返し遷移しつづける宝で、わたしたちを魅了する。マツタケがひとつあったら、その周辺には、もっとたくさんあるかもしれない。本書は、マツタケ山への一連の登山の先鞭をつけるものだ。中国で取引を追跡したり、日本でコスモポリタン科学を追ってみたりと、やるべきことは、まだまだ残されている。シリーズとしてさらなる探検をつづけていきたい」。

 2015年にプリンストン大学出版会から『世界の果てのマツタケ-資本主義に破壊された場における生の可能性』という原題で出版されたこの本を、英語で読むことはなかっただろう。読みはじめてもどう読んでいいのかわからず、つづけて読むのを諦めただろう。本書は、日本語に翻訳されたから読んだ本で、著者の意図したことから学ぶことができたのは、著者と協働できる訳者のお蔭である。英語ができるだけの翻訳家では伝えられない著者の意図が、この翻訳書では読者に届いたことだろう。訳者に感謝したい。

 キノコ狩りのたびに漆にひどくかぶれた苦い経験のあるわたしは、ハイキング中にコース脇でマツタケを見つける才をもっていた。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。