シドハース・カーラ著、山岡万里子訳『性的人身取引-現代奴隷制というビジネスの内側』明石書店、2022年2月20日、421頁、4000円+税、ISBN978-4-7503-5344-9

 「訳者あとがき」は、つぎの1行ではじまる。「最初に断っておきます。本書を読むには心の準備が必要です」。1行空けて、その理由をつぎのように説明している。「「性的人身取引」とはちょっと耳慣れない言葉かもしれませんが、要するに、性産業(日本で言えば「性風俗産業」)で性を搾取するために、主に女性・少女が売買され支配されることです。本書で繰り返し語られる性的人身取引の暴力性は目を覆うばかりであり、被害者の悲惨な境遇に心を痛めない読者はいないでしょう。渾身込めて翻訳し、本来お勧めしたいはずの自分の訳書でも、今回ばかりは、読者に辛い思いをさせてしまうかもしれない、と先に謝らなければなりません」。

 著者のシドハース・カーラは、「米国テネシー州出身のインド系アメリカ人。大学卒業後ニューヨークで投資銀行家としてのキャリアを積んだが、学生時代に知った人身取引問題への関心を持ち続け、金融・経済の視点を取り入れて解決を目指すことを決意。世界50ヵ国以上を訪ねて何千人もの当事者の話を聞き、現代奴隷制の実態を世に訴える三部作」を著した。

 著者は、「最初は、性的人身取引産業に斬り込んでいく私の旅を、系統立てて書き記すつもりだったが、胸にはより大きな意図が芽生えていた。人生を一変させたこの旅を、詳細に語りたくなったのだ。性的人身取引をはじめ、あらゆる形態の現代奴隷制の根絶を目指す、世界的な取り組みへの貢献という新たな使命を、私にもたらしてくれたこの旅を-」。

 この旅は、2000年の夏にはじまった。「会社勤めで貯めた資金を使い三度にわたり旅に出て、売春宿、シェルター、町々、国境地帯、村々を訪ねてインド、ネパール、ビルマ、タイ、ベトナム、イタリア、モルドヴァ、アルバニア、オランダ、イギリス、メキシコ、アメリカを渡り歩いた」。「売春宿やシェルターで、性的人身取引の被害者150人以上にインタビューを行った。さらに被害者の家族、買春男性、シェルターやNGOの職員、人身取引専門の警察官や弁護士、売春宿の経営者1人、人身取引業者1人を含む、120人からも聞き取りを行った。売春宿、マッサージ店、セックスクラブを訪れて、性産業がどう機能しているかをこの目で確かめた。被害者が搾取されるに至った状況を理解するために、彼らの出身地の村や町を訪れた」。

 著者は、インタビューするにあたって、2つの基本ルールを自分に課した。「まず、決して相手を傷つけないこと。私に打ち明けることでかえって苦しむような話は強制せず誘導もしない。シェルターでは、答えてほしい質問リストを作っていくことはせず、面談はすべて対話になるよう心がけた。本人が話したいことを話してほしいと頼んだ。その結果、多くの被害者が胸中を素直にさらけ出し、長時間にわたって詳しく話してくれることになった。第二のルールは、性売買施設を訪れる際、相手から助けを求められたときのために、近隣のシェルターや保健医療施設の情報を持っていくこと。だがほとんどの場合、求められないかぎりはこちらから情報提供はしなかった。多くの性奴隷は自分を奴隷とは自覚しておらず、それを否定する言葉をほのめかせば相手を苦しめるだけだからだ。それでもときには、いつか誰かの役に立つかもしれないと願い、そうした情報を置いてくることもあった」。

 そして、「世界中の売春宿やシェルターの内外を訪ねる調査旅行に三度赴いた」著者の結論は、「性的人身取引とは、人道に対する悪質極まりない犯罪だということだ。女性の人生を卑劣かつ非情に破壊し、そのことによって莫大な収益をもたらすものだ」ということだった。

 著者は、最初「より多くの読者を惹きつける」ために、「全編旅行記風に綴り、合間に現代の性的人身取引がいかに機能しているかという概説を織り込んだ」ものを書こうとしたが、挫折した。その理由は、「性的人身取引産業の始まりや、世界各地でどう運営され、どうすれば根絶できるのかといった、もっと重要かつ喫緊の課題をより正確に描き出すには」、ふさわしくないと思ったからだ。

 この目的に沿うため、著者は第1章「性的人身取引-概要」では、「まず現代の性的人身取引産業の主要な側面を分析的に解説し、いかに根絶するかという議論を最後に述べることにした。そして最終章はこの議論をフルに展開した」。

 「その概要は以下のようになる。世界的な性的人身取引産業を根絶する最も効果的な方法とは、この産業の巨大な収益性に打撃を与えることによって、奴隷所有者や消費者による性奴隷への需要の総量を減らすことだ。また、政府、非営利団体、主要国際機関、そして、市民ひとりひとりが一丸となった、奴隷解放運動に新たな世界ブランドを提唱する。その枠組みによって、性的人身取引というビジネスを解体させるべく、大鉈を振るって外科手術を行うのだ。本書は行動への呼びかけであり、その原動力は、私が目撃したあまりに悲惨な苦しみだ。それはエピソード中心の中盤章で、トーンを抑えずに語られることになる。読者の皆さんにお約束したい。第1章の基礎的な分析を読み終えたら、それ以降の、世界の性的人身取引産業を巡る国境を越えた旅に出発するためのより良い準備ができるだろう。道すがら、おびただしい数の奴隷と出会うことになる。と同時に、幾人もの勇敢な人々が、性的人身取引の廃絶と被害者の支援のために尽くしている姿に出会うことだろうこの本が、彼らに加わりサポートする、さらに大きな力を突き動かすことを願っている」。

 本書は、はじめに、謝辞、全8章、訳者あとがき、「膨大な量の図表付録」などからなる。中盤章2-7章、「インドとネパール」「イタリアと西欧」「モルドヴァと旧ソ連諸国」「アルバニアとバルカン」「タイとメコン河流域地帯」「アメリカ合衆国」は、エピソード中心になる。

 そして、最終章となる第8章「奴隷制廃止に向けての枠組み-リスクと需要」では、まず本書冒頭で著者があげた「性的人身取引撲滅への取り組みがまだ不十分である」つぎの4つの理由を確認する。「性的人身取引がまだよく理解されていないこと。性的人身取引の撲滅に取り組む組織が資金不足であり、国際的に協調できていないこと。性的人身取引を取り締まる法律が絶望的なまでに貧弱で、かつ執行がお粗末であること。そして、この分野の研究や報告は多々あるものの、戦略的介入地点を突き止めるための系統立った商業的・経済的分析がいまだなされていないこと、だ。そして、性的人身取引産業の商業的分析により弱点が炙り出され、その弱点は需要の市場原理に関係あるのだと述べた」。

 「この産業に対する最良の短期戦略は、消費者および奴隷所有者の需要の総量を減らすような戦略だ。需要の総量を減らす最も効果的な方法とは、リスクと報酬の経済を逆転させて産業の膨大な収益性を叩くこと、すなわち、性奴隷を使うリスクを今よりはるかに高コストにすることだ。性的人身取引やその他の形態の現代奴隷制を長期的に根絶するには、これらの犯罪が増大したそもそもの原因-貧困および経済グローバル化の破壊的な不均衡性-に対しても、同時に取り組まなければならない」。

 さらに、著者は「その目的を果たすためにはいくつかの方法が考えられる」といい、「その方法を最大限生かすためにも、分析と議論が必要だ」として、以下、「巻末に収められた膨大な量の図表付録」をもとに、「経済学的考察を踏まえて、より実践的な解決策を提示している」。

 そして、つぎのようにまとめている。「ここで述べた理論的分析が、そっくりそのまま実現するだろうなどと言うつもりは毛頭無いし、ここで提示した戦術こそが、性奴隷制のリスクと報酬を逆転させると考えているわけでもない。しかし、たとえ達成できた効果が期待の半分程度にとどまり、しかもそれが上記とは全く違う戦術を取った結果であったとしても、性奴隷産業はこれまでよりはるかに利益率が低くなり、奴隷所有者、顧客双方から需要はかなり減るだろう。このような理由から私は、性的人身取引産業をビジネスとして考える戦術は、性奴隷事業という経済主体の弱点を攻撃することで、この社会の病魔を撲滅する最大の可能性を持つはずだと信じている。非常に弾力性の強いこの需要の市場原理は、性産業の中でも最も攻撃に弱い側面だ。充分な結束力と専門知識と影響力を持つ世界規模の連合だけが、世界の国々に、効果的な手段を取るようプレッシャーをかけることができる」。

 これだけわかっていて、原書が2009年に出版されてから10年以上がたっているのに、改善されるどころか、20年からの新型コロナウィルスの影響もあって悪化しているようにもみえる。グローバル化のなかで、どこかに弱い立場の人がいると、それにつけいるように悪事をたくらむ者が、世界のどこかにいる。著者が長期戦を覚悟しているように、長短それぞれの戦術が必要で、被害者だけでなく加害者の立場に立った戦術も必要になる。地道にやっていくしかない。

                              
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