大久保由理『「大東亜共栄圏」における南方国策移民-「南方雄飛」のゆくえ』晃洋書房、2023年2月28日、204+13頁、4600円+税、ISBN978-4-7710-3720-5

 本書によって、日本の「南進論」が日本側の視点でより具体的に語れるようになった。満洲研究と違い、これまでの「南進」研究はおもに日本人東南アジア研究者が日本人を受け入れた側の視点から現地への影響などを考慮に入れて考察し、送出側の視点はその背景にすぎなかった。

 本書の課題は、序章「「南方国策移民」という問い」で、つぎのように示されている。「国策として養成され、南方へと送り出された移民のことを、「南方国策移民」と名づける。この南方国策移民の視角から「大東亜共栄圏」建設に主体的に関与していく民衆の実相を再構成し、分析すること」である。著者、大久保由理が「南方国策移民」と名づけたのは、「同時期に拓務省で実施していた満州移民を「満州国策移民」と呼んだことに由来」する。

 つづけて、つぎのように説明している。「このような「南方開拓」のための人材を養成する機関は、後述するように、一九三〇年代後半から四〇年代にかけて、外務省(大鵬寮)や南洋協会(南洋学院)、海軍退役軍人(興南学院南方語学校)などの経営で、官民を問わず数多く設立されている。本書では、なかでも拓務省による人材養成機関に着目する。なぜなら拓務省は、国策として展開された満州移民政策の実務を担った省庁であり、南方移民政策は満州移民政策と並行して対比的に実施され、南方移民は政府によって送出されたからである。したがって拓務省管轄下にあった「拓南塾」と「拓南錬成所」という二つの人材養成機関を取り上げ、その卒業生らを「南方国策移民」として分析する」。

 「拓南塾は企業社員、拓南錬成所は農業技術者と、その階層によって役割が異なるものの、政府は彼らを自らの経済的事情で移動する移民ではなく、国家的目的をもって移住する「拓士」あるいは「開拓士」と呼んだ。政府は南方国策移民を拓士として養成するために、授業料その他を官費として経済的負担を軽減することで、成績優秀だが財政上その他の理由から上位の学校への進学が難しいセミ・エリート層に照準を当てた。渡航前に当時最先端の南方事情や熱帯衛生学、マレー語などの実践的教育および思想教育を行ったあと、卒業後に南方の日本企業への就職を約束した」。

 さらに、本研究の今日的意味を、つぎのように述べている。「南方国策移民は、植民地支配が正統性を失った時代において、欧米列強の植民地であったその地に対して、領土的ではなく経済的な利益を得ることを重視した、まさに「植民地なき帝国主義」の戦略の一つだった。また、南方国策移民は戦後においても形をかえて東南アジアへ「進出」しており、人的に継続が見られる。拓南塾の卒業生のなかには、戦後の早い段階で国際協力事業団の職員として、あるいは社員として、東南アジアに「復帰」したものもいた。この経済戦略の一環としての、海外事情に通じた実践的人材養成の理念は、「国際人」養成あるいは「グローバル人材」養成と名を変えて、今日にまで続いているともいえる。その意味でも、南方国策移民研究はその批判的な継承に貢献するだろう」。

 本書は、序章、2部全5章、補論、終章、あとがきなどからなる。第Ⅰ部「南方国策移民政策とその教育」は3章からなり、第一章「拓務省の南進」にて「拓務省の南進政策とその人材訓練の方針、拓務省や大東亜省の側からみた拓南塾、拓南錬成所という二つの人材養成機関とその組織変遷について、政策、制度面から再構成する」。第二章「拓南塾-企業社員の養成」では「拓南塾の設立から興南錬成院、大東亜錬成院へと統合されていく過程を」、第三章「拓南錬成所-農業技術者の養成」では「拓南錬成所について設立から廃止までを、訓練生らの志望動機にも着目しながら再構成する」。

 2章と補論からなる第Ⅱ部「南方国策移民の活動」では、「拓南塾一期生による、拓南塾時代から派遣先のフィリピンにいたるまでの約三年分の日記・日誌を使い、一期生の目から、南方国策移民が養成されるまでと、卒業後の南方経験の内実を探る」。第四章「南方国策移民になる-ある拓南塾生の「錬成」経験」では、拓南塾時代の訓練教育や日常生活を通して南方国策移民が形成されていく過程を」、第五章「南方国策移民の南方経験-日本占領下のフィリピン」では、「派遣された倉敷紡績株式会社「比島営業所」での、フィリピンでの活動に焦点を当て、南方国策移民としての「大東亜共栄圏」建設の実相を再構成する」。そして、補論「断絶する日本占領下の記憶-グアム・チャモロの人びとと旧日本軍」として、「拓南錬成所卒業生の主要派遣先の一つであったグアムを取り上げ、彼ら南方国策移民が現地の歴史書にはどのように描かれ、どのように記憶されているのかについて分析した論文を組み込ん」でいる。

 終章「「南方雄飛」のゆくえ」では、まず改めて課題をつぎの3つにまとめている。「この南方移民政策を、ドウスの理論である「植民地なき帝国主義」の経済戦略として解釈し、(1)その政策がいかに計画実行されたのか、(2)政策の軸であった人材養成機関である拓南塾と拓南錬成所の内実とはどのようなものか、(3)一〇代後半の青年たちが、どのような過程で「南方国策移民」となり、送出された地域で、どのような現実を生きたかについて再構成することであった」。

 つぎに「本書の論点をこの政策・教育・活動という三つの面から整理する」。「第一に政策面について、第一章で論じた拓務省の南方移民政策は、一九三五年に海軍内に設置された対南洋方策研究委員会(以下対南研)の研究を引き継ぐものであった」。「宗主国への刺激をできる限りさけた経済進出策、そのために軍は表にでずに拓務省や国策会社に「内面的支援」をさせる、という発想は、やはり植民地を正統化できない時代に勢力を拡大させる方法として構想された」。

 「第二に教育面について拓南塾と拓南錬成所を整理する。第二章で検討した拓南塾は、日中戦争のさなかに陸海軍と拓務省で検討し、授業料や諸経費が国庫負担という予算面から考えても、政府が力を入れた本格的な人材養成機関だった」。「占領地行政のための現地事情に通じた人材を養成するという方針は、戦争が長期化するにつれてむしろ強化されていった」。「第三章でみた拓南錬成所については」、「満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所の補導経験者を中心に訓練が行われていた」。「計画の実効性がやや疑わしい、急進的な南進団体であった」。

 「第三に南方国策移民の活動について第五章を中心に整理する」。フィリピンへ送出された一期生の伊藤敏夫は、「頻発するゲリラの襲撃をも恐れず「指導者」精神の発揮を試みたが、なぜゲリラが襲撃するのか、その理由について問いを立てることは困難であった」。一方、「「大東亜共栄圏」の「指導者」としてふさわしいとはとうてい思えないという現実を見ることで、こころのなかの「日本」が揺らぎ、「日本」を批判する視点は持ち得た。教えられてきた、あるべき日本人、あるべき指導者としての姿とはほど遠い「日本人」の姿に幻滅し」た。

 そして、終章をつぎのパラグラフで締め括っている。「このように、「南方国策移民」は中等学校卒業程度の拓南塾と、農学校卒業程度の拓南錬成所という、二つの社会階層にわけて整理したことによって、東南アジアとミクロネシアを軸としてみた「大東亜共栄圏」の空間を、階層的広がりと植民地間の横の連関で捉える手がかりが得られた。ナショナルヒストリーに取り込まれない歴史像を描くには、「国家史」や「国民史」ではない「社会史」や「民衆史」(この「民衆」は、戦後の国境線によって線引きされた国民という区分けをされない、当時の社会に生きた人びと)、「空間」としての地域史の枠組みが必要であり、そこで「他者」経験の歴史的な共有こそが、今日的な意義を持つということを強調しておきたい」。

 本書によって、1940年代に「「南方雄飛」を目指した個人が、どのように「大東亜共栄圏」建設の一翼を主体的に担ったのか、その内実に迫る」ことが可能になった。だが、扱った時代があまりにも短すぎる。「南進」の前線基地としての台湾の人材育成事業についてはすでに横井香織の研究(『帝国日本のアジア認識-統治下台湾における調査と人材育成』岩田書院、2018年)があり、神戸高等商業学校は第一次世界大戦中から毎年学生を海外に派遣し、1930年代後半には学徒至誠会が日本全国から学生を集めて満洲と南洋に派遣した。その詳細な報告書が出版されており、個々の学生の体験は、個人史料である日誌や書簡などを読み込むための参考になる。今日まで視野を広げるためにも、1940年以前にも目配りする必要があったように思う。


評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
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早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
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早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。