柴田英昭『占領期の性暴力-戦時と平時の連続性から問う』新日本出版社、2022年12月5日、315頁、2200円+税、ISBN978-4-406-06693-8
本書は、著者、柴田英昭が「性暴力における戦時と平時の連続性を、それらの根底にある性的自由権、性的自己決定権、性的人格権に着目し、日本政府が肝入(ママ)[煎]りで設置した占領軍兵士の性的「慰安」を目的とした「特殊慰安施設協会」の設置の経緯や、同施設設置に関わった人々、当時の文人やジャーナリストのエゴ・ドキュメントを通して分析した」成果である。
エゴ・ドキュメントについては、第4章冒頭で、つぎのように説明している。「エゴ・ドキュメントとは一人称で書かれた史料のことで、「自己文書」を意味する。長谷川貴彦によると、その史料の形態としては「書簡・手紙、日記、旅行記、回想録、自叙伝、オーラル・ヒストリー、医療健診記録、警察調書、法廷審問、スクラップブック、写真・アルバム、歌、映画、自画像、さらにいえば、落書きまでも含めて考察の対象」とする。
本書は、序章、全6章、終章からなる。全6章は、前半の3章と後半の3章に分かれる。序章「なぜ占領期の性暴力を議論すべきなのか」は、つぎのパラグラフで終えている。「本書は、占領期の「特殊慰安施設協会」の設立経緯や、その当時の人々の女性観を問う。その理由は、性暴力の戦時と平時の連続性、またその根底にある男性優位のジェンダー秩序の維持という動機をえぐりだすためでもある。以下、第二次世界大戦における日本の敗戦後の占領期、日本政府と占領軍によって占領軍兵士用の売買春事業が実施された経緯を見ていくが、そこでは事実経過とともに、記録に残されたこの事業の関係者、あるいは当時の日本人の女性観、人権観についても随時ふれていくようにしたい。そこにある女性や人権に対するゆがんだとらえ方が、実は今日の社会にも残っていること、それが男性優位のジェンダー、それを土台にした社会秩序に結びついていることを確認するためである。占領当時と今日とでは、もちろん、我が国の人権状況は異なっており、今日では様々な進歩が確認できるが、同時に、日本社会に残る人権理解の遅れを、とくにジェンダー不平等の実態との関係で直視すべきと考えるからである。本書は、この論点においては、占領期の事態を検証することが有益であると確信している」。
前半の3章の関係は、第3章「日本の公娼制度と占領下日本における米軍性政策の展開」の冒頭でつぎのように説明している。「1、2章[第1章「占領期の国策売春施設設置と国や警察の関与」第2章「特殊「慰安」施設の資金調達と各都道府県の動向」]で検討した占領初期の占領軍兵士用「慰安」施設施策は、戦前の日本軍の性政策と米軍の性政策の両面で形成された、いわば日米合作の施策だといえる。また、RAA(特殊慰安施設協会)がオフ・リミッツ(立ち入り禁止)となって以降の日本の性政策においても、米軍の意向が大きく反映されている。この問題は、ややもすると、日本の前近代的家父長制の残滓ゆえの女性差別的政策と見られがちであるが、本章では、占領期以降の日本の性政策に米国の意向が大きく影響しているとをさまざまな資料から読み解きたい」。
後半の3章はエゴ・ドキュメントの分析で、第4章「エゴ・ドキュメント分析1-日本人の日記・回想録から」では、「文人(日本人)の日記や回想録を手がかりに、当時の日本人が占領軍兵士の性暴力をどのように捉えていたのか、また、占領軍「慰安」施設に「慰安婦」として勤めざるを得なかった女性たちや、「慰安」施設がオフ・リミッツ(立ち入り禁止)となった後、街娼(「パンパン」と呼ばれた)となった女性に、人々がどのような視線を向けていたのかを探ることとする」。
第5章「エゴ・ドキュメント2-日本国憲法GHQ草案作成に関わった米国人」では、日本国憲法の「人権条項の起草に関わった」「二人[H・E・ワイルズとベアテ・シロタ]が共に回想録を執筆しているのは偶然ではあるが、GHQ草案、日本国憲法に与えた二人の女性観・性意識を詳らかに」する。
第6章「エゴ・ドキュメント3-占領期日本に滞在した外国人の日記・回想」では、第1節で「占領期に日本に滞在したジャーナリスト、マーク・ゲイン(シカゴ・サン紙東京支局長)とダレル・ベリガン(ニューヨーク・ポスト日本支局長)の日記及び論考を分析」、第2節で「戦後日本の保健医療福祉政策の基礎を構築したと高い評価を得ているGHQ(連合国最高司令官総司令部)のPHW(公衆衛生福祉局)局長クロフォード・サムスのエゴ・ドキュメントを取り上げた。サムスの一般的な評価とは「違う側面」が垣間見られ、特に女性の人権にはきわめて鈍感であったことが、回想録から浮き彫りになった」。
終章「性暴力における戦時と平時の連続性」では、冒頭「本書のテーマは、「占領期の性暴力」がどのように起こったか、背景にはどのような女性や性へのとらえ方(ジェンダー観)があり、何が問題なのかを掘り下げることであった」と述べ、戦中、戦後の連続性をつぎのように結論している。「いわば「一般婦女子の防波堤」のために、売春の心得のある者を占領軍兵士に供したのである。この思考が、第二次世界大戦下、日本の占領軍下にあった朝鮮半島、中国、インドネシア、フィリピン出身者を従軍「慰安婦」に仕立て、兵士の性的「慰安」に当たらせた経験からきたものであったことは、当時警視庁総監であった坂の証言からも理解できる(本書1章)」。
「このイデオロギーは、男性兵士は「慰安婦」すなわち生身の女性によって性的快楽を得て、結果、一般女性への性暴力・性犯罪をとどまるとするものである。しかし、一般女性と、「慰安婦」との二分法は、性差別的であるとともに、女性を分断して支配することを容認するものであり、その結果として、男性中心のジェンダー観でできた社会を維持・拡大することに寄与することにしかならない。また、筆者は、このイデオロギーが、平時においては、一般女性と売春婦に置き換えられ一般化される点に注目している」。
つづけて「日本軍「慰安婦」問題と占領軍「慰安婦」問題の共通性」「戦時と平時-売買春における経済的誘導・社会文化的誘導、社会的強制」を論じた後、「売買春の非犯罪化の流れ」でニュージーランド・モデルと北欧モデルを紹介している。そして、「終章のおわりに」で「性労働において性的自己決定権は行使されているのか」と問いかけ、「性的人格権の確立への視座」の必要性を説いている。
本書を読んで、むなしい気分になった。今日的基準で、敗戦直後の日本の性政策を論じても、実際自分が当事者であったなら、なにが最善であったか述べることができない。「性暴力」に加担した人を責めても、被害者はうかばれない。著者のいう「性的人格権の確立」によって、戦中の日本軍、戦後の占領軍のジェンダー観を変えるしかないということに落ち着くしかないのか。それでも、ニュージーランド・モデルや北欧モデルが示すように、解決にはほど遠いとしかいえない。
さらに、「売春の心得のある者」だけでなく、その「防波堤」で守られるはずであった「一般婦女子」のなかにも「慰安婦」にならざるをえない人がでた。それは、日本軍が占領した中国や東南アジアで「売春の心得のない者」が「慰安婦」にされたように、日本人女性も「尊厳」を無視された。ここにも連続性がある。そして、その影響はかなり長引き、この戦後の状況を見聞きした者のなかには、戦後生まれの自分の娘が外国人と結婚しようとしたときに「パンパンになったのか」と声を荒げた者がいた。
評者、早瀬晋三の最近の著書・編著書
早瀬晋三『電子版 戦前期フィリピン在住日本人関係資料:解説、総目録』(研究資料シリーズ9)早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年3月、234頁。
早瀬晋三『すれ違う歴史認識-戦争で歪められた歴史を糺す試み』人文書院、2022年1月20日、412頁、5800円+税、ISBN978-4-409-51091-9
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~ )全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。
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