太田泰彦『プラナカン-東南アジアを動かす謎の民』日本経済新聞出版社、2018年6月22日、250頁、1800円+税、ISBN978-4-532-17635-8
数年前にシンガポールのプラナカン博物館に行ってみた。日本語ガイドに案内されていくうちに、ここがかつてアジア文明博物館だったことを思い出した。同じ建物が利用されて、2008年にプラナカン博物館として、生まれ変わったのだ。そして、そこには東南アジア文明とよぶにふさわしい、独自の文化・生活が展示してあった。マラッカにも、ババ・ニョニャ・ヘリテージがあり、プラナカンの暮らしぶりがわかる。
本書は、「気高い美意識の謎に満ちた人々」であるプラナカンの物語である。表紙見返しでは、つぎのように要約している。「プラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。彼らは、華僑とも異なる存在で、アジア経済界で隠然とした勢力を持ち、その気高い美意識を誇る氏族の素顔は、いまなお謎に包まれている。彼らは経済をどのように牛耳り、歴代の先人が残したその伝統を、誰が未来に渡すのか、栄華の痕跡を残すマラッカ、ペナン、シンガポールの街のほか、東南アジアの各地をめぐり、秘められたプラナカンの物語の扉を開く」。
本書は、プロローグ、全5章、エピローグからなる。第1章「リー・クアンユーの秘密」では、シンガポールの建国の父が、「プラナカン」と呼ばれることを拒否した独立直後の1965年の発言から、それが「華人、マレー人、インド人をめぐる民族問題だけでなく、宗主国だった英国との関係、そして国内での支配と非支配の階級・・・・・・。こうした厄介事のすべて」に絡むことが理解できる。
第2章「色彩とスパイス」では、「プロローグ」でつぎのようにまとめられたプラナカン文化とその担い手が紹介されている。「鮮やかなパステルカラーの陶磁器。暮らしの隅々まで溶け込んだ数々のスパイスとハーブ。ココナツやパイナップルなど南洋の果実を使うニョニャ料理。インドの影響が感じられる華麗な民族衣装のサロン・ケバヤとバティック。そしてババ・マレーと呼ばれる不思議な言語・・・・・・。プラナカンの伝統と文化は奥が深く、その全容はいまなお厚いベールに包まれている」。
第3章「日本が破壊したもの・支えたもの」では、日本が「破壊」したものをつぎのように語っている。「日本軍は、教師、弁護士、医師など高い教育を受けた華人も標的にしました。知識層が抗日運動の指導者となることを恐れていたからです。そして、高等教育を受ける層は、裕福なプラナカン家庭と重なります」。「略奪やレイプを怖がり、女性たちは家の奥に隠れました。既婚女性ならレイプされにくいと考え、日本軍が侵攻する直前に若い女性が結婚を急ぎました。こうしてコミュニティーの中でだけ婚姻関係を結ぶプラナカンの伝統が崩れていきました。プラナカンの黄金時代は、日本軍の侵攻によって終止符を打たれたのです」。そして、著者はつぎのように、自分の意見を述べている。「少なくともシンガポール人の間では旧日本軍が残忍な破壊者として記憶に刻まれていることを、私たちは理解しなければならない。歴史書などではソチン[虐殺]事件の被害者は「華人」とだけ記されている。その多くがプラナカンであったことも知らなければならない。プラナカンが世に生み出した美を愛好し、尊ぶのであれば、日本とプラナカンの歴史に思いをはせることもまた、私たち日本人の責務だと私は考える」。
第4章「通商貴族の地政学」では、ゴム、砂糖、スズなどで成功した人びとの物語が紹介され、そのひとりであったタン・トクセンが慈善家で、シンガポールに病院を建てたこと、その息子のひとりがタイの王室で重用され、孫がASEAN設立の立役者となったタナット・コーマンであることなどが語られている。
第5章「明日を継ぐ者」では、冒頭つぎのように語られている。「東南アジア各地に散らばったプラナカンたちは、行き着いた先々の土地に溶け込んでいく。絶頂期に海峡植民地で輝いたババ・ニョニャの伝統文化から、どんどん離れていくように見える。プラナカンは希薄化し、やがて歴史の彼方に姿を消していくのだろうか」。「だが、未来に向けて、新しい価値の創造に挑む新世代もいる。この章では、自己の存在意義とアイデンティティーを自問しながら、それぞれの分野で進化するプラナカンの姿を追う」。
そして、その答えを「エピローグ 消えていく時がきた」で、つぎのように述べている。「だが私は、プラナカンは消えていかないと予感している。グローバル化したこの世界で、変容しながら生きていくだろうと感じている。進化して姿を変えた未来のプラナカンに、私たちは世界のどこかでまた出会えるだろうか」。
さらに著者は、「あとがき」でつぎのように問いかけている。「東南アジアの社会は、多くの民族、言語、宗教が重なり合ってできています。その歴史の地層に染みこんで伝わる水脈のように、プラナカンたちは国家の枠組みを超えて、国と国、地域と地域をつなぎました。その活躍はいまでも続いています。世界と日本をつなぐ浸透力のある人は、どれだけ日本にいるでしょうか」。「プラナカンが現代の私たちに問いかけるものは何でしょうか。グローバリゼーションの中での国や組織、個人のあり方を考える上で、私の現地報告が、少しでも読者のお役に立てるのであれば幸せです」。
かれらがプラナカンになり、グローバル化する今日に、新たな活躍の場を見いだしているのも、かれらが生まれ育ったのが海域東南アジアだったからである。ヒトもモノも、さらに価値観までもが流動性の激しいなかで、本国中国や日本にまで活動の舞台を広げていった結果が、新たな民族を生み、文化を育てていったのである。そして、グローバル化とともに、その舞台は世界へと広がっている。本書は、東南アジアから広がる今日、これからの世界を考えるのに大いに役立つ。
本書は、「気高い美意識の謎に満ちた人々」であるプラナカンの物語である。表紙見返しでは、つぎのように要約している。「プラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。彼らは、華僑とも異なる存在で、アジア経済界で隠然とした勢力を持ち、その気高い美意識を誇る氏族の素顔は、いまなお謎に包まれている。彼らは経済をどのように牛耳り、歴代の先人が残したその伝統を、誰が未来に渡すのか、栄華の痕跡を残すマラッカ、ペナン、シンガポールの街のほか、東南アジアの各地をめぐり、秘められたプラナカンの物語の扉を開く」。
本書は、プロローグ、全5章、エピローグからなる。第1章「リー・クアンユーの秘密」では、シンガポールの建国の父が、「プラナカン」と呼ばれることを拒否した独立直後の1965年の発言から、それが「華人、マレー人、インド人をめぐる民族問題だけでなく、宗主国だった英国との関係、そして国内での支配と非支配の階級・・・・・・。こうした厄介事のすべて」に絡むことが理解できる。
第2章「色彩とスパイス」では、「プロローグ」でつぎのようにまとめられたプラナカン文化とその担い手が紹介されている。「鮮やかなパステルカラーの陶磁器。暮らしの隅々まで溶け込んだ数々のスパイスとハーブ。ココナツやパイナップルなど南洋の果実を使うニョニャ料理。インドの影響が感じられる華麗な民族衣装のサロン・ケバヤとバティック。そしてババ・マレーと呼ばれる不思議な言語・・・・・・。プラナカンの伝統と文化は奥が深く、その全容はいまなお厚いベールに包まれている」。
第3章「日本が破壊したもの・支えたもの」では、日本が「破壊」したものをつぎのように語っている。「日本軍は、教師、弁護士、医師など高い教育を受けた華人も標的にしました。知識層が抗日運動の指導者となることを恐れていたからです。そして、高等教育を受ける層は、裕福なプラナカン家庭と重なります」。「略奪やレイプを怖がり、女性たちは家の奥に隠れました。既婚女性ならレイプされにくいと考え、日本軍が侵攻する直前に若い女性が結婚を急ぎました。こうしてコミュニティーの中でだけ婚姻関係を結ぶプラナカンの伝統が崩れていきました。プラナカンの黄金時代は、日本軍の侵攻によって終止符を打たれたのです」。そして、著者はつぎのように、自分の意見を述べている。「少なくともシンガポール人の間では旧日本軍が残忍な破壊者として記憶に刻まれていることを、私たちは理解しなければならない。歴史書などではソチン[虐殺]事件の被害者は「華人」とだけ記されている。その多くがプラナカンであったことも知らなければならない。プラナカンが世に生み出した美を愛好し、尊ぶのであれば、日本とプラナカンの歴史に思いをはせることもまた、私たち日本人の責務だと私は考える」。
第4章「通商貴族の地政学」では、ゴム、砂糖、スズなどで成功した人びとの物語が紹介され、そのひとりであったタン・トクセンが慈善家で、シンガポールに病院を建てたこと、その息子のひとりがタイの王室で重用され、孫がASEAN設立の立役者となったタナット・コーマンであることなどが語られている。
第5章「明日を継ぐ者」では、冒頭つぎのように語られている。「東南アジア各地に散らばったプラナカンたちは、行き着いた先々の土地に溶け込んでいく。絶頂期に海峡植民地で輝いたババ・ニョニャの伝統文化から、どんどん離れていくように見える。プラナカンは希薄化し、やがて歴史の彼方に姿を消していくのだろうか」。「だが、未来に向けて、新しい価値の創造に挑む新世代もいる。この章では、自己の存在意義とアイデンティティーを自問しながら、それぞれの分野で進化するプラナカンの姿を追う」。
そして、その答えを「エピローグ 消えていく時がきた」で、つぎのように述べている。「だが私は、プラナカンは消えていかないと予感している。グローバル化したこの世界で、変容しながら生きていくだろうと感じている。進化して姿を変えた未来のプラナカンに、私たちは世界のどこかでまた出会えるだろうか」。
さらに著者は、「あとがき」でつぎのように問いかけている。「東南アジアの社会は、多くの民族、言語、宗教が重なり合ってできています。その歴史の地層に染みこんで伝わる水脈のように、プラナカンたちは国家の枠組みを超えて、国と国、地域と地域をつなぎました。その活躍はいまでも続いています。世界と日本をつなぐ浸透力のある人は、どれだけ日本にいるでしょうか」。「プラナカンが現代の私たちに問いかけるものは何でしょうか。グローバリゼーションの中での国や組織、個人のあり方を考える上で、私の現地報告が、少しでも読者のお役に立てるのであれば幸せです」。
かれらがプラナカンになり、グローバル化する今日に、新たな活躍の場を見いだしているのも、かれらが生まれ育ったのが海域東南アジアだったからである。ヒトもモノも、さらに価値観までもが流動性の激しいなかで、本国中国や日本にまで活動の舞台を広げていった結果が、新たな民族を生み、文化を育てていったのである。そして、グローバル化とともに、その舞台は世界へと広がっている。本書は、東南アジアから広がる今日、これからの世界を考えるのに大いに役立つ。