早瀬晋三書評ブログ2018年から

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2019年09月

宮田俊行『林芙美子が見た大東亜戦争』ハート出版、2019年1月29日、269頁、1600円+税、ISBN978-4-8024-0072-5

 副題に「『放浪記』の作家は、なぜ「南京大虐殺」を書かなかったのか」とある。著者、宮田俊行は、「悲惨な現場そのものがなく、本当に平穏だったからだ。南京で大虐殺などなかった」と結論している。

 著者は、「戦後、戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」」を、「東京裁判史観(二次史料による通説)」と「終戦直後からアメリカによって行われた「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」WGIP(War Guilt Information Program)によったためとしている。そして、「自身の反省を込めて、本書は大東亜戦争の戦死者・戦没者はもちろん、伯父のように祖国日本を守ろうと命をかけたすべての人に捧げたい」「この人たちを、同じ日本人が否定し、貶めることがあってはならない」と述べている。

 著者は、1957年鹿児島生まれ、鶴丸高校、早稲田大学を卒業後、南日本新聞社に26年余り勤め、早期退職した。

 林芙美子の足跡を追った本書は、帯のつぎの文章からその内容がわかる。「「朝日新聞」「毎日新聞」の“従軍作家”となった林芙美子は、母国の兵士たちと寝食を共にしながら、過酷な戦地を駆けめぐった。彼女が自分の目で確かめたかった“本当の戦争”とは何なのか。残された貴重な記録をもとに、その足跡を辿る。樺太・朝鮮・満州・中国・台湾・仏印・蘭印・・・広漠たる大東亜共栄圏を旅した稀代の女流作家は激戦の地で、いったい何を“見た”のか-」。

 著者が、林芙美子を選んだ理由は、帯の裏にある「はじめに」から引用したつぎの文章からわかる。「「林芙美子ほど“戦線”を広く踏破した作家はいないだろう。幸い、作家だから多くの記録を残している。これは、宝の山が手つかずに目の前にあるようなものだ。なにしろ、彼女が当時書いたものは、後世の『東京裁判史観』とは何ら関係のない『一次史料』だから、読むだけで面白い」。「また、どんな戦争の概説書よりも、とっつきやすいし読みやすい」。「それがそのまま、大東亜戦争とは何だったのかを知り、考える機会になる」。

 著者は、戦後、朝日新聞なども「洗脳工作」の「手先にされた」という本などを参考にして、「自虐史観」から解き放たれ、「日本がいかに正しい、誇れる国か確信」して、本書を執筆した。戦後、70年以上経って、なお「東京裁判史観」「占領軍による洗脳工作」の影響が日本人の歴史観を支配していることを前提に、「南京大虐殺」はなかったことを立証するために、最高の「一次史料」である林芙美子が「書いていない」ことを根拠にした。林芙美子については、戦後「戦争協力作家」という烙印が押されたために、「林芙美子研究には大きな弱点・空白があった」という。

 著者のいう一次史料を丹念の読んだ戦後史研究は、「東京裁判史観」とは無縁と思える戦後生まれ世代によっても多くの成果がだされている。ここで注目されるのは、戦争責任論ではなく、林芙美子や藤田嗣治などの「戦争協力者」の戦後の生き方である。日本が敗戦したため、これらの「協力者」は否定的に語られるが、勝っていればまったく逆の評価になったはずである。人はその時どきによって、どういう戦略を立てて生きていったのか。林芙美子は新聞社をうまく利用したが、新聞社も軍も林芙美子をうまく利用した。まったく逆のことを語っていながら、「時代」の文脈に照らしてみれば、同じことを語っているのだとわかることもある。林芙美子の場合、その時どきを懸命に生きた人びとに届くメッセージを送りつづけていたことは、1951年に47歳で急逝した葬儀に参列した一般庶民の大行列を見ればよくわかることである。

 その「時どき」のことを考えれば、参考文献に発行年が記されていないのは残念である。

森貴信『スポーツビジネス15兆円時代の到来』平凡社新書、2019年6月14日、230頁、840円+税、ISBN978-4-582-85915-7

 2019年9月20日、ラグビーワールドカップがはじまり、日本は初戦の対ロシア戦を逆転で勝利した。これを皮切りに、2020年は東京オリンピック・パラリンピック、21年はワールドマスターズゲームが日本で開催され、世界的な大会が3年つづく「ゴールデン・スポーツイヤーズ」がやってきた。日本政府も『日本再興戦略2016』のなかでスポーツの成長産業化をうたった。  本書の内容は、表紙見返しでつぎのようにまとめられている。「長らく「体育」「ボランティア」「アマチュアリズム」を標榜してきた日本のスポーツ界が、いま揺れている-。今後、その市場規模は現在のおよそ3倍、2025年には15兆円にまで達するという。令和時代を迎えた現代の日本社会において、私たちの暮らしや生き方はどのように変わるのか。わかったようで、わからなかったスポーツとビジネスの関係。これから起こること、できることを鮮明に説く」。

 本書の著者、森貴信はつぎのように「著者紹介」されている。「1969年長崎県生まれ。トーメン、トヨタ自動車を経て、2005年V・ファーレン長崎の立ち上げに参画。その後、サガン鳥栖、埼玉西武ライオンズを経て、現在はラグビーワールドカップ2019年組織委員会チケッティング・マーケティング局局長(チケッティング担当)。また株式会社マグノリア・スポーツマネジメント代表取締役として、スポーツ特化型クラウドファンデング「FARM Sports Funding」も運営する。JFAスポーツマネジャーズカレッジ2期生。早稲田大学招聘研究員。慶応ビジネススクールMBA(2003年)」。

 いま担当しているラグビーワールドカップは、オリンピック・パラリンピック、サッカーのFIFAワールドカップについで、世界第3位のメガスポーツイベントされる。だが、その経済効果は、サッカーを上まわるという。その理由を、つぎのように説明している。「ラグビーワールドカップの大きな特徴は、この訪日外国人の数が、他のイベントと比べて、非常に多いと予想されているということである。ラグビー発祥の地イギリスを中心とするヨーロッパでは、ラグビーは富裕層向け、サッカーは労働者階級向けのスポーツとして発展してきた歴史がある。今回のラグビーワールドカップでは、ラグビーが大好きで比較的裕福な富裕層が日本各地には長期間滞在するとみられている」。「これらの層については、どの国でワールドカップが開催されても、世界中を旅して必ずワールドカップを見るような人々であり、ある一定数の決まったファンたちが、4年に一度、固まって世界中を移動するようなイメージなのだ」。ラグビーはサッカーより体力の消耗が激しく、試合と試合との間隔が長く、今回も44日間に及ぶ。ファンの滞在日数も長くなる。

 本書の意図を、著者は「はじめに」でつぎのように述べている。「これから本書で紹介する事例を追うことで、スポーツと普段の生活が想像以上に密着する時代が迫っていることを実感するかもしれない。その現象は一つの生活圏を形成するほど大きな可能性を含んでいると言ってもよい」。「とすれば、どのような環境が待っているのか、またどのように家族の中に入り込み、親しい隣人たちとの関係に関わってくるのか、そうしたスポーツとそれを取り巻く私たちの未来を本書で提示してみたい。一体スポーツが切り結ぶ社会が成立するために、ヒト・モノ・カネのそれぞれがどのように動き、流れていくのか、なるべく具体例を提示しつつ、おもに働く/稼ぐ=居心地の良いスペースが作るという視点を意識しながら来るべきヴィジョンを描きたいと思う」。

 そして、「おわりに」でつぎのように結論している。「人々がインターネットを利用するのと同じように、30年後にはすべてのビジネスが何らかの形でスポーツにつながり、いつの間にか、スポーツビジネスとそれ以外のビジネスとの境界がなくなっていて、「最近、スポーツビジネスという言葉を使わなくなったよね」とみんなが言っている日常がやってくるのではないだろうか」。「これからはスポーツそのものよりも、スポーツを通じて何をするかが重要になる。〝スポーツ × ○○○〟といった具合だ。考えれば考えるほど可能性は無限にある。そう考えれば、もっと多くの人がスポーツに関わるチャンスが出てくるだろう。そこではスポーツが潤滑油となり、ハブ(結節点)にもなる。もちろん、誰もが参加できるプラットフォームとしても使える。では、スポーツに何を掛け合わせれば良いのか。どんなビジネスが最適なのだろうか。実はそれらの大きさ次第で「スポーツビジネス15兆円時代」というハードルは、わりとあっさり超えていくのかもしれない」。

 ラグビーワールドカップでも、世界各地の在外公館は在留邦人を集めて、いっしょに観戦するイベントを開催している。スポーツは、歴史上、戦略的に使われてきた。ナショナリズムをあおり、戦意昂揚に利用してきた。そんなスポーツに政府が絡んでくると妙な方向にいきはしないかと、歴史家は危惧する。全体主義に走り、排他的になり、それにビジネスが便乗する危険性がある。そんなことにならなければいいのだが・・・。

デリク・クラーク著、和中光次訳『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人-知られざる日本軍捕虜収容所の真実』ハート出版、2019年2月27日、301頁、1800円+税、ISBN978-4-8024-0069-5

 本書の著者、デリク・クラークはP.O.W.であった。直訳すると「戦争の囚人」である。日本語では「捕虜」、公式には「俘虜」で、彼がいたのは「俘虜収容所」である。捕虜から想像されるのは、苛酷な労働や拷問などの虐待である。だが、囚人から想像されるのは、独房に閉じ込められていることである。そして、著者が、本書で書いていることは、もっぱら労働と食事、そして友情である。

 本書の原題は、No Cook's Tour (2005)である。その由来を、「訳者まえがき」でつぎのように説明している。「大森の捕虜が米軍に引き渡された後、クラークは太平洋、北米大陸、大西洋を横断し、結局、世界を一周して帰国している」。「"Cook"とは、英国にある世界最初の旅行代理店のことで、すでに19世紀から世界一周の団体旅行を扱っていた」。「クラークの世界一周は、旅行会社のそれとは全然違う旅であった。世界中を冒険したいという、彼の子供の頃からの夢は確かに叶った。しかしそれは、子供の頃には想像もできなかった、人生に大きな影響を及ぼすような出来事の連続する、“冒険”旅行だったのである」。

 帯には、つぎのように要約されている。「シンガポール陥落後、日本軍の捕虜となったイギリス兵クラークは、台湾の労働キャンプを経て、東京の大森捕虜収容所へと送られた」。「彼の、英国流ユーモアあふれる文章と、得意のイラストによって、戦時下を懸命に生きる人々の姿が、生き生きとよみがえる」。要約の横には、「著者の体験をより深く理解するための豊富な“訳注”を巻末に収録!」とある。これは、ありがたい。

 本書が出版されたのは、本書にも何度も登場する捕虜仲間のハリー・ベリー(1916-2004)が亡くなったときに、それより4年早く亡くなったデリク・クラーク(1921-2000)の原稿のコピーがハリーの原稿とともに出てきて、娘さんがつぎのように考えたからであった。「画家のデリクと作曲家のハリー、この二人の親友は、助け合って過酷な状況を乗り越えました。仲間を想うそのスピリットは称賛すべきでものであり、彼らの物語は大いに出版する価値がある」。

 ハリーの本は、一足早く2004年に出版された(Harry Berry, My Darling Wife: The True Letters of Harry Berry to Gwen 1940-1945, London: Authors Online)。これらより先の1998年には、同じ大森で捕虜だったロバート・R・マーチンデールの「資料的価値が極めて高い」本が出版されている(Robert R. Martindale, The 13th Mission: Prisoner of the Notorious Omori Prison in Tokyo, Austin: Eakin Press)。

 これらの捕虜の記録が重要なのは、捕虜とはいったいなにで、なにをしたのかが、よくわからないからである。囚人ならば、なんらかの罪を犯しているはずだが、捕虜は「戦争の囚人」といわれるが罪を犯したわけではない。敵側に捕らえられただけだ。それを「囚人」というのはおかしい。そして、捕虜はなぜ労働させられたのか。その労働は、ほかの労働者とどこが違うのか。本書にも出てくるように、捕虜は労働にたいして、その額が適性であるか、支払われ方がどうかなどは別にして、賃金をもらっていた。一般の賃労働、植民支配下の強制労働、戦時下の勤労奉仕などなど、また同じ捕虜でも解放後選択の余地なく労働に従事させられた場合もある。近代のこのような単純肉体労働を、どう考えたらいいのかよくわからない。これが捕虜による労働だ、と定義することはできない。だから、具体的な事例を集めるしかない。その例が示された本が、大森の俘虜収容所の場合、すくなくとも3冊出版された。たしかに「貴重な記録」ということができる。

重松伸司『マラッカ海峡物語-ペナン島に見る多民族共生の歴史』集英社新書、2019年3月20日、299頁、920円+税、ISBN978-4-08-721071-2

 帯に、表紙の書名より大きな字で「人間は、共存可能だ。」とある。つまり、今日のグローバル社会をみると、「人間は、共存可能だ。」とはとても思えない。しかし、本書で物語られるペナン島では、「多民族共生の歴史」が見えてくる。「人間は、共存可能だ。」といえる例がここにある、というのが本書の趣旨だろう。  その内容は、表紙見返しで、つぎのようにまとめられている。「マラッカ海峡北端に浮かぶペナン島、淡路島の半分ほどの面積しかないこの小島では、実に三〇以上の民族集団が、絶妙なバランスで群居し続けてきた。マレー人、インドネシアの海民アチェやブギス、インドのチェッティ商人、ムスリム海商チュリア、クリン、アラブの海商ハドラミー、ポルトガル人、イギリス人、フランス人、アルメニア人、華僑、日本人、等々-。各地で、ナショナリズムや排外主義的な価値観が増大する中、本書が提示する世界像は、多民族共存の展望と希望を与えてくれるだろう。ベンガル湾からマラッカ海峡にかけての地域研究の第一人者による、初の「マラッカ海峡」史」。

 本書の出発点は、意外にも海と無縁に思える南インド内陸にあったことを、著者、重松伸司はつぎのように述べている。「ベンガル湾海域の調査を始めたきっかけは、一九七〇年八月、海の全く見えない南インド内陸部の小村での出来事であった。それは、マレー半島への移民経験を持ち、片言の日本語を話す自作農との出会いである。さほど貧しくもない中農で、カースト間の大きな紛争もほとんどない農村から、なぜ人々は東南アジアへしばしば船出するのか」。ここから一連の調査行がはじまった。

 では、なぜ、ペナンなのか。「どこでもよく」といいながら、ペナンを選んだ理由をつぎのように説明している。「この小島は、うっそうとした熱帯雨林の支配する自然界であったが、人工的に開拓されて見る間に多民族が蝟集するミクロ・コスモス、西欧とアジアの諸民族が出会う「居留地」となった。しかしその周囲は複雑な流れを持つ潮と風の交差する海であり、それを越えればインド亜大陸やマレー半島があり、その根っこにはユーラシア大陸がどんと座っている。ペナンは確かにミクロな空間ではあるが、後背には広大な世界が広がっているのである。そうした自然・社会生態への強い関心もあった」。

 本書は、「はじめに」、第Ⅰ部「海峡の植民地ペナン」、第Ⅱ部「海峡を渡ってきた人々」、「おわりに」からなり、第Ⅰ部は序章と5章、5コラム、第Ⅱ部は5章、3コラムからなる。第Ⅰ部では、「上海租界、神戸居留地を比較の基軸にして、東南アジアの居留地の一つペナンの実態とその変容を概観した」。第Ⅱ部では「さらに、いくつかの海峡を越えて到来し、連合して騒乱を起こし、対立を繰り返しては再び結集してゆくさまざまな民族集団とその人物像を描いたつもりである」。そして、著者は、「「ゆるやかなスミワケ」という生き方がペナンという多民族社会の特徴だったのではなかろうか」と結論している。  さらに著者は、「文字に拠らない資料をどのように組み込んで、新たなアジア歴史の「語り」をどう構築するのか、それはこれからの課題である」と述べて、「おわりに」を閉じている。

 多民族社会にあって、「ゆるやかなスミワケ」は完全にわかりあえない人びとと暮らしていく知恵であるが、定着農耕民社会と違い、モバイルな社会が前提となる。南インド内陸部の農民にも、そのモバイル性があったから、海域世界につながったのだろう。だれもがモバイル性をもつことが可能になったグローバル社会のなかで、共存の可能性を探ると、そこにも「ゆるやかなスミワケ」が見えてくる。強制的な同化はもちろんのこと、暗黙の価値観の共有も対立の原因になる。ペナン島の30を超える多民族集団のハイブリディティを考えると、何百、何千のパターンが想像できる。対立が起こっても、対立集団をつなぐ人びとがいるのである。そう考えると、ペナン島の場合、数世紀にわたって東南アジア各地に居住してきたプラナカンの存在が大きい。グローバル化社会のなかで、われわれはどういう「プラナカン」をみつけ、どういう役割をもたせるのか、共存のカギのように思える。

山本博之編著『マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界-人とその作品、継承者たち』英明企画編集、2019年7月25日、477頁、2500円+税、ISBN978-4-909151-21-6

 本書の意図は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「映画には、それが制作された国と地域の「現在」が反映されています。 脚本やキャラクターの造形、使用される音楽、起用される役者…… すべてが制作地固有の社会的背景を有しています。 とくにアジア地域では、制作者や作品が越境して 物語が混ざりあい影響しあう「混成化」とも言える状況がみられ国境をまたいで豊穣な物語文化圏が形成されています。 シリーズ「混成アジア映画の海」では 「混成性(越境と共生)」をキーワードに アジアの映画を観て愉しむとともに 監督・制作者の想いやアジア社会が抱える課題について考えることを通して 映画という芸術の愉しさを共有し 映画を通じてアジア社会についての理解を深めることをめざしています」。

 かつて航空国際線で観ることのできた映画は、邦画か欧米の映画だけだったが、いまは航空会社や路線によって中国、韓国、台湾、インドに東南アジア各国の映画を観ることができる。東南アジアの映画を観たことがない者でも、試し観ができる。残念なことに、その社会的背景がわからず、つまらないと感じるものもあるかもしれない。「映画を通じてアジア社会についての理解を深めることをめざしています」というのも、納得できる。

 その多々あるアジア映画のなかで、本書では「マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマド」をとりあげる。その理由を、編著者山本博之は、「はじめに-現実と切り結ぶ「映画の力」を珠玉の作品群にみる」でつぎのように説明している。「ヤスミン作品を観ると、混成的なアジア世界を舞台に瑞々しい感性を持つ若者たちが織り成す切ない物語に心が打たれる。なぜ私たちはこれほどまでヤスミン作品に惹かれるのか。私たちがヤスミン作品から、優しさ、軽妙さ、切実さ、そして毅然としたものを受け取るのはなぜなのか。飽きずに繰り返し観たくなるヤスミン作品の奥深さの源泉はどこにあるのか」。

 「これらのことを考えるには、ヤスミン映画の物語としての魅力を愉しむことに加えて、ヤスミンがこれらの物語を通じてマレーシアの人びとに何を語りかけようとしていたのかを知る必要がある。ヤスミンは、映画を通じて「もう一つのマレーシア」を美しく描くことで、現実のマレーシア社会における心の救済を物語に託した。ヤスミンは何に挑戦し、作品を生み出すためにどのような仕掛けを施したのか。このことについてマレーシアの文脈に即して理解することは、なぜこれほどまで私たちがヤスミン作品から豊かさと切なさを受け取るのかを理解する助けになるだろう」。

 本書は、編著者が「思い込み半ばの深読みを含めて、ヤスミン作品のそこかしこに埋め込まれたメッセージを読み解いてみたい」ということから、全4部と資料の構成になっている。第1部「ヤスミン・アフマド作品の混成的な特徴と魅力-演出、情報提示、脚本、翻訳の視点から」では、「編者が考えるヤスミン作品の魅力と特徴について、マレーシアの社会と歴史の簡易な解説も含めて分析している」。第2部「多層的・多義的物語世界の愉しみ方-長編六作、短編一作を読み解く」では、「ヤスミンが遺した長編六作品、短編一作品のそれぞれについて、アジア映画および東南アジア地域研究を専門とする各者が多様な角度からその作品世界を読み解き、ヤスミンが伝えようとした想いを考えている」。第3部「ヤスミン・ワールドを支える人びと-先行の映画人・舞台人たちの物語」では、「ヤスミン作品を支えた先行の舞台人・映画人一〇名に着目した。彼ら・彼女ら自身の来歴も、ヤスミン作品を織り成すファクターとなって映画の中に紡ぎ合わされ、魅力の一つとなっている。その重なりと絡み合いの様子を知ることで、ヤスミン作品の世界がまた違った角度から理解できるだろう」。第4部「伴走者・継承者たちの歩み-約束を守り遺志を継ぎ伝える者」では、「ヤスミンとともに広告や映画の制作に携わり、現在もその遺志を継いで走り続けている三名を取り上げている。彼ら・彼女らの生き方と作品に見えるヤスミンの想いを汲み取っていただきたいと思う」。

 本書のキーワードは、「深読み」である。何十回と出てくるように思えるこのことばは、最後の「資料」で極まり、「深読み(裏読み)」と書かれている。「深読み」をすることによって、帯にある「珠玉の作品群に込められた社会的背景とメッセージを多角的に読み解くことでヤスミン・ワールドをより愉しめる一冊」になる。  だが、「深読み」できない者にとっては、編著者ひとりの単著で読みたかった。ほかの執筆者とは研究会などを通じて共通の了解があるのだろう、多角的に読み解くことができるかもしれないが、「深読み」に関心のない者には手を変え品を変えて、同じ説明を繰り返しているにすぎない印象を受ける。

 編著者およびほかの執筆者の何人かは「地域研究(とりわけ世界の諸地域を対象とする人文社会系の地域研究)」を専門とし、「対象とする社会の人びとの考え方や振る舞い方を踏まえてデータを解釈する文化の「翻訳」が肝要であるという姿勢は共通している」という。そのために、なぜ映画を「深読み」する必要があるのか、つぎのように説明している。「異文化を読み解く力は、研究者になるかどうかにかかわらず、現代世界で暮らす私たちに欠かせない素養の一つである。異文化の読み解き力を高めるには、大学院教育では長期にわたって現地社会の一員として暮らす方法が一般的だが、研究者になるのでなければ、映画の読み解きが効果的だと思う。映画を観て、おもしろいと思ったりつまらないと思ったりしたら、なぜそう感じるのかを考えるとともに、気になったセリフや場面や音楽について調べて、制作者がなぜそのような表現をしたのかに考えを巡らせてみる。制作者の意図を超えて深読みするのも映画の愉しみ方の一つだが、誤った情報に基づいた勘違いを避けるため、外国の映画については地域事情に詳しい人による基礎情報と読み解きガイドが増えるとよいと思う」。

 映画の読み解きが、地域研究のための手段として効果的ならば、それを活かして「すばらしい地域研究の成果を期待したい」と、ここで締めくくりたくなる。だが、そんなことを意識する必要はなく、映画は映画として愉しみ、その結果「地域研究」のためになんらかの助けになればよしとし、役に立たなくてもいいのではないか。ヤスミンの対象は、あくまでもマレーシア人だろう。そのマレーシア人は出自もさまざまで、高等教育の場を海外に求めたことなどもあって今後もその混成性は複雑になっていくことだろう。国際的に認められるということは、マレーシア人にとってもプラスであり、それを目的としたわけではないだろう。本書で明らかなように、こうして日本人にかのじょの作品が認められたことも、マレーシア人のためにいいことだし、とくに日本人を意識して理解されようとしたわけではない。排他性を退け、異質なものも重要な要素として自分たちの社会に取り込むことが、マレーシア社会を豊かで楽しいものにしてくれる、そのために自分の作品をただ愉しんでくれればいいと思っているのではないだろうか。その「愉しむ」なかには、観た者がいろいろ考え、場合によっては苦しむことも含まれている。地域研究者を含め、映画を観たそれぞれの人の仕事や生活になんらかの刺激を与えることができれば、作品として成功したといえるのではないだろうか。たとえマレーシア映画好きがこうじて、地域研究の成果が出なくても、さして気にすることはないだろう。

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