大沼保昭『国際法』ちくま新書、2018年12月10日、413頁、1100円+税、ISBN978-4-480-07165-1
本書に「あとがき」はない。「亡くなる前日まで」、「ペンを握り、病床で命を削りながら仕上げた」遺作だからである。
本書の最終章「第9章 戦争と平和」を、つぎの文章で結んでいる。「国際法は本書でそれを解説しているわたし自身が情けなくなるほど弱く、欠陥だらけで、限界を抱えた法である。しかし、弱肉強食のルールが支配する国際社会で諸国の行動を規律する法が国際法しかない以上、わたしたちはそれに賭けるしかない。またそれは注(19)で述べたように、日本国民にとってこそ賭けるに値するものである」。「マハトマ・ガンディーがいみじくも言ったように、善きことはカタツムリの速さでしか進まない。しかし、たとえカタツムリの速さであれ、それは一歩一歩前に進んでいるのである」。
その注(19)は、「最終章についてコメントを求められた」娘が「国際法の未来への可能性、夢をもう少し語ってほしい」と話したことにたいするもので、娘は「未来へのメッセージ」と捉えた。
「序でも述べたように、幕末以来日本にとって重要な出来事にはほぼ例外なく国際法がかかわっている。わたしたちの先人たちは条約改正、日清・日露戦争、サンフランシスコ条約による講和と独立の回復など、こうした重大事に直面して必死に国際法を学び活用してそうした重大事を乗り切ってきたのである。これに反して国際法を軽視し、その活用を怠った第二次世界大戦では日本は、約七〇〇〇万の人口のうち三〇〇万以上の犠牲を出し、国家滅亡の危機に瀕したのである。この教訓は重要である。その教訓とは、国際法とは日本国民が身につけ、活用すべきものだということにほかならない」。
「誰にでもわかる「生きた国際法」の新書を最後に書きたい」という難しいチャレンジに、著者は果敢に挑み、多くの人びとの協力を得たとはいえ、成し遂げた。「弱く、欠陥だらけで、限界を抱えた法」の重要性を「誰にでもわかる」ように語り、これまで国際法の知識を武器に、「従軍慰安婦」問題などに取り組んできた悪戦苦闘の日々を総括した。
その挑戦への意気込みは、つぎの「はじめに」の最後のパラグラフにあらわれている。「国際社会は、弱肉強食、駆け引きと暴力が跋扈する不条理の世界である。そこで国際法という「法」のはたらく余地があるのか。あるとしたら、どういう条件の下で、いかなる限度で、法は機能するのか。以下、ひとまず著者を機長とする「スペースシップ・国際法号」の乗客として、著者とともにこうした問題を考え、悩み、読者なりの判断を下していただきたい。機長の操船能力にはたえず疑いの目を投げかけながら」。
本書は、はじめに、序、3部全9章からなる。第一部「国際法のはたらき」は、「国際社会と法」「国家とその他の国際法主体」「国際法のありかた」「国際違法行為への対応」の4章からなる。第二部「共存と協力の国際法」は、「領域と国籍」「人権」「経済と環境の国際法」の3章からなる。そして、第三部「不条理の世界の法」は、「国際紛争と国際法」「戦争と平和」の2章からなり、戦争を回避できない「情けなるほど弱」い国際法にたどり着く。「国際法の未来への可能性、夢をもう少し語ってほしい」という「コメント」も頷ける結末になっている。
だが、それも注(19)によって一掃された。「最後の最後に父が渾身の思いでペンを握り伝えたかった内容がこの注の六行に凝縮されていると思いました」というのも頷ける。問題は、この「未来へのメッセージ」をどう「生きた国際法」へとつなげていくかである。「従軍慰安婦問題」も「領土問題」も、解決の糸口さえつかめないままである。国際法の知識のうえに、なにが必要なのか、本書からもわからなかったが、著者はそれを日本人に託した。
本書の最終章「第9章 戦争と平和」を、つぎの文章で結んでいる。「国際法は本書でそれを解説しているわたし自身が情けなくなるほど弱く、欠陥だらけで、限界を抱えた法である。しかし、弱肉強食のルールが支配する国際社会で諸国の行動を規律する法が国際法しかない以上、わたしたちはそれに賭けるしかない。またそれは注(19)で述べたように、日本国民にとってこそ賭けるに値するものである」。「マハトマ・ガンディーがいみじくも言ったように、善きことはカタツムリの速さでしか進まない。しかし、たとえカタツムリの速さであれ、それは一歩一歩前に進んでいるのである」。
その注(19)は、「最終章についてコメントを求められた」娘が「国際法の未来への可能性、夢をもう少し語ってほしい」と話したことにたいするもので、娘は「未来へのメッセージ」と捉えた。
「序でも述べたように、幕末以来日本にとって重要な出来事にはほぼ例外なく国際法がかかわっている。わたしたちの先人たちは条約改正、日清・日露戦争、サンフランシスコ条約による講和と独立の回復など、こうした重大事に直面して必死に国際法を学び活用してそうした重大事を乗り切ってきたのである。これに反して国際法を軽視し、その活用を怠った第二次世界大戦では日本は、約七〇〇〇万の人口のうち三〇〇万以上の犠牲を出し、国家滅亡の危機に瀕したのである。この教訓は重要である。その教訓とは、国際法とは日本国民が身につけ、活用すべきものだということにほかならない」。
「誰にでもわかる「生きた国際法」の新書を最後に書きたい」という難しいチャレンジに、著者は果敢に挑み、多くの人びとの協力を得たとはいえ、成し遂げた。「弱く、欠陥だらけで、限界を抱えた法」の重要性を「誰にでもわかる」ように語り、これまで国際法の知識を武器に、「従軍慰安婦」問題などに取り組んできた悪戦苦闘の日々を総括した。
その挑戦への意気込みは、つぎの「はじめに」の最後のパラグラフにあらわれている。「国際社会は、弱肉強食、駆け引きと暴力が跋扈する不条理の世界である。そこで国際法という「法」のはたらく余地があるのか。あるとしたら、どういう条件の下で、いかなる限度で、法は機能するのか。以下、ひとまず著者を機長とする「スペースシップ・国際法号」の乗客として、著者とともにこうした問題を考え、悩み、読者なりの判断を下していただきたい。機長の操船能力にはたえず疑いの目を投げかけながら」。
本書は、はじめに、序、3部全9章からなる。第一部「国際法のはたらき」は、「国際社会と法」「国家とその他の国際法主体」「国際法のありかた」「国際違法行為への対応」の4章からなる。第二部「共存と協力の国際法」は、「領域と国籍」「人権」「経済と環境の国際法」の3章からなる。そして、第三部「不条理の世界の法」は、「国際紛争と国際法」「戦争と平和」の2章からなり、戦争を回避できない「情けなるほど弱」い国際法にたどり着く。「国際法の未来への可能性、夢をもう少し語ってほしい」という「コメント」も頷ける結末になっている。
だが、それも注(19)によって一掃された。「最後の最後に父が渾身の思いでペンを握り伝えたかった内容がこの注の六行に凝縮されていると思いました」というのも頷ける。問題は、この「未来へのメッセージ」をどう「生きた国際法」へとつなげていくかである。「従軍慰安婦問題」も「領土問題」も、解決の糸口さえつかめないままである。国際法の知識のうえに、なにが必要なのか、本書からもわからなかったが、著者はそれを日本人に託した。