木畑洋一、小菅信子、フィリップ・トウル編『戦争の記憶と捕虜問題』東京大学出版会、2003年5月26日、262頁、4200円+税、ISBN4-13-021068-8
イギリスやオーストラリアの戦争博物館を訪ねると、日本軍の下での捕虜の展示が幅をきかせていることに驚く。それほどまでに、この問題は捕虜になった当人にとってだけでなく、家族や社会にとっても大きなことであったことがわかる。もう実際に体験した人がいなくなろうとしているにもかかわらず、語られつづけているのは、第一次世界大戦がもう完全に体験者がいなくなったにもかかわらず、今日まで日々の生活になんらかの影響があると人びとが感じていることと同じだろう。体験者がいなくなっても、日本軍による捕虜にかんする話は終わらないだろう。
編者のひとり、小菅信子の「あとがき」を読むと、この問題がことばでは表せない「デリケートな問題」であることが、ひしひしと伝わってくる。本書が出版されたきっかけは、「1997年11月にイギリスのケンブリッジ(チャーチル・コレッジ)で開いたシンポジウムである」。まず英語による論文集が2000年に出版され、それにたいする「書評は総じて同論文における学術的な成果を認めたが、その一方で、日本人執筆者は捕虜虐待の実態の凝視を回避し、「言い訳」に専念しているとの批判が散見された。1冊の論文集のなかに国境線が引かれてしまったかのような思いであったが、一方、[編者のひとりである]トウル氏の英語版論集のイントロダクション(本論集では「1 戦争捕虜問題をめぐる西欧と日本」として所収)には捕虜の受けた不当な苦痛についての道義心を欠いた叙述があると、ある知日派でしられる英国人の書評で厳しい批判を受けた」。
「デリケートな問題」というよりは、学術的研究の意味がわかっていない人びととの闘いのようにさえ見えるが、残念ながら勝ち目はない。第三者の評価を待つしかないのが現実である。
本書は、すでにきっかけとなったシンポジウムから20年以上が経ち、英語版の出版から20年近く、日本語版の出版からも16年が経ったが、この「デリケートな問題」の基本は変わっていない。本書を日本語でも出版する理由は、編者のひとりの木畑洋一によって、つぎのように説明されている。「日本における戦争の記憶のなかでともすると脇においやられがちな戦争捕虜処遇問題への関心を少しでも広げることにある。ただし本書は、この問題についての包括的な研究をめざしたり、何らかの統一的な結論を導き出すことを目論んだりした論文集ではない。本書は、捕虜処遇の実態そのものを扱った章から、捕虜処遇問題をめぐる法的側面を論じた章、この問題の歴史的背景を検討した章、戦後における和解への道程を探った章などから成り、戦争捕虜問題を考えていく際の視点を定めるにあたって手掛かりとなる多様な議論を提供することを目的としている」。「全体として日本軍が行なったことへの批判的視座に立っている」。
本書は、まえがき、2部全11章、あとがきからなる。第Ⅰ部「規範と実態」は、つぎの6章からなる:「戦争捕虜問題をめぐる西欧と日本」「国際法からみた捕虜の地位」「ゲリラ戦と捕虜取扱い」「連合軍捕虜と泰緬鉄道」「捕虜の楽園?-チャンギ収容所の実相」「敵を知る-オーストラリアにおける軍事諜報活動・政治戦・日本人捕虜、1942-45年」。
第Ⅱ部「文脈と波紋」は、つぎの5章からなる:「戦時下の大日本帝国における文化、人種、権力」「第2次世界大戦期における日本人の人種アイデンティティ」「「西欧文明」への挑戦?-日本軍による英軍捕虜虐待の歴史的背景」「赤い十字と異教国-近代日本の<非宗教>とナショナリズムについて」「和解への道程-クワイ河収容所をめぐって」。
この「デリケートな問題」が解決に向かわないのは、どの国も程度の差はあれ、充分に対処しなかった事実があり、相手を責めれば、その矛先が自分に向かわないとも限らないからである。しかも、少なくはない金額がともない、場合によっては国家財政に影響しかねない可能性があるからである。しかし、ここで強調しておかなければならないのは、日本軍の捕虜にたいする処遇は最低最悪の部類に属すること、戦後の日本政府の対応にも問題があったことを、まずは素直に認めなければ、先へ進めないことである。
編者のひとり、小菅信子の「あとがき」を読むと、この問題がことばでは表せない「デリケートな問題」であることが、ひしひしと伝わってくる。本書が出版されたきっかけは、「1997年11月にイギリスのケンブリッジ(チャーチル・コレッジ)で開いたシンポジウムである」。まず英語による論文集が2000年に出版され、それにたいする「書評は総じて同論文における学術的な成果を認めたが、その一方で、日本人執筆者は捕虜虐待の実態の凝視を回避し、「言い訳」に専念しているとの批判が散見された。1冊の論文集のなかに国境線が引かれてしまったかのような思いであったが、一方、[編者のひとりである]トウル氏の英語版論集のイントロダクション(本論集では「1 戦争捕虜問題をめぐる西欧と日本」として所収)には捕虜の受けた不当な苦痛についての道義心を欠いた叙述があると、ある知日派でしられる英国人の書評で厳しい批判を受けた」。
「デリケートな問題」というよりは、学術的研究の意味がわかっていない人びととの闘いのようにさえ見えるが、残念ながら勝ち目はない。第三者の評価を待つしかないのが現実である。
本書は、すでにきっかけとなったシンポジウムから20年以上が経ち、英語版の出版から20年近く、日本語版の出版からも16年が経ったが、この「デリケートな問題」の基本は変わっていない。本書を日本語でも出版する理由は、編者のひとりの木畑洋一によって、つぎのように説明されている。「日本における戦争の記憶のなかでともすると脇においやられがちな戦争捕虜処遇問題への関心を少しでも広げることにある。ただし本書は、この問題についての包括的な研究をめざしたり、何らかの統一的な結論を導き出すことを目論んだりした論文集ではない。本書は、捕虜処遇の実態そのものを扱った章から、捕虜処遇問題をめぐる法的側面を論じた章、この問題の歴史的背景を検討した章、戦後における和解への道程を探った章などから成り、戦争捕虜問題を考えていく際の視点を定めるにあたって手掛かりとなる多様な議論を提供することを目的としている」。「全体として日本軍が行なったことへの批判的視座に立っている」。
本書は、まえがき、2部全11章、あとがきからなる。第Ⅰ部「規範と実態」は、つぎの6章からなる:「戦争捕虜問題をめぐる西欧と日本」「国際法からみた捕虜の地位」「ゲリラ戦と捕虜取扱い」「連合軍捕虜と泰緬鉄道」「捕虜の楽園?-チャンギ収容所の実相」「敵を知る-オーストラリアにおける軍事諜報活動・政治戦・日本人捕虜、1942-45年」。
第Ⅱ部「文脈と波紋」は、つぎの5章からなる:「戦時下の大日本帝国における文化、人種、権力」「第2次世界大戦期における日本人の人種アイデンティティ」「「西欧文明」への挑戦?-日本軍による英軍捕虜虐待の歴史的背景」「赤い十字と異教国-近代日本の<非宗教>とナショナリズムについて」「和解への道程-クワイ河収容所をめぐって」。
この「デリケートな問題」が解決に向かわないのは、どの国も程度の差はあれ、充分に対処しなかった事実があり、相手を責めれば、その矛先が自分に向かわないとも限らないからである。しかも、少なくはない金額がともない、場合によっては国家財政に影響しかねない可能性があるからである。しかし、ここで強調しておかなければならないのは、日本軍の捕虜にたいする処遇は最低最悪の部類に属すること、戦後の日本政府の対応にも問題があったことを、まずは素直に認めなければ、先へ進めないことである。